あまり毎日震災のことでへこむのもなんなんで、
今日はボクのヒーローのお話。
専門学生の頃、ボクの一番の趣味はバイクでしたが、
その頃、バイクレースで活躍していたのが「平忠彦」選手です。
当時は世界に通用する選手が日本人にはいなかった時代だったので、
唯一、それに近い強いライダーが彼だったんですよね。
国内では無敵を誇っていて、海外の最高峰レースWGPでも
250ccクラスで1度だけ優勝したことがあります。
あの優勝したサンマリノGPはボクの中では忘れられないですね。
嬉しくて手描きでポスターも描いたっけ。
ほんとヤマハマルボロカラーの「平忠彦」選手がカッコ良かったです。
1990年の8時間耐久レースも忘れられないですね。
テック21カラーのヤマハWZF750に乗って
6年越しの優勝を飾ったレ-スでした。
その後、新しい若いラーダーが続々と登場し、
日本人ライダーが世界で活躍するようになるのですが、
ボクの中ではやっぱり「平忠彦」選手ですね!
本人は生真面目で田舎者だったようですが、
当時のボクに勇気を与えれくれた人です。
今日はボクのヒーローのお話。
専門学生の頃、ボクの一番の趣味はバイクでしたが、
その頃、バイクレースで活躍していたのが「平忠彦」選手です。
当時は世界に通用する選手が日本人にはいなかった時代だったので、
唯一、それに近い強いライダーが彼だったんですよね。
国内では無敵を誇っていて、海外の最高峰レースWGPでも
250ccクラスで1度だけ優勝したことがあります。
あの優勝したサンマリノGPはボクの中では忘れられないですね。
嬉しくて手描きでポスターも描いたっけ。
ほんとヤマハマルボロカラーの「平忠彦」選手がカッコ良かったです。
1990年の8時間耐久レースも忘れられないですね。
テック21カラーのヤマハWZF750に乗って
6年越しの優勝を飾ったレ-スでした。
その後、新しい若いラーダーが続々と登場し、
日本人ライダーが世界で活躍するようになるのですが、
ボクの中ではやっぱり「平忠彦」選手ですね!
本人は生真面目で田舎者だったようですが、
当時のボクに勇気を与えれくれた人です。
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