阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

地名は変わる            ( 2008年05月29日(木)の阿智胡地亭の非日乗に掲載)

2020年03月19日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

1、北方謙三が日経朝刊に連載している「望郷の道」は今、台湾を舞台にして物語が進んでいる。

先日から文中に「打狗」という地名が表れた。(タークヮオ)とカナが振ってある。その町の台湾に於ける位置の説明と、

読みから現在の「高雄」の旧名らしいとわかった。

「高雄」は標準語(マンダリン)では「カオシュン」と発音する。

中国鋼鉄の製鉄所建設当時、出来の悪い新人輸出部員としてよく出張した「高雄」は、昔からの地名だと思っていたがどうもそうではないらしい。

調べるとこういう経過を辿って「高雄」になったことがわかった。

「高雄は、寿山(万寿山、または打鼓山、あるいは打狗山。日本時代の名称は高雄山)というテーブル状の大きな台地(標高200m)の

ふもとに位置する港である。海からの目当てになる山と、旗津という名の砂州に保護された潟は、古くから良港として知られていた。

17世紀に打狗(台湾語ではターカウと呼ばれた)という小さな村から発展し、都市へと成長した。

ターカウとは、原住民平埔族マカタウ族の集落タアカウ社の名称に由来し、そのマカタウ族の言語で「竹林」を意味する言葉であった。

1624年にオランダは、この場所に砦を築いたが、1661年に漢人によって駆逐された(鄭成功を参照)。

1684年に打狗は鳳山県と改名され、台湾府の一部として取り扱われた。1880年代に打狗は開港した。

1895年に下関条約により日本に台湾が割譲されると、日本は海軍の南方方面での補給港を確保すべく打狗開発を進めた。

地名に関しても1920年に打狗と発音が近い高雄(歴史的仮名遣はたかをと表記)に改称した

戦後台湾を支配した国民党でも高雄の表記を継承し現在に至っている。

しかし現地の台湾語での会話の中では現在も旧称のターガウと称されることもある。」
『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部引用

一言で言えば、字ズラがよくないとしたかして「打狗」を嫌った日本の役人が発音の似た「高雄」という字を当てたのだった。

そして次に高雄を中国人が中国語では「カオシュン」と読むようになったということだ。

2、地名の変遷はいくつもあるが、例えば、ご存知「コチカメ」の面白いポリスボックスがある?東京の「亀有」は、

もともと「亀なし」と言う地名だった。湿地帯で亀が多数群をなしていたから「亀成し」。
(山成す国である「やまなし県」と同じ用法)

ところが「なし」は「無し」に通じるということで、それを忌み言葉として「梨」を「有の実」と大奥の女房連中が言い換えたように

「かめなし」と言う地名が「亀有」に言い換えられた。

3、広島市内に江戸時代、上級武士の屋敷が立ち並び、現在は中央官庁の出先機関が多くある「白島」という一帯がある。
「白島」は「はくしま」と発音する。


広島で入居した単身者用マンションは白島にあったが、広島に行くまでにその住所を見て「しろしま」だと思っていた。

広島駅でタクシーに乗り「しろしま」へお願いしますとドライバーに言ったが通じない。しかし彼はすぐ「はくしま」ですねと言ってくれた。

不思議に思ってなぜ「はくしま」と重箱読みをするのか聞いたら、年配のそのドライバーは物知りの人で次のように説明してくれた。

♪江戸時代は水路で隔たれた島じゃった所に、武士の屋敷群があって、その島を「箱島」ゆぅた。それがだんだん埋めたてられて地続きになり、

人が島ゆぅて思わなくなったんじゃ。
ほいで箱ゆう字画の多い字の代わりに音の似た「白」ゆぅ文字をあてることがおゆぅなり、いつか 「箱島」ゆぅて誰も書かなくなったんじゃ。
今は正式な町名も白島じゃけぇ。♪

私は勉強してきた広島弁で言いました。「ありがとの、ほんにみやすい説明じゃった。」(みやすい)はこの場合(わかりやすい)という意味です。
(みやすい)は英語のeasyとほぼ同じ意味です。

なお「ありがと」はあに強勢を置かず、に強勢を置かないと広島弁にはなりません。

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