AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

泣くな笑えとはとても言えない

2009-05-19 03:22:30 | Weblog
 今何が起こりつつあるのか、普通に物事の察しがつく人なら、たいてい気がついているだろう。本当は物事がはっきりしてから書くほうが良いのだろうが、はっきりした時にはもう手遅れだったりするのだろう。しかし他方、いかに妄想ブログだからと言って、屋上屋を重ねるように仮定と推論と妄想だけを組み立ててみても、人の目に触れさせる意義のある内容にはなりそうもない。結果、こういう曖昧な物言いで書くよりほかないと考えた。腰砕け、意気地なしとのご批判は甘んじて受けるが、どうか意図を汲んでいただき、「××のことですね」的なツッコミはご容赦いただきたい。

 ステージ上で堅い表情のまま、あるいは眼差しを曇らせたまま歌い踊っているのを見るのは、見る側としても非常につらい。思い余って涙を流す子がいた時など、ああ、もしやまた今日も「あの瞬間」に立ち会うことになってしまうのかと、本当に背筋が寒くなるような思いがする。それでも、おそらく今進行中であろう事態を考えれば、その状態の彼女たちに、泣くな笑えとはとても言えない。そんな表情にならざるを得ない状況でステージに上げている大人が悪いのだ。

 何がどうなっているのか詳細までは分からないし、また、そこに見られた涙の理由のいちいちを、すべてそこに帰するのは、もちろん私の妄想には違いない。だが、何百回とあの劇場で公演を見て来た身としては、うれしさのあまり、感激のあまり流す涙と、そうでない涙の見分けくらいつくつもりだ。同様に、少々の身体的不調で泣くような子かどうかも、ファンはもう知っているはずだ。やっと仲間としてのまとまりができつつある今になって、どうしてまたそういうことを繰り返すのか。それならばなぜ、無理やりにチームにまとめて団結などと唱えさせる必要があったのか。はなはだ理解に苦しむ。

 加えてまた、かつてのような措置を、今回も、あるいは今後も繰り返すということは、AKB48 全体にとっても、いくつかの点でリスク要因になるのだということを、どうして理解しないのだろう。愛した場所から石もて追われるごとく離れなければならなくなる人が、どういう思いを残し、その後の行動にどう陰を落とすことになるか。AKB48 の名を汚そうとする者がニセモノであるうちは良い。だが今後、どういうことが起きるか、心配になるのは私だけだろうか。