時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

備前焼の手榴弾

2006年12月22日 | その他
編集長は、実は多趣味である。
ミニSLやコイン収集のことを、本紙の片隅に載せているが、これは編集長の比較的最近の趣味である。
実は、もう20年以上も続けている趣味に、焼き物の収集がある。壷などの大きな物は置く場所もなく、価格も高いので、徳利やぐい呑、湯呑みなど小さくて、比較的廉価なものが多いが、数は相当ある。焼き物に関する図鑑や雑誌なども相当勉強した。全国各地の作家の名前も随分と身近に感じるようになった。江戸時代のそば猪口の図柄に惹かれて、骨董屋や骨董市巡りをして買い込んだ時期もある。デパートの美術品売り場はもちろんのこと、個展や著名な陶器店などにも足繁く通って買い集めたり、出張のたびに、地方の骨董店や窯元などに立ち寄って集めたものだ。
全国各地の焼き物を持っているが、やはりだんだんと自分の好みの焼き物が集まってくるようになる。やはり、惹かれるのは釉薬を掛けていない無釉の焼き物だ。岡山には度々出張する機会があったので、自然と備前焼が増えてしまった。人の力が及ばない、土と炎の不思議を感じさせてくれるのが、備前焼の素晴らしいところだ。
いよいよ置く場所もなくなってきたので、最近はあまり買わないようにしているが、良い物が目に止まると無性に欲しくなり、ついつい手が伸びてしまい、後で悔やむことになる。しかし、いろいろなことに興味を持っていることは大切なことだ。日常生活の中で、見逃していることも、事前に知識や興味を持っていれば、思わぬ発見に繋がることがあるからだ。
先日も「なんでも鑑定団」で、備前焼の手榴弾が鑑定に出されていた。
物資が乏しくなり鉄がなくなった太平洋戦争末期、軍部の命令により日本全国の窯元に対して陶器製の手榴弾の製造が命じられたわけだ。
この手榴弾を見て、ひと目で山本陶秀作の手榴弾だとわかった。当時、この製造に関わった人間国宝の山本陶秀氏(故人)が、ほとんど同一の手榴弾を手にした写真が焼き物の雑誌に掲載されているのを以前に見たことがあったためだ。鑑定団に出されたものも、山本陶秀氏の窯で焼かれたもので、類似のものが、備前陶芸会館に展示してある。
この雑誌の中で、山本陶秀氏は手榴弾を作らされた当時を振り返って「あんな時代は二度と来てほしくない。」と不幸な時代を嘆いていたが、まったくその通りだ。
わざわざ壊すための焼き物を作ることは、1000年を越す備前焼の歴史の中でおそらく最も屈辱に満ちた事件だったのではないだろうか。
これからの1000年は、今のような平和な焼き物の里であるように願わずにはいられない。