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平忠彦。(番外編vol.328)

2013年09月02日 08時54分47秒 | Weblog
80年代の日本人ライダーで忘れてはならない存在の1人「平忠彦」選手ですよ。

83年から85年の3年連続全日本ロードレース選手権500ccチャンピオンです。

当時、国内では圧倒的に速かった「平忠彦」選手で、

とにかくファンが多かったですね。

86年にマールボロ・ヤマハ・アゴスティーニから250ccクラスにフル参戦し、

最終戦のサンマリノGPで壮絶な激戦の末、優勝しています。

また80年代中盤で引退してしまった片山敬済選手を失い、

この時代の日本人ライダーは世界に通用する選手がほとんどいなく、

唯一「平忠彦」選手が期待の人材となります。

しかし結果的には87年のWGP500ccクラスで総合6位というのが最高で、

海外では、けして成功した選手という訳ではありません。

要因としては転倒が多く、ケガでシーズンを戦えなかったことが上げられます。

しかしながら、国内での人気は常に高く、

ヘルメットや鈴鹿8時間耐久レースでメインスポンサーだったTECH21カラーは

当時かなり人気だったため、レプリカが沢山売れていました。

「平忠彦」選手はルックスが良く、長身だったので女性からの支持も多かったですね。

また90年の鈴鹿8時間耐久レースは念願の優勝を果たし高い賞賛を浴びます。

バイクレースの人気が最盛期であり印象強く刻まれた時代でしたね。

現役としては91年シーズンまでで、翌年92年に正式に引退を発表。

以降は「TAIRA Racing」の運営と「YSPレーシングチームウィズTRC」のチーム監督として、

全日本ロードレース選手権JSB1000クラスや鈴鹿8時間耐久レースに携わっています。

物静かな性格ですが、バイクが大好きで人一倍闘争心が高く、

才能のあふれた選手だったですね!



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