あれは、食べられるもんやない、「放るもん」や。[ホルモン]の名前の由来らしい。
今回の五M会は初めて和食系の店から離れて「ホルモン」の店に5人が集まった。阪神西宮駅東口から歩いて4分の近さだ。
「ホルモン屋 ぎんちょう」には参った。最初ナムルを口に入れた瞬間からもう「おっ、お主やるな」と思った。
きっと、仕入れの段階から高いレベルで選別した食材を入れているのと(おそらく仕入れ先でも〝ぎんちょう〟向けを意識していると思う)、
客に出す前の「前準備」というか「下ごしらえ」に、神経を集中し、客に出すまでの品質管理に万全の意識を払っている。
しかも客がうまく食べられるように、お客さんの卓上のコンロの火力の状態にも従業員がさりげなく目を配っている。
「ここまできちんと整えてるんやから、お客さんもベストの焼き方で食べて欲しいわ」というオーナーの思いが伝わってくる。
これまで博多広島大阪東京神戸などで食べた焼肉・ホルモン系の店の中で「ぎんちょう」が一番うまかった。
メニューのマッコリの中の「“生”マッコリ」を頼んだが、一口飲んでスッキリ感に驚いた。
口には甘さが全く残らず、こんなマッコリはほかの店で飲んだことがない。
豚足もトロリ感が別物だ。
5M会の例会には李欧さん、これからも時々「ぎんちょう」を是非お願いします。
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〇ライオンも虎も肉食獣は獲物を倒すと、まず最初に食らいつくのが内臓だ。肉の中では内臓が一番うまいことがわかる。
明治以降、肉食系の欧米人は日本に駐在を命じられると嫌々やってくる人も多かったが、新鮮なホルモンが
本国では考えられない安値で手に入ることを知ると狂喜した。向こうでは動物の内臓は値段が高くて金持ちでないと買えないからだ。
1頭から得られる内臓はそう多くないし、傷みが早いから、他の部位の肉よりはるかに出回る量も少ない。それが日本では、
「放るもん」のポジションに置かれていて、あってないような価格で手に入る。
ただ、今や日本人も欧米人並みとはいかないが、ホルモンをよく食べるようになり、日本でも昔ほど値段は安くはない。
しかしそれでも肉食系人種にはあまり表に出ないこの理由で、日本という国は非常に嬉しい所だと聞いた。
〇日本では江戸時代を通じて肉食は禁止されていたと思われているが、それは事実ではない。
⇒諏訪明神を語る上で欠かせない物に、
”鹿食免”いわゆる肉食許可証がある。
これは、仏教の影響を受け肉食が忌まれていた時代に、
諏訪の神だけが発行することが許された神札である。
狩猟の神としても名高い諏訪大明神では、
神事における獣肉の供物、狩猟、鷹狩りなど、
権力者がそれを禁じていた時代においても、
それらは特例で許可されていた。
また、猟師たちは諏訪講を作って諏訪信仰を行い、
”諏訪明神の四句の偈”をもって罰除けとした。
「業尽有情 離放不生 故宿人身 同証仏果」
寿命の尽きた動物は放っておいても死ぬのだから、
人間が食べてあげて極楽往生させてもらうのが一番良い、
という意味である。
諏訪神社への参拝者はこのお札を頂いて帰るが、
一方で神社側も各地へ人を派遣して、
諏訪明神のご利益を説いて回ったという。
(全国2500社に及ぶ諏訪神社の拡大は、
実はこの肉食免許という現実的な欲望に目を付けた、
諏訪明神側の巧みな営業努力の賜かもしれない。)
こうした背景を考えると、御頭祭から農耕祭祀の意味合いが消え、
狩猟による肉食の面だけが抽出されてきたのが、
菅江真澄が目撃した御頭祭だったのではないだろうか。
国司の使者は、狩猟の禁制をはねのけて神威を護ったことなのか、
それとも鹿食免発行の認可が下りた喜びなのか。
諏訪大社御頭祭その2
こちらから引用。
〇日本の狩猟民族の歴史を実感する「神長官守矢資料館」
こちら
この資料館の設計は、すぐ近くに実家がある「
藤森照信」さんが「守矢家の当主」の依頼を受け行いました。
茅野に行かれることがあれば、ぜひ足を伸ばしてください。阿智胡地亭にとっては資料館のある一帯はパワースポットで、
ある一線からゾーンに入るときに身体が震えると言う体験をしたところです。