時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

子孫に美田を残さず

2006年12月26日 | 思い出/わが家
「子孫に美田を残さず」という言葉がある。中国の故事なのかと思って調べてみると、どうも西郷隆盛の言葉らしい、が定かではない。
さて、編集長には社会人2年目の娘と大学3年になる息子がいるが、先日、娘が冬のボーナスを随分もらったという話をしたので、この言葉を引用して、子供に財産を残すとろくなことはない。2人の子供たちには財産は一切残さないから、無駄使いをせず、自分の生活設計は自分でしっかりと立てて暮らすように、と少々訓辞を垂れておいた。
それを聞いた娘は、芸能人などの金持ちの息子、娘には確かに問題を起こすのが多い。親が金持ちだったり、大金を相続したりするとろくなことはないのかもしれないと、妙に納得した様子であった。
そんな話をした日の午後、妻と娘が一緒に買い物に出かけたのだが、その時の娘の話を妻から聞かされた。
それによると、12月の半ばにあった娘の中学校時代の同窓会で、卒業後の話や仕事の話題になったようだ。同窓生の中で大学に進学した者は少なく、高校あるいは専門学校を卒業して仕事に就いている者が多かったが、折しも、バブル崩壊後の不況期のため、学校を卒業しても就職には大層苦労したようで、正社員は少なく、非正規雇用が多いという。こういう時期に、自分は幸いにも景気の良い業界に就職できた。大学まで出させてもらい、わが家の子供で良かったいう話だったそうだ。
この時代、子孫に美田を残すことはなかなか難しいが、せめて、子供たちが希望する教育や訓練を受けさせることができ、社会人として生きていく力を付けさせることができたことを喜んでいる。
高校全入と言われる時代で、しかも少子化のため、希望者は大学に入れる時代とはいうが、国立大学でさえ、年間の授業料は50万円以上である。ちなみに、編集長が学生の頃は3万6千円だった。私立大学になれば、授業料だけで軽く100万円以上になるだろう。
今のように、生活保護世帯やワーキングプアと呼ばれるような世帯が、全世帯の1割を占めるようになり、生活保護水準ではないにせよ、非正規雇用などで年収が低い場合、子供たちに希望する教育や訓練を受けさせることは難しいのではなかろうか。
国民は等しく教育を受ける権利を有するが、経済的な理由によってこれが阻害されるのは大変悲しいことである。
子供には無限の可能性がある。親から美田を譲り受けなくても、どの家庭の子供たちも社会人として立派に独り立ちできるような社会環境を整えることが政治の責任ではなかろうか。