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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

「のもとファーム」は本格的な野菜水耕栽培農場になりつつある。  中津シリーズ その1

2011年11月15日 | 大阪あちこち
〇大阪の中津にあるビルの屋上でキャベツ、水菜、春菊、大根、紫イモなどが生き生きと育っている。
 

 

 

 
〇魚のテラピアを水槽で生育させ、水槽の排水を有機肥料にして循環させる試みも定着したようだ。

〇屋内ではいまレタスへのLEDの光の照射時間の最適解を探す試行が続いている。

〇収穫された紫イモで出来た、オーナー夫人お手製の「きんとん」は滑らかで、ケーキのようにおいしい。

「のもとファーム」のHPはこちら

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篠山市のマンホールのフタ  篠山シリーズ その3

2011年11月14日 | 関西あちこち
篠山は城下町らしく大手坂という地名があり、河合雅雄さんや隼雄さんなどの河合兄弟が生まれ育った町で
河合整形外科の看板もあった。長男さんの医院かもしれない。


Wikipediaから一部引用。
河合兄弟を育んだ篠山は周囲を山に囲まれた盆地にある城下町である。当時の篠山は、多種多様な生き物や植物など豊かな生態系に恵まれた自然豊かな土地であった。河合は幼い頃、小児結核にかかり病弱だったが、野山を駆け回る少年だった。河合は自然とのふれあいをたくさん持てたことが、困難を乗り越える原動力になったという。河合は現在、丹波地方で兵庫県が進める「丹波の森構想」の公苑長、隣接市にある兵庫県立人と自然の博物館の館長などを務め、里山復興と子どもの自然教育に力を注いでいる。

河合家  河合雅雄は7人の男兄弟の三男であり、長男・仁は外科医、次男・公は内科医、四男・迪雄は歯科医、五男・隼雄は臨床心理学者(京都大学教育学部名誉教授)、六男・逸雄は脳神経学者(京都大学医学部元助教授)である。

甥に臨床心理学者の河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター教授)、法社会学者の河合幹雄(桐蔭横浜大学法学部教授)、工学者の河合一穂(京都大学国際融合創造センター元非常勤研究員)、歯科医の河合峰雄(日本歯科麻酔学会理事)などがいる。

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「世界平和アピール七人委員会」の講演は面白かった    篠山シリーズ その2

2011年11月13日 | 関西あちこち
テレビとは違った面白さが講演会にはある。講演者の表情、物言い、目力などに、その人の地がモロに出るのも興味深い。
今回は七人のうち五人が話をされた。どの人も上から目線ではない、自分も3.11以降の日本で暮らす生活者である立場で話をされた。

講演会の初めに、七人委員会の創立者である「下中弥三郎」さんの紹介がお孫さん(平凡社の役員)からあった。
下中弥三郎さんは、篠山市今田(こんだ)の窯元の子として生まれた。(今田には今も立杭焼の窯元が多くあり、
私も「のもとファーム」オーナー夫妻に誘われて、今田を訪ねたことがある。登り窯の写真には見覚えがあった。)
2歳の時に父を亡くし、7歳で祖父がなくなる。7歳で戸主となり、ほかの窯元の陶土の運搬人として一家を支えて、小学校も3年生で退学した。
 人並み外れて向学心が強いことを、隣家の中井医院の先生が知り、本の提供などサポートを受けた。
 当時はまだ先生不足で教員試験の受験資格は特になく、試験に通れば良かった。彼は19歳の時、最初の一回で教員試験に合格。
神戸に出て雲中小学校の代用教員に採用される・・。ここから先は、まさに自ら我が運命を切り開いた明治の男の物語がはじまる。

 彼には自分探しをやるような暇はなく、日々自分と家族の口に何か食べるものを入れる金を稼ぐしかなかった。
世の中の森羅万象の現象すべてに猛烈な好奇心をもって、自分で極めたかった人。そして行き着いたところは、丸腰の思想だった。
丸腰であれば、人は暴力を振るおうとは思わない。軍備を整えると戦争がしたくなる・・
 盛りだくさんのエピソードを聞いて、こんな人がこの日本にいたのかと嬉しかった。同じ出版人の岩波茂雄とは出版物の
フィールドが違うが、それは彼らの歩いた道筋の違いだけで、強い「知への探求心」は共通している。


 
世界平和アピール七人委員会のHP


2011-11-12平和委員会講演会@篠山

右下の「拡大アイコン」をクリックして大型画像で見てください。

2011 11 12七人委員会@篠山
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宝塚から丹波篠山へ   篠山シリーズ その1

2011年11月12日 | 関西あちこち

「世界平和アピール七人委員会」の講演会を聞きに丹波篠山へ行きました。

今回初めて知ったのですが、この委員会の発案者である 出版社の平凡社の創立者 下中弥三郎さんは丹波篠山の出身でした。

彼が亡くなって50年が経過した記念の年に、彼が生まれ育った篠山で講演会が開かれたのです。

下中弥三郎の名前は百科事典の「平凡社」の創業社長ということで名前を知ってはいましたが、

出身地や七人委員会の発案者であることは知りませんでした。

 篠山は今はむしろ“河合 隼雄”さんとその兄弟の出身地であることで知られていると思います。

阪急西宮から宝塚へ。宝塚でJR福知山線に乗り換えて約40分で篠山口駅につきます。ここから篠山の中心へはバスで15分くらいかかります。

 明治の頃、鉄道が敷かれる計画が公になったとき、真っ黒な煙を吐く鋼鉄の化け物を街に通すなという運動が当時の有力者の間で起こった町が日本には沢山あります。

おそらく篠山も城下町であったことで線路を忌避したのでは?

自分がかって住んだ場所の近辺では、常磐線の藤代の奥の龍ヶ崎市は当時、絹織物の産地で隆盛を極めていて化け物は町を通さないことになり、JRの駅はありません。

もう一つの住んだ街である愛媛県の新居浜市も 予讃線の新居浜駅は当時の町の中心からは遠く離れた場所に駅があります。

 講演会が始まるのは午後一時半からでしたが、十二時頃に町の中心部について篠山城址や商店街をぶらぶらしてとろろ蕎麦をたべてから会場へ向かいました。

以下 篠山城址の画像です。








武家屋街もそのまま残っています。


 画像アルバムは左下の                  拡大アイコンをクリックして大画面でどうぞ。↑

 宝塚から丹波篠山へ
                       
                        

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純米吟醸 別撰金寿の「真澄」を持参して頂いた

2011年11月11日 | ある日の肴/夕食
信州諏訪の「純米吟醸 別撰金寿 真澄」を持参して頂いた。日本酒の一升瓶はずしりと重い。
はるばる諏訪から塩尻と名古屋で列車を乗り換えて神戸まで、一升瓶を持ってきていただいた。
新神戸駅で出迎えてキャリーバッグのあまりの重さに驚いたら、「真澄」を土産に持ってきたよと。
仕事関係の書類と4日ほどの旅行用品が入った中に、日本酒の箱も。驚きました。
本当にありがとうございます。大切に飲ませて頂きます。


製品のサイトはこちら
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 トワイライトの御堂筋

2011年11月09日 | 大阪あちこち
中央線で堺筋本町から本町へ戻り、御堂筋線に乗り換えて淀屋橋駅で下りました。
駅前第2ビルに所用があったので久しぶりに御堂筋を大阪駅方面に歩きました。





新装なったJR大阪駅にある梅田大丸で「ほぼ日・・」の特別売り場によって、ほぼ日手帳の実物を見てから
地下の「銀座あけぼの」売り場でおかきを買いました。

それから梅田地下街の「奴」にしばしの時間寄って、阪急梅田駅へ急ぎました。
朝10時半に家を出て阪神電車で九条へ。梅田廻りで家に19時帰着のちょっとしたOsaka小旅行でした。


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2011-11-08阪神尼崎から九条へ・阪神なんば線に乗る。

2011年11月08日 | 大阪あちこち
2011-11-08尼崎から九条・阪神なんば線.wmv

大阪の九条の“シネ・ヌーヴォ”に「越後つついし親不知」を見に行きました。
阪神御影駅で特急に乗り、尼崎でなんば線に乗り換えて九条へ。
佐久間良子さんを初めて見ましたがなんとかわいらしい!小沢昭一の凄さは知っている積りでしたが
こんなに純に役柄に打ち込むとは!そして三国連太郎のいやらしさ!
日本映画の最盛期の作品は本当に世界レベルだと思います。



帰りは地下鉄中央線に乗り、堺筋本町の居酒屋で映画仲間のNさんと一杯。いつものコースです。
ランチタイムの定食が終わると、3時過ぎから居酒屋というのが嬉しい。
 

 





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北海道は今、紅葉、黄葉の季節

2011年11月04日 | 船橋社中

今年も札幌から紅葉の季節の便りが届きました。CKKさん、素敵な写真を沢山ありがとうございます。
『今年は紅葉、黄葉とも、あまりかんばしくありませんでした。カエデは殆どが、黄色から紅くならずに枯葉になり、
ナナカマドも大部分は黒ずんだ色になりました。白樺の葉はきれいな黄色になるはずが、茶色に近い色や、緑色のまま、
落ちてしまっています。ドウダンツツジがなんとか、紅い色を見せてくれましたが、足並みは揃いませんでした。
イチョウの葉だけは何とか面目を保って、きれいな黄色になりました。(トップの画像↑真駒内公園)
〇リス公園のナナカマド。但し、この公園にリスはいません。

〇北ノ沢公園近く ウルシ

〇北ノ沢公園近く カエデ

〇北ノ沢公園      落ち葉

〇真駒内公園      カエデ

〇真駒内公園      広場
 
〇ドングリ公園  ドウダンツツジ   でも、この公園にどんぐりはありません。

〇北ノ沢公園   カエデ

〇北ノ沢公園   シラカバ
  
〇この山裾の住宅地に最近ヒグマが出没、TVのニュースになっています。

ヒグマは「こっこ」(子供)だそうです。昨年はドングリが豊作で、クマの世界もベビーラッシュに沸いたようですが、
今年は一転してドングリが不作で、怖さを知らない「こっこ」達が人間の世界に足を踏み入れているようです。
もちろん「こっこ」だけではありません。退治された大人の熊の胃の中は空っぽだったそうです。

紅葉、黄葉が綺麗じゃなかったり、クマが市街地に現れるなんていうことは、何か狂ってきているんでしょうね。』 

♪ 昨年の紅葉の画像はこちら

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串カツ「まるたけ」はサービスデーだった。

2011年11月03日 | 食べる飲む

2か月ぶりに寄った「まるたけ@JR六甲道駅」。カウンター席の暖簾をくぐったとたん
「ああ、ええ時に来てくれはった!いまビール百円ですねん。」と大将が云った。
戦前生まれの阿智胡地亭と同年兵の大将は、タクシー、トラック、バスの運転手を通算16年ほどやっていたそうだ。

 兵庫県と鳥取県の県境にある戸倉峠では、冬季なんども危うく死にかけたとか。
カウンターに座れば大将と必ず世相談義で盛り上がる。この日は満席で忙しそうだった。
聞くと「午後までは暇でしてんけど、夕方から飲む人がボチボチ増えてきて」と。

 期間限定サービス価格のビールを2杯飲んで、これまたサービス価格一本50円の串を頼んでしばらくだべってから帰った。

タマネギ、レンコンがいつもの決まりだがこの日はアジとホタテの貝柱を追加した。

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魚崎郷までウォーキング

2011年11月01日 | 神戸あちこち
1日1時間歩くのを続けることで、血圧を下げる薬を飲まなくても見事に平常値に戻ったと友人に聞いた。
それではと思って、「ぶらぶら1日壱漫歩シリーズ」を再開することにした。神戸市内を歩いた過去の「1日壱漫歩シリーズ」はこちら
☆県立御影高校の正門前の道をまっすぐ浜側へ国道43号線まで下りて、次は東に向かい魚崎まで行った。
住吉川の河口では釣りをする人がいた。

大震災前は魚崎郷の造り酒屋の工場と倉庫が並んでいたが、今はマンション街になっている。


  
昔の防波堤がそのまま残っている。40年ほど前まで防波堤の右側が波打ち際だったはずだ。
 

 
帰りは阪神魚崎から御影へ電車で戻って、
 

 
ちょうど5時に開店したばかりのライオン堂で、ワンコインのビールと串揚げをやってから帰った。
こんなことをして、血圧は下がるのか??
 
大型画像で見る場合はこちら
「灘の酒蔵案内板」など全画像を、原寸大以上に拡大して見ることが出来ます。

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晴天の六甲台に上がりました。  その2

2011年11月01日 | 神戸あちこち
東京に帰る友人と、これから郷里の富山に足を伸ばしてから東京に帰る友人と正門前で別れ、
工学部のキャンパスの中を通ってショートカットの道を40分ほど歩いて帰宅しました。







ピッツアの店「イル・ヴェント」には、残念ながらしばらくご無沙汰しています。





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