60年代に活躍したイギリス人ライダー「デイブ・シモンズ」選手ですよ。
彼の国際レース参戦は63年のマン島TTよりスタートします。
チームは当時ホンダに次ぐ日本の製造メーカーであったトーハツからエントリー。
途中ホンダとも契約を交わし68年シーズンまでマン島TTのみのスポット参戦をしていました。
で、69年についにカワサキ・ワークスとフル参戦契約を果たしWGPに本格的に
乗り込むカタチとなります。
125cc、250cc、350ccとトリプルエントリーし、
125ccで全12戦中8勝、2位を2回獲得し圧勝でワールドチャンピオンを獲得します。
70年には表彰台の常連になるも総合4位。
71年にはケガもあって総合6位となっています。
しかし72年シーズンを終えてノンタイトル・レースであったフランスのエリア選手権で、
パドックの火災に巻き込まれて死亡。
享年33歳でした。
69年に獲得したワールドチャンピオンはカワサキにとっても初の快挙で、
80年代にアントン・マンク選手が250ccでチャンピオンになるまで、
勝利はありません。
日本のカワサキに貢献した人物だったんですよね。
「デイブ・シモンズ」選手の場合、けして天才的な速さを持っていた訳ではなく、
地道に努力を重ねる選手だったようです。
また悲しいかな、この時代の選手はとにかく亡くなる方が多かったですね。
彼の国際レース参戦は63年のマン島TTよりスタートします。
チームは当時ホンダに次ぐ日本の製造メーカーであったトーハツからエントリー。
途中ホンダとも契約を交わし68年シーズンまでマン島TTのみのスポット参戦をしていました。
で、69年についにカワサキ・ワークスとフル参戦契約を果たしWGPに本格的に
乗り込むカタチとなります。
125cc、250cc、350ccとトリプルエントリーし、
125ccで全12戦中8勝、2位を2回獲得し圧勝でワールドチャンピオンを獲得します。
70年には表彰台の常連になるも総合4位。
71年にはケガもあって総合6位となっています。
しかし72年シーズンを終えてノンタイトル・レースであったフランスのエリア選手権で、
パドックの火災に巻き込まれて死亡。
享年33歳でした。
69年に獲得したワールドチャンピオンはカワサキにとっても初の快挙で、
80年代にアントン・マンク選手が250ccでチャンピオンになるまで、
勝利はありません。
日本のカワサキに貢献した人物だったんですよね。
「デイブ・シモンズ」選手の場合、けして天才的な速さを持っていた訳ではなく、
地道に努力を重ねる選手だったようです。
また悲しいかな、この時代の選手はとにかく亡くなる方が多かったですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます