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偽F1解説者ムーニーが語る。

2010年09月14日 09時46分35秒 | Weblog
ムーニーが始めてF1(フォーミュラー1)に興味を感じたのは小学生の時。

日本グランプリが始めて富士スピードウェイで開催された時です。

それをテレビ放送で見たのが切っ掛けですね。

時代は1976年、1977年。当時速かったのはニキ・ラウダ選手。

70年代の「F1」はウイングカーが全盛だったのですが、

このウイングカーって何かと言うと、飛行機の羽を逆にした車体構造のことです。

速く走るほど地面に向かって力が働くのですが、有る事件を切っ掛けに廃止になります。

この構造は一端クラッシュすると車体が上下反対になって、

空へ高く跳んでしまう危険があったんですよね。

結局ウイングカーは80年代初等に廃止され、

その代わりにエンジンにターボ(過給器)が取り付けられるようになります。

1,500ccのエンジンにターボが付いて馬力は1,000psを超えるモンスターになります。

当時はまだ空気力学がそこまで発達してなかったので、

この手に余るエンジンパワーにレース中事故が続出、死亡事故が相次ぎます。

F1を統括する(FIA)がそれを懸念し80年代中盤でターボ車の廃止を決定。

移行、排気量規制はあるもののNA(ノンターボ)が主流になります。

その先駆けとして80年代後半から90年代初等まで日本のホンダエンジンが活躍します。

アイルトンセナとマクラーレン、そしてホンダエンジンのパッケージで、

有名なセナ時代を築いていくんですよね。

90年代初等から中半に入るとハイテク装備が戦闘力を左右するようになります。

あらゆる部品にセンサーが搭載され自動化されることで速いチームと遅いチームが、

はっきりと別れてしまうようになります。

シフトのオートマ化もこの頃から始まります。

ドライバーの力量だけでは勝てない仕組みに、またFIAが新しい規制を増すのですが、

逆にここからメーカーの開発競争も激化し始めるんですよね。

どんなに規制を設けても、それを超えるハイテクを装備するイタチごっこが始まります。

2000年を過ぎた頃から近年までその傾向は続きます。

この頃、速かったドライバーはミハエルシューマッハ選手。

まさに高額なお金を投資した自動車会社のメーカー競争ですね。

そんな中、2009年に大がかりな改訂がかせられます。

常に速いチームを避ける、またオーバーテイク(抜く)しやすいマシンにする。

これまでに無かったほどの大幅規制です。

現在のマシンがそれにあたいするのですが、お陰でレースは混戦状態になっています。

1人の速いドライバー時代は終わり、チーム総力で勝敗を競っています。

でも、逆にスター選手がいなくなり、日本では「F1」の人気も陰りを見せ始めてる気がします。

以上、偽F1解説者ムーニーが語るでした。(笑)