明治期までの日本人が、今と比べればとてつもない体力を持っていたということは、当時日本を訪れた外国人の残した多くの文献に記されている。今回はその中の幾つかを紹介してみたい。
まずは、ドイツ帝国の医師・ベルツの手による「ベルツの日記」から。
エルヴィン・フォン・ベルツ(1849~1913)はドイツ生まれ。ライプツィヒ大学で内科を修めた後、27の歳に明治政府によって招聘され、以後29年間日本に滞在 . . . 本文を読む
「高タンパクの食事を与えるほど、本来のスピードよりも早く成長する」ことは、動物全般に言える基本原理である。また成長と同時に老化の速度も速くなる。畜産の世界で家畜に自然の食事バランスを逸脱した高タンパク食を与えるのもこの原理に基づいている。また一昔前、日本人が西欧人と比べて年齢の割には若々しく、かつ老化も遅いように見えたのも同様だ。しかし今、日本人の成長と老化は確実に早まってきている。乳児期と成長 . . . 本文を読む
カルシウムの摂取量が多い国に骨折が多いという一般現象は、一名「カルシウム・パラドックス」と呼ばれている。その理由として、WHO(世界保健機関)の2002年の報告書では、「カルシウムの摂取量よりも、カルシウムを排出させる酸性の負荷をタンパク質がもたらすという悪影響の方が重い」と推論されている。牛乳は高タンパク食品であること、乳食を習慣とする国はなべて肉食をしていることなどが動物性タンパク質の過剰摂 . . . 本文を読む
今度は、乳食はヒトにとってどのようなものなのか、それを栄養の面から見てみよう。
人乳・獣乳を問わず、乳の主な栄養として、乳糖、タンパク質、カルシウムがある。「乳糖」は、他に自然界にはない特殊な糖で、グルコースとガラクトースからなり、乳児の分泌するラクターゼ(乳糖分解酵素)によって分解される。しかし生物学的に正常な人間は離乳とともにラクターゼの分泌は止まるので、このままでは乳糖をエネルギー源とし . . . 本文を読む
ここで獣乳を食用に供する民族の世界分布を見てみよう。図は、石毛直道編「世界の食事文化」(1973年 ドメス出版)から引用したものである。新大陸発見以前、15世紀を目安に世界中の乳食(生乳のみならず乳加工品を含む)文化を持つ地域を黄色で示している。緑色は、乳食をしない狩猟採集民の分布である。
ご覧のとおり、乳食はユーラシア大陸南西部分とアフリカ北部、それと飛び地としてアフリカ南端に広がっている . . . 本文を読む
「哺乳類」とは、文字通り「乳で子を育てる」ことから名付けられた生物群の名称である。他にこの群の特徴として、胎生であること(カモノハシ目5種を除く)、体表を覆う体毛を持つこと、横隔膜による肺呼吸を行うことなどが挙げられる。今となっては顕著な体毛こそ失ってしまったが、ヒトもまた、哺乳類の一属である。
そしてこの「授乳」の性質には哺乳類全般に見られる共通点がある。それは、「乳児期はやがて離乳期によっ . . . 本文を読む
一口に「米」と言っても、玄米と白米には栄養価に大きな開きがある。例えば次は「五訂増補食品成分表2008」から抜粋した白米と玄米の成分比較である。参考までに、パンの原料である強力粉の成分も右端に付記しておいた。
エネルギー kcal
たんぱく質 g
脂質 g
炭水化物 g
灰分 g
ナトリウム mg
カリウム mg
カルシウム mg
マグネシウム . . . 本文を読む
日本人が米を食べなくなったと言われて久しいが、いったい昔はどれだけ食べられていて、そして今はどれだけになったのだろう。
このことを見るに、まず農林水産省が毎年公表する「食糧需給表」というものがある。次はそのデータに基づいた、1960年から2006年までの国民一人当たりの米消費量である。
これで見ると、日本人のコメ離れは一目瞭然と言える。戦後のピークであった1962年(昭和37年)の118. . . . 本文を読む
鮭は孵化してすぐに川を降り、3~5年の間北太平洋を回遊する。そうして成熟した彼らは、やがては自分が生まれた母川に帰ってくるのだが、その際、自分が生まれたその場所を正確に目指して来るという。また繁殖行動を開始するのも、自分の生まれた時期に合わせて行うという。
その鮭たちは、川を遡る間何も食べない。河口近くで生まれた鮭ならばともかく、上流で生まれたものならば、その地に辿り着くまでの数か月間一切なに . . . 本文を読む
先般ある本を読み始めた。
それは「スッタニパータ」(中村元訳「ブッダのことば」岩波文庫)。釈迦の言葉を記した現存する最古の教典である。昨年の冬に法華経や般若心経を読んだ折り、これが釈迦の言ったことなんだろうか?と疑問に思うところが多々あった。そこで最も原型に近い仏典は、と調べて入手しておいたものである。はからずもそれから一年後にこうしてやっと紐解くことができた。本というものにも出会うに時期、読むに . . . 本文を読む
洗い物で濡れた手を拭いながらサンダルをつっかけた。いつの間にか涼しげな風が吹いていて、外はとっぷりと暮れている。
県道を走るトラックの地響きも、田帰りのトラクターの音も聞こえない。今夜は虫さえも鳴き声をひそめているようだった。もうそんな時間なのだろうか。ついさっきまでまだ明るかったと思ったのに。物静かな春の宵はまるでちゃぶ台や豆電球に溶け込んで可愛らしく年輪を重ねたおばあさんのように更けていく。
. . . 本文を読む
このように、「身土不二」は石塚左玄の提唱した食養運動のひとつのスローガンであり、その思想は彼亡き後、短い期間ではあったが食養会活動を継承した桜沢如一によって継承・発展させられた。桜沢氏の卓越したところは、石塚左玄の「ナトリウム・カリウム理論」を食物以外にも敷衍して、社会や宇宙を構成する根本則たる「無双原理」に昇華せしめたことにある。が、そのことについてはまた別のテーマになるのでここでは言及しない . . . 本文を読む
では、「身土不二」という言葉を最初に誤用したのは、いったい誰なのだろうか。
それを説明するには、ちょうど今から100年前、明治末期の世情についてと、帝国陸軍医師・石塚左玄と彼の創始した「食養会」について話さなければならない。
石塚左玄(1851~1909)は福井県の漢方医の家に生まれた。幼少の頃に皮膚病(へブラ氏掻痒症)と重症の腎炎を患い、以後晩年に至るまで闘病生活を送った末に58歳で没して . . . 本文を読む
食育が叫ばれるようになってから、よく耳にし、また活字でも目に触れる機会の多いもののひとつに「身土不二」という言葉がある。なにやら深遠な趣のするこの言葉の語感が、ただ単に「地元から買え!」「オレのところから買え!」と要求する者たちの行動に、なんとなく「重み」を付け加えてくれる気がするのだろう、この語はしばしば地産地消を推進したい側のキャッチフレーズともなっている。しかし現状は、いささか過剰で乱発気 . . . 本文を読む
【第四場 農薬大好き!な日本人】
じっちゃ「するってえと・・・一度ばら撒いちまったダイオキシンは、いつまでも残り続けるっつうことだけどな、いったいどのくれ寿命があんのや?」
サトシ「いろんなこと言う学者がいて、結局は今のところ、よくわかってないみたいだよ。でも今から40年前に撒かれたものがまだ残ってるってことは、これは相当長いね」
ばっちゃ「んでも、こんだけダイオキシンが騒がれてっから、そのうち . . . 本文を読む