







〇魚のテラピアを水槽で生育させ、水槽の排水を有機肥料にして循環させる試みも定着したようだ。

〇屋内ではいまレタスへのLEDの光の照射時間の最適解を探す試行が続いている。

〇収穫された紫イモで出来た、オーナー夫人お手製の「きんとん」は滑らかで、ケーキのようにおいしい。

「のもとファーム」のHPはこちら。
「世界平和アピール七人委員会」の講演会を聞きに丹波篠山へ行きました。
今回初めて知ったのですが、この委員会の発案者である 出版社の平凡社の創立者 下中弥三郎さんは丹波篠山の出身でした。
彼が亡くなって50年が経過した記念の年に、彼が生まれ育った篠山で講演会が開かれたのです。
下中弥三郎の名前は百科事典の「平凡社」の創業社長ということで名前を知ってはいましたが、
出身地や七人委員会の発案者であることは知りませんでした。
篠山は今はむしろ“河合 隼雄”さんとその兄弟の出身地であることで知られていると思います。
阪急西宮から宝塚へ。宝塚でJR福知山線に乗り換えて約40分で篠山口駅につきます。ここから篠山の中心へはバスで15分くらいかかります。
明治の頃、鉄道が敷かれる計画が公になったとき、真っ黒な煙を吐く鋼鉄の化け物を街に通すなという運動が当時の有力者の間で起こった町が日本には沢山あります。
おそらく篠山も城下町であったことで線路を忌避したのでは?
自分がかって住んだ場所の近辺では、常磐線の藤代の奥の龍ヶ崎市は当時、絹織物の産地で隆盛を極めていて化け物は町を通さないことになり、JRの駅はありません。
もう一つの住んだ街である愛媛県の新居浜市も 予讃線の新居浜駅は当時の町の中心からは遠く離れた場所に駅があります。
講演会が始まるのは午後一時半からでしたが、十二時頃に町の中心部について篠山城址や商店街をぶらぶらしてとろろ蕎麦をたべてから会場へ向かいました。
以下 篠山城址の画像です。
武家屋街もそのまま残っています。
画像アルバムは左下の 拡大アイコンをクリックして大画面でどうぞ。↑
宝塚から丹波篠山へ
今年も札幌から紅葉の季節の便りが届きました。CKKさん、素敵な写真を沢山ありがとうございます。
『今年は紅葉、黄葉とも、あまりかんばしくありませんでした。カエデは殆どが、黄色から紅くならずに枯葉になり、
ナナカマドも大部分は黒ずんだ色になりました。白樺の葉はきれいな黄色になるはずが、茶色に近い色や、緑色のまま、
落ちてしまっています。ドウダンツツジがなんとか、紅い色を見せてくれましたが、足並みは揃いませんでした。
イチョウの葉だけは何とか面目を保って、きれいな黄色になりました。(トップの画像↑真駒内公園)
〇リス公園のナナカマド。但し、この公園にリスはいません。
〇北ノ沢公園近く ウルシ
〇北ノ沢公園近く カエデ
〇北ノ沢公園 落ち葉
〇真駒内公園 カエデ
〇真駒内公園 広場
〇ドングリ公園 ドウダンツツジ でも、この公園にどんぐりはありません。
〇北ノ沢公園 カエデ
〇北ノ沢公園 シラカバ
〇この山裾の住宅地に最近ヒグマが出没、TVのニュースになっています。
ヒグマは「こっこ」(子供)だそうです。昨年はドングリが豊作で、クマの世界もベビーラッシュに沸いたようですが、
今年は一転してドングリが不作で、怖さを知らない「こっこ」達が人間の世界に足を踏み入れているようです。
もちろん「こっこ」だけではありません。退治された大人の熊の胃の中は空っぽだったそうです。
紅葉、黄葉が綺麗じゃなかったり、クマが市街地に現れるなんていうことは、何か狂ってきているんでしょうね。』
♪ 昨年の紅葉の画像はこちら。
2か月ぶりに寄った「まるたけ@JR六甲道駅」。カウンター席の暖簾をくぐったとたん
「ああ、ええ時に来てくれはった!いまビール百円ですねん。」と大将が云った。
戦前生まれの阿智胡地亭と同年兵の大将は、タクシー、トラック、バスの運転手を通算16年ほどやっていたそうだ。
兵庫県と鳥取県の県境にある戸倉峠では、冬季なんども危うく死にかけたとか。
カウンターに座れば大将と必ず世相談義で盛り上がる。この日は満席で忙しそうだった。
聞くと「午後までは暇でしてんけど、夕方から飲む人がボチボチ増えてきて」と。
期間限定サービス価格のビールを2杯飲んで、これまたサービス価格一本50円の串を頼んでしばらくだべってから帰った。
タマネギ、レンコンがいつもの決まりだがこの日はアジとホタテの貝柱を追加した。