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片山敬済。(番外編vol.321)

2013年08月24日 09時58分38秒 | Weblog
日本人ライダーがWGPで活躍した90年代からさかのぼること10数年前の77年、

日本人初となるワールドチャンピオンを獲得した「片山敬済」選手ですよ。

当時はまだ日本でのバイクレースブームは到来しておらず、

テレビでもその活躍を見ることが出来なかった時代。

そんな時代の中、74年からWGPに参戦していたのが「片山敬済」選手だったんですよね。

国内レース時代から圧倒的な速さをもっていて、

当時のヤマハワークスと契約を結び、中半強引に参戦したと言われています。

本人はかなり気性の荒い性格で、身勝手と思われた部分もあったようですが、

それだけレースに駆けるモチベーションが高く、

その結果、素晴らしい成績を収めたと言えそうです。

77年に350ccクラスでタイトルを取り、78年から500ccにも参戦します。

79年にはヤマハからホンダに移籍し、当時でも珍しかった4ストのNR500で参戦。

ただしこのマシンは実験段階にあったため、従来の2ストほどの性能は無く、

低迷時期を迎える結果となっていまいます。

しかし82年、ホンダワークスのNS500に乗り換えてからは、

めざましい活躍を見せ、第10戦スウェーデンGPで日本人初の500cc優勝を果たします。

この時代はケニーロバーツ選手やバリーシーン選手などの超天才ライダーがいた時代。

80年代で海外選手と同等に走れるライダーは彼以外いなかったので、

このことは後世まで語り続けられていますよね。

83年には何度となく表彰台をゲットしてて、

優勝フレディースペンサー選手、2位「片山敬済」選手、3位ケニーロバーツ選手といった、

光景も見られるほどでした。

84年は前年のケガでほとんど参戦出来ず、

85年からはワークスを離れプライベーターとして参戦します。

86年に事実上の引退をしますが、その後Racing team KATAYAMAを作り監督に就任。

90年代からはパリダカなどに参戦します。

とにかく世界に通用する日本人ライダーがいなかった時代に、

唯一、素晴らしい成績を残した人としてボクの中でもその存在は大きかったですね!




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