時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

教育基本法案、参院特別委で可決:あきらめずに声を上げよう

2006年12月15日 | 教育
教育基本法「改正」案が参議院の特別委員会で可決された。
今夕にも本会議で可決見通しということだが、まだそのニュースは届いていない。
国の教育の根幹にかかわる重要な法案を、国会の多数決のみをもって強行することは許されない。
この法案に限らず、議会の運営というものは、可能な限り、野党を含めて多数の合意の形成に努力すべきだ。それを無視して与党単独で強行採決というのはいただけない。こういう乱暴な議会運営が続けば、議会で過半数を掌握した政党なり、政党群の主張は何でも通ってしまうことになるし、少数政党は議会では何もできないことになってしまう。
まずは、基本的な議会運営のあり方について、苦言を呈しておきたい。
さて、この教育基本法「改正」案であるが、政府が唯一の「改正」理由に掲げていたタウンミーティングでの「国民の声」なるものの多くが、実はやらせだったことが判明し、安倍首相自身もその責任を取って、3ヵ月間の給与の返上を決めたのではなかったのか。また、内閣府など3省の26人を処分したという。
だとすれば、政府のいう「改正」理由は霧散霧消したことになる。にもかかわらず、今回の強行採決だ。まったく道理がないことは明瞭である。
また、与野党の各政党の推薦者による公聴会でも、24名中13名が「改正」に反対し、今国会で「改正」すべきという意見はたった1名しかいなかった。与党の推薦人でさえ、「改正」には賛成だが、拙速に行うべきではないという意見がほとんどだ。
こういう点から見ても、今回の採決は暴挙以外の何物でもなく、与党の行動には道理がない。
国民は、これからもあきらめずに声を上げていくことが重要だ。今までの努力と今日からの行動が、必ずやこれからの世論や政局を動かす大きな力になるだろうから。

まだまだあるぞ、財界の横暴!

2006年12月14日 | 財界
今日も、財界に関するニュースについて、2つほど論評しておこう。
ここにも、経団連の御手洗冨士夫会長が登場する。
ちなみに、この御手洗という人物は、偽装請負など順法精神がまったくないキャノンの社長であり、国民にとって都合の悪い話には必ずといっていいほど登場するので、これからはそういう目でテレビや新聞に注目していただきたい。彼が登場するところ、ろくでもない話ばかりだ。
さて、12月11日に経団連幹部と柳沢伯夫厚生労働相ら厚労省幹部との初めての懇談会が開かれ、席上、経団連側はパート労働者と正社員の給与格差の是正について「法制化(による規制)は必要最低限にとどめてもらいたい」と要望したそうだ。
現在、非正規雇用者の賃金水準は、正規雇用者の約50%と言われているが、これを法律によってたとえば「正規雇用者の70%以上とすべし」というような具体的な数字を決められると困る、バカなことは止めるようにと厚生労働省に釘を刺したわけである。
また、御手洗氏は「経済成長があって初めて安定雇用が生まれる。構造改革を進めてほしい」と労働、社会保障分野の「改革」(政府や財界が主張するこの言葉は、眉に唾しながら読むこと。)を促したそうだが、これに対して、柳沢厚労相は「年金、介護、医療改革は始まったばかりだ」と、「改革」を続ける意向を強調したそうだ。
庶民にとって、年金の掛け金は今後数年間に渡って増え続け、支給年齢は先送りになり、支給額はどんどん減らされている。介護・健康保険料負担も増え、自己負担も増えている。障害者や難病への補助金の切り捨てもある。こういう「改革」は始まったばかりだというのだから、驚くほかはない。これ以上の負担増とサービス切捨ては到底許すわけにはいかない。
しかし、この程度で驚いていてはいけない。財界の横暴はまだまだある。
「ホワイトカラーエグゼプション」という言葉を耳にした人も多いと思うが、残業代を支払いたくない財界が考え出したのがこの言葉だ。政府や財界が横文字を使い始めたら要注意。国民にとってはろくなことがない。
一般に管理職には残業代が支払われないが、管理職以外のホワイトカラーにも一定の給料を保証する代わりに、残業代を払わなくてもよいという法律を作れということだ。
具体的には、管理職手前の年齢層をターゲットにしているとのことだが、わずかばかりの給料の増額と引き換えに企業に残業代不払いを認めよというのは、とんでもない主張だ。
これに対して、厚生労働大臣は「時間より成果で決める考え方は分かる」と導入に前向きの姿勢を示したというから、なおさらけしからん話ではないか。
現在でさえ、規定された残業代を支払わず、サービス残業が横行しており、これに対して労働基準監督署からの是正勧告や裁判による支払い命令が相次いで行われていることを考えると、とてもまともな労働の対価が企業から支払われるとは思われない。
「ホワイトカラーエグゼプション」がもし法制化されるようなことがあったら、処理しきれないような大量の仕事が終わるまで、無限にサービス残業が続く事態になる。全国過労死を考える家族の会も、過労死が更に増えると危惧し、政府にこのような法制化を行わないよう申し入れを行ったと聞いている。
労働者、国民の命まで犠牲にして、更なるボロ儲けを企む財界の要求は絶対に通すわけにはいかない。
財界の横暴を規制する法律の制定こそ、焦眉の急である。

怒り心頭 - 財界の図々しい要求

2006年12月13日 | 財界
古い話で恐縮だが、先月末に政府の経済財政諮問会議が開かれ、御手洗冨士夫経団連会長ら民間議員4人が、「労働ビッグバンと再チャレンジ支援」と題する文書を提出した。この文書の内容が大問題である。一定期間後に正社員として雇用することを前提としている現在の派遣労働者のあり方を見直すという提案だ。
しかも、提案の理由を聞いて驚いた。「規制緩和で派遣期間の制限をなくすことで、派遣労働者の真の保護につながる」と主張しているのだ。どうして、派遣労働者の保護につながるのだろうか?まったく理解不能である。一生、派遣社員として過ごす人が増えることは明らかではないか。
現在は、派遣期間が1年になると、企業に直接雇用の義務が生じる。しかし、これも財界の要求によって、来年3月からはこの期間が3年間に延長される。来年3月以降は、直接雇用を希望しても、3年間にわたって派遣労働という低賃金労働を行わなければ直接雇用に道が開かれなくなるのだ。
ところが、今回の提案は、その期間さえ取り払ってしまって、企業の雇用義務を完全に撤廃して、正社員と同様に経験を積んだ派遣社員を無期限に低賃金で雇用できるようにしようという企みだ。
今でさえ、ワーキングプアと呼ばれる非正規雇用者などが増え続け、格差の広がりが問題になっている時に、企業が更に儲けを積み上げ、格差をますます拡大することが許されてよいわけがない。
しかも、現在の労働法制の根幹である「企業が労働者を直接雇用する」という基本原則にも抵触するとんでもない提案である。
更に驚くべきことに、「不公正な格差の是正」のために、「正社員の解雇条件や賃下げの条件を緩和する」すなわち、企業が簡単に首切りや賃金の切り下げができるようにし、「派遣、パート、契約など様々な雇用形態の非正社員との格差を縮める」ことができると提案していることだ。
格差の是正は、非正規雇用者の賃金の上昇によって解決を図るべきであるが、財界の主張は、正規雇用者の解雇や賃金の切捨てで、格差を「是正」しようというのだから開いた口が塞がらない。
これが、財界のいう「労働市場改革」(労働ビッグバン)だ。
しかも、この会議に出席した安倍首相は「労働市場改革は内閣の大きな課題」と言明し、来夏の「骨太の方針」に方向性や工程表を盛り込む方針という。この内閣の正体見たりという思いだ。
読者諸兄はけっして「改革」の名に騙されてはならない。
「55年体制」と呼ばれた時代があったが、もし、当時であればこういう発言そのものが容易には許されない雰囲気があったように思われる。鉢巻を締めて、デモやストライキ、団体交渉をするのは、私の性に合わないし、あまり係わり合いになりたくない。しかし、労働者、国民もこういう時代とは違った方法で、財界の思惑と対決していかなければ、知らず知らずの間に、自分自身はもちろんのこと、家族や親戚、友人などが次々とこの渦の中に巻き込まれてしまうのではないかと危惧するのは私だけではあるまい。渦に巻き込まれてからでは、もう手遅れである。
「55年体制」の時代とは異なる新しいタイプの労働運動、新たな対決方法を模索する動きも進んでいる。一人一人の国民も、携帯電話やメール、インターネットなど新たな武器も手に入れた。
黙っている手はない。沈黙は、財界や政府に承認を与える行為だ。
今の社会に矛盾を感じる読者諸兄の声がじわじわと日本中に広がることを願っている。

ワーキングプア2を見て

2006年12月11日 | 格差社会
10日の夜、NHKの「ワーキングプア2」という番組を見た。
前回の放映も見たが、反響は随分と大きかったようで、1回目の放映に対して手紙、FAX、メール等で1400件もの投書があったという。今回はその第2弾だった。
この番組を見て、読者諸兄はどのように感じられただろうか?
平穏に暮らしていた若い夫婦。突然の離婚で、昼夜2ヵ所の職場を掛け持ちしながら、深夜2時まで働きづくめで二人の子供を育てている若い主婦。
父親が倒れたため、パートで働きながら生活を支えている姉妹。調理師の資格を取っても上がった時給はたったの10円。
夫を亡くし、必死で店を守ってきたが、店の家賃さえ支払えなくなり、店を閉め、「甲斐性のない親だ」と涙ながらに娘との暮らしを余儀なくされる母親。
安い外国人労働者との競争に立ち行かなくなり、収入は減る一方。パートで家計を支える妻の務め先は、その外国人たちの研修施設の賄い。
80歳を過ぎ、空き缶拾いをしながら暮らしを支える老夫婦。
年金をすべてつぎ込んで介護施設に妻を入所させ、公園清掃のわずかな収入で生活をつなぐ70代の夫。
いずれも、私たちの回りにどこにでもありそうな風景ではないか。
あるいは、今は健康で何の不自由もなく暮らしていても、家族の病気や失職などで、誰でも陥る可能性のある現実である。
今回は放映されなかったが、ホームレスの実態や若いフリーターの暮らしなど、もっと悲惨な現実も存在する。こういう実態は枚挙にいとまがないはずだ。
これが「世界第2位」の経済力を有する日本という国の「美しい」現実だ。
このような状態がどうして生まれてきたのかは、番組の中で内橋克人氏が述べていたように、「大企業ばかりが利益を独占するような仕組みが間違い」なのだ。
日本という国は、ことごとく大企業に甘い国だ。
今までにも本紙の中でたびたび指摘してきたように、政府・与党がこの間に進めてきた財界の意向を汲んだ規制緩和、派遣可能業種の拡大や偽装請負の放置による非正規雇用者の増大、法人税の減税の一方で年金、介護健康保険などの掛け金の値上げ、所得税の定率減税の廃止など、弱者から徹底的に絞り上げる政治のあり方だ。
日本は、「世界第2位」の経済力がある。人口が減少傾向にあるとはいえ、それを支える勤勉な国民がおり、高い教育水準や技術もある。それが、大企業の儲けの道具になり、国民のために使われていないことに最大の問題がある。
そして、それらは財界が政治献金という賄賂を贈って、政府を動かし、実現してきたものだ。
大企業に対する法的な規制を強化する以外に解決の道はない。そこに多くの国民が気づくべきだ。
そして、そのためには、財界応援の自民・公明の政治ではなく(もちろん、財界に政治献金を公然と要求する民主党による政権でもない)、野党らしい野党が議会で力を付け、国民が政治に関心を持ち、声を上げ、行動し、それを監視することだ。
来年は、いっせい地方選挙や参議院選挙がある。地方政治や国の政治を大企業本位の政治から、国民に目を向けた政治に転換できるチャンスである。
この番組を見て怒りを感じた多くの国民には、反撃のチャンスが与えられている。読者諸兄の賢明で、的確な判断を期待したい。

公職にある者は襟を正せ

2006年12月11日 | 政治問題
最近始まったことではないのだろうが、公職者による不祥事が多いのはどういうことだろうか?
神戸市では、市の職員14名が市立保育園の保育料を約800万円も滞納していたという。市はそのことを1年以上前から把握しながら、何の対策も講じていなかった。住宅ローンの支払いなどで生活が苦しかったというのがその理由らしいが、そもそも、保育園に児童を預けている家庭は、共働き家庭であり、民間の借家やアパートなどに住みながら両親ともに必死に働いている世帯が多いはずだ。にもかかわらず、自分の住宅ローンが苦しいことを理由に保育料を滞納するとは、一体どういう神経をしているのだろうか。それなら、自宅を売却すればよいではないか。市当局も見て見ぬ振りをしていたというのだからとんでもない話だ。
知事の不祥事については言わずもがなだ。
福島、和歌山に続いて、宮崎知事も逮捕された。
東京でも、石原ワンマン知事のスキャンダルが毎日のように新聞や雑誌に取り上げられている。豪華外遊、四男や知人の重用による公費流用、税金の無駄使いに加えて、談合で話題になった水谷建設と三男の宏高の当選祝いを行ったことまでマスコミにスッパ抜かれている。
新聞の川柳欄に「石原氏自腹切らずにタンカ切る」、「親バカも余人をもって代えがたし」というのが載っていたが、これが正常な庶民感覚である。
目黒区では、政務調査費の使途に関連して、公明党区議全員が辞職した。議長を務めていた自民党の議員も議長職は退いたが、これで済ませるわけにはいかない。いま、マスコミが目黒区の自民党や民主党など他の政党の政務調査費についても情報公開を要求しているという。これからも続々と公金の不正使用が明るみに出ることだろう。目黒区の公明党は、まさか来年の区議会議員選挙に候補者を立てるようなハレンチな行為はしないと思うが、そのようなことがないように、念のため、釘を刺しておこう。
まじめに働き、生活している者が報われる社会を作ることが、公職にある者の務めである。自らの不正を隠蔽し、私腹を肥やすことにのみ汲々としている連中の不正を暴くために、マスコミなどには公平な立場から取り組んでもらいたいと願っている。

法人税を納めずに、政治献金は再開?

2006年12月09日 | 財界
三菱東京UFJ銀行が、経団連の要請に応えて政治献金を再開するとのニュースが流れた。これに続いて、みずほ銀行も政治献金再開の方向で検討に入ったという。
とんでもない話である。
銀行はいまバブル期にも達成できなかったような空前の利益を上げているにもかかわらず、法人税は1円も払っていないのである。
三菱東京UFJ、みずほ、三井住友、りそな、住友信託、三井トラストの6行の2007年3月期決算では、合計で2兆9600億円の利益を上げているが、それまでの赤字を翌年以降に繰り越せる「繰越欠損金制度」のおかげで、ここ数年間は1円の法人税も納めていない。
りそなは2003年から、三菱東京UFJとみずほは2002年から、三井住友と三井トラストは2001年から、そして住友信託にいたっては1995年から10年にもわたって、法人税をまったく支払っていないのである。
この「繰越欠損金制度」は、当初は、赤字を翌年度以降5年間にわたって繰り越せる制度であったが、銀行、財界応援団の政府与党により、繰越期間が7年間に延長されたため、上記のように、もうけを上げながらも税金を払わなくても済むようになったわけである。
納税は、国民にとって、また企業にとっての義務であるが、この義務を放棄する一方で、政治献金(自民党や民主党への献金)だけは復活させようという今回の銀行側の対応は到底納得できるものではない。
もし、2007年3月期の決算に従って納税すれば、この6行だけでも9000億円近い税額となるはずだ。それを免除しておいて、政治献金を復活させることは、日本の財政運営に大きな損失を与える一方で、特定の政党に資金を還流させる行為であることは明瞭であり、党利党略の最たるものだ。
しかも、銀行の個人株主や利用者へのサービス無視の行動である。
溜め込んだ利益を納税という形で国に納めることを基本としながら、株主や利用者にサービスの拡大などの形で還元することこそ、いまの銀行に求められていることはないだろうか。

石原慎太郎のばかさ加減はもうコリゴリ

2006年12月08日 | 政治問題
都知事の石原慎太郎には、4人の息子がいる。
長男は衆議院議員の伸晃(49歳)、次男は気象予報士の良純(44歳)、三男が衆議院議員の宏高(42歳)、そして、最近一躍有名になった「自称」画家の四男の延啓(40歳)である。
3人の兄はそれなりに知名度もあり、まぁ、自立した人生を歩んでいる。ところが、四男は画家とは言うものの、40歳にもなってどうも一人ひとり立ちできていない。これを何とか世に出したい、と思ったかどうかは知らないが、東京都民の大切な税金で、海外に出張させたり、都のワンダーサイトのステンドグラスをデザインさせて買い上げたりと、息子可愛さに至れり尽くせりの便宜を図ってきたのが、親バカの石原慎太郎である。
しかも、都が保管している海外出張に関する資料には、まったく名前が出てこないように資料が偽装、隠蔽されていたというから驚くほかはない。
たまたま、パーティーの写真が残っており、これに四男が写っていて判明したという。
ここまで来ると、石原慎太郎の親バカぶりに呆れるほかはないが、更に、3期目をめざして来年の都知事選挙に立候補を表明したというのだから、信じられない思いである。
石原都政が行ってきたことは、どれを取ってもばかばかしいことばかりだ。
たとえば、レールを敷いた限りはやり遂げたいと言っているオリンピックだが、これはもう眉唾ものだ。そもそもオリンピックの開催地は、5大陸を順番に回ることになっている。2008年に北京で行われ、その後は南アフリカだから、アジアで開催されるのはずっと先だ。こういう実現性が極めて乏しい事業の誘致のためにもう多額の都税をつぎ込んでおり、これを更に加速させようというのはいかがなものか。しかも、福岡に比べれば金はかからないというが、晴海に会場を作った場合、観客はバスで運ぶという。バスで運べる人数はたかが知れており、いざオリンピックとなれば、地下鉄を作ろう、高速道路を作ろうという都民無視の大型開発と税金の無駄使いが始まるのは目に見えている。
また、「福祉はぜいたくだ」というのが、彼の口癖であるが、弱者に手を差し伸べるのが政治の役割ではないのか。運悪く障害を持って生まれたり、不慮の事故などで障害を持つ身になることもある。誰しも年を取り、病気も増える。こういう弱者に援助を行うことこそが求められているのである。しかし、彼が行ってきたのは、障害者のためのわずかばかりの補助金までむしり取るようなことばかりだ。
一例をあげよう。(お断りしておくが、以下の金額は、廃止された年間の予算である。)
・障害者カルチャー教室:700万円
・吃音者の発生訓練事業:28万円
・点訳、朗読奉仕員指導者等育成事業:40万円
・身体障害者地域活動育成の海水浴事業:40万円
・盲導犬のえさ代補助:64万円
いずれも、豪華外遊やバカ息子の出張経費があれば、簡単に継続できるものばかりではないか。
しかも、こういう疑惑に満ちた行動を議会で追及されると、「余人を持って代えがたい」「法律に違反することはしていない」と居直る始末だ。親族企業に都が仕事を発注しているのと同じではないか。
法律に違反さえしていなければ何をしても良いというような不見識な人物を都知事という公職に戴いていることは、都民にとって本当に恥ずかしい限りである。
即刻、退場いただきたいと思っている。

日亜化学で請負労働者の直接雇用が実現

2006年12月07日 | 格差社会
もう先月の話になるが、日亜化学が、勤続年数3年を超えた請負労働者を直接雇用に切り替えることを決めたという記事を新聞で見た。うれしいニュースである。
日亜化学というと、青色ダイオードで一躍有名になったが、会社があるのは四国の徳島県阿南市という所である。この阿南市は、実は編集長の母親の生まれ故郷であり、親戚も多い。徳島県の南部にあり、面積が広い割りには人口は6万人くらいで、典型的な農村地帯である。以前には、造船業なども盛んだったが、今はどうなのだろう。
さて、話が逸れたが、市政は敷いてはいるものの、これといった産業もない土地柄であるがゆえに、地元を代表する日亜化学が今までの請負労働者による生産(単なる請負ではなく「偽装請負」だったのだが、)をやめて、正規雇用者を増やし、自前で技術のある従業員を育てることになったことは、地元の経済発展にとっても極めて効果的である。この決断を歓迎したい。
しかし、会社がこの決断に至ったのは、なにも、日亜化学が「偽装請負」を真摯に反省したわけではなく、お上(徳島労働局)からのキツ~イご指導があったからにほかならない。
以前に本紙で紹介したように、同じ徳島県内で「偽装請負」が行われていたトヨタの下請け(光洋シーリングテクノ)において、請負労働者が組合を結成して、正規雇用への道を切り開いている。
そういう土壌があったからこそ、日亜化学の請負労働者の声に応えて、労働局も指導をせざるを得なかったし、会社もこれに従わざるを得なかったのである。
請負は、国際競争力の向上というスローガンの下で、自給1000円前後で、使いたい時に、使いたいだけの労働者を借受け、しかも使用者責任を回避できるため、企業にとっては誠に都合の良い労働形態であり、企業はこれをテコにして不況下でも空前の儲けを積み上げてきた。
しかし、こんな不法、異常なことがいつまでも続けられるわけはない。
企業が製造した製品の多くを購入するのは、最終的には労働者とその家族であり、この労働者の賃金を不法に削減し、ワーキングプアを大量に生み出しながら、自社の製品だけはどんどん売ろうというのはどう考えても虫が良すぎるし、最終的な帳尻は絶対に合わなくなるはずだ。
以前の記事の中でも書いたことだが、企業の理不尽な扱いにも我慢をしている労働者は多い。法律に疎く、泣き寝入りしているケースも多いだろう、所詮は「負け組」「負け犬」だと自身を卑下することもあるだろう。しかし、徳島で示された2つの例は、労働者が声と行動を起こすことによって、企業の不法は必ず正せるということを示している。
個人で加盟できる労働組合もある。全国各地で行われている労働相談もある。ぜひ、一人一人が声を上げ、行動する勇気を持って欲しいと思っている。
日亜化学は、渋々ながら労働局の指導を受け入れて、請負労働者の正規雇用に乗り出したが、このような動きが、編集長の故郷である徳島から全国に広がることを願っている。

汚職知事、続々

2006年12月02日 | 政治問題
福島、和歌山に続いて、宮崎でも県知事の汚職疑惑が報じられている。
逮捕された知事もいるし、疑惑のさなかにあって辞職もせず、とうとう議会から不信任決議を突きつけられた者もいる。
いずれにせよ情けない話である。
しかし、こういう汚職知事だけでなく、汚職議員が出た時などに、編集長がいつも不思議に思うのは、これらの知事や議員を支持し、応援していた政党や個人(特に議員)の対応である。
事が明るみになってから、「まさかそんなことをする人物とは思わなかった」という言葉をよく聞くが、そんなはずはない。
そもそも、こういう知事は、地元の企業などが社員などを動員して選挙活動を行い当選した知事である。企業、団体丸抱えの人物であり、企業の利権にまみれた人物であることは、当選の前から分かっていたはずである。
企業、団体ぐるみの選挙に対する批判は以前からあるが、ほとんど状況は変わっていない。企業や団体(業界団体や宗教団体など)には選挙権は存在しない。したがって、企業や団体が特定の候補者を押すという行為そのものが、選挙の公平を損なう行為だ。
また、そういう企業や団体が、政党や議員個人に資金を提供する行為も同じである。こういう候補者が当選の暁には、当然、そういう企業や団体に有利な政策を実行するようになるのは当然ではないか。
もし、企業が押した候補者が当選後にその企業に不利な政策を実行すれば、その企業の株主にとっては、利益が大幅に損なわれることになり、株主に損害を与える行為となる。
企業の社長や団体の責任者が、個人の資格で個人のお金を何億円献金しようと、それは個人の自由である。しかし、企業の金や組織を特定の候補の応援のために使うことは許されない行為である。
もう一点、この間に問題になっている冒頭の3知事について、どの政党が与党なのか、編集長は知らないが、選挙の時点で特定の企業や団体が応援していた候補だったことは容易に想像できる。とすれば、そのような候補者を支持した政党や議員にも当然のことながら説明責任が求められる。
ところが、知事与党やその所属議員は、事件が明るみに出るや、掌を返したように、不信任決議に賛成し、知らぬ顔の半兵衛を決め込むのである。
まったく、見識のないおそまつな行為としか言いようがない。
一方、企業が汚職などの不法行為に関わった際に、その企業から献金を受けていた議員が、「まさかそんなことをする企業とは思わなかった」などと弁解する場面にもよく出くわすが、そもそも選挙権のない企業や団体から献金を受け取ることこそが問題なのである。そうすれば、この企業は不法行為を犯しそうだとか、大丈夫そうだなどと悩む必要もなくなるのである。
この種の汚職事件が起きるたびに、企業や団体からの応援や献金の不合理を痛感するとともに、選挙権を有する国民1人ひとりの自覚のなさがこういう行為を温存する土壌を作り上げていることを痛感せざるを得ない。
日本に本当の意味で「民主主義」が育つためには、国民1人ひとりの監視や行動が必要であると思われる。