阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年04月18日(月)のブログ]

2023年05月23日 | 東日本大震災ブログ

  

2011年04月18日(月)
RCサクセション サマータイムブルース&LOVE ME TENDER

ムムリクさんのART日記に掲載されていました。それにしても23年前に既に、原発の安全に異を唱える歌手がいた事はしりませんでした。Wikipediaから引用・・

⇒本来は、所属レコード会社の東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)から1988年8月6日(広島平和記念日)に発売される予定だった。しかし、「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」で反核・反原発が歌われており、特に後者は露骨な原発批判のため、自身が日本の原子炉サプライヤーでもある親会社の東芝からの圧力がかかったと言われており[1]、先行シングル「ラヴ・ミー・テンダー」(6月25日発売予定)ともども、「素晴らしすぎて発売できません」という新聞広告(1988年6月22日付全国紙)と共に発売中止となる。

この発売中止事件の真相は後に明かされたところによると、FM大阪で当時忌野清志郎が担当していた番組「夜をぶっとばせ」のスタッフ慰労会が催された1988年6月9日の夜、忌野は同会には参加せず当時の東芝EMIの邦楽最高責任者、石坂敬一統括本部長に呼び出されていた。

その場で、『カバーズ』の発表を見合わせたい、もしくは「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」「マネー」「シークレット・エージェント・マン」の4曲をカットすれば発売してもいいという申し出を受けていた。元々1987年末の時点では3枚組という構想にまで達していた『カバーズ』はそれまでに既に11曲にダウン・サイジングされており、さらにそこから4曲をカットしたわずか7曲のミニアルバムにしろとの話であった。「ロックの東芝だからこそメッセージ色の濃い作品を出すべきだ」と主張する忌野と石坂の話し合いは平行線をたどる。

対談は翌日にも渡り、東芝EMIでも再度会議が行われたが、結局東芝内での決定は覆らず発売の中止が正式に決定する。これを聞き呆れ怒った忌野が訴えた「素晴らしすぎて出せないっていうんだったら、それを新聞に出してくれ」との言葉のみが受け入れられ、上述の新聞広告掲載となり、同時に発売の中止が決定した[2]。

だが、本作を望むファンの声が高まり、またマスコミに取り上げられたことで世論の後押しもあり、シングル、アルバム共にRCサクセション(以下、RCと略す)の古巣キティレコード(現・ユニバーサルミュージック)から8月15日(終戦記念日)に発売が実現した(皮肉にも後に石坂はユニバーサルミュージックの代表取締役に就任し、同社に移籍した忌野のアルバムを発売中止にしている)発売中止騒動や過激な内容の話題性から、シングル・アルバム通じてRC初のオリコンチャート1位を獲得。RC唯一のオリコン1位獲得作品である。

 
 
「チーム原子力村」の“力”その1 知らなかった小中学校の副読本
スポニチから引用。

「文部科学省と経済産業省が作製した原子力発電に関する小中学生向けの副読本に「大きな地震や津波にも耐えられる」
 
「放射性物質がもれないようしっかり守られている」などの表現が見つかり、高木義明文科相は15日の記者会見で「事実と反した記載がある」として内容を見直す考えを明らかにした。


東京電力福島第1原発事故を踏まえた判断。全国の小中学校などに約3万部を配布しているが回収を検討する。

副読本は小学生用の「わくわく原子力ランド」と中学生用の「チャレンジ!原子力ワールド」。2008年に改訂された新学習指導要領で原子力が重視されたため作られた。

内容は文科省関連の財団法人「日本原子力文化振興財団」のホームページでも公開していたが、13日に取り下げた。
引用先

☆“チーム原子力村”が40年間ほど思うままに運営してきた「エネルギー対策特別会計。「道路特別会計」などと同じ『特会』で

≪産学官報≫の権益集団は毎年5000億円ほどの税金をムラの中で自由気ままにに使ってきた。

出費の一つに原子力発電所の新規建設・運営維持のためのPR活動がある。文部科学省をも取り込んで副読本を作らせ、小中学生の若い脳みそに「原発は安全」という

信念を注ぎ込むムーブメントを続けてきたようだ。

副読本にも検定が適応されているから、文部科学省の官僚たちもチームメンバーだ。

おそらく既存の原発が老朽化し更新する時期がせまってきた頃に、原発賛成の空気をつくるために実行した手段だろう。

それにしても親の反対を押さえるのはなかなか困難だから、将来の大人である全国の小中学生の頭が柔らかいうちに原発安全神話を脳みそにぶち込む。

なんと頭のいいやり方だろう。中国ソ連など社会主義国が昔からやってきた手だ。

しかしチーム原子力村が隣の金王朝の手口を学習しているとは知らなかった。

この副読本を作らせた経緯を取材するのは面白い記事になると思う。


誰がどういう目的でやったのか公にする必要があるが、メディア業界の若手で誰かやってくれないだろうか。

今回は「原子力発電」の副読本だが、次も何かひかえているのだろうか?

「産学官報の権益集団」の“チーム原子力村”には新聞テレビ局も入っているから、都合の悪い事象の深追いは止められる。

このパワー集団はホント強い。「チーム原子力ムラ」の村民はめげずに今日も行く。

そして明日も行く。原発建設がなくなったら職場がなくなり仕事がなくなり、失業の憂き目にあうもんね。

「特別会計のはなし」財務省主計局

埋蔵金問題や道路特定財源の問題などで、最近特別会計についての議論が行われることが多い

本書は財務省主計局が国民向けに作った、特別会計を理解するための冊子だ。これは、書店販売ではなく、財務省ホームページから全文ダウンロードできる。

一般会計と比較して、とかく「不透明」といわれる特別会計だが、その全容を知るのにはちょうど良い。ただ、これを読む際には注意が必要である。あくまで財務省の目線で書かれているからだ。

例えば7ページの、「特別会計と一般会計の違い」の出だしはこうなっている。

「特別会計は、予算編成上の扱いや国会審議における扱いにおいて、一般会計との間に基本的な違いはありません。」

確かに建前上はそうだろう。しかし、実際の予算編成過程では両者には大きな隔たりがある。役人経験があれば誰でも知っていると思うが、一般会計と特別会計では、予算編成時の財務省の査定の厳しさが天と地ほども違うのだ。一般会計の予算については、その必要性などについて、財務省主計局が細かいところまでギリギリと詰めるのだが、特別会計となるとかなり緩い。これが特別会計が各省庁の既得権益化しているといわれる所以である。さらに特定財源(目的税等法律で使途が特定されている財源)が組み合わさると、ますます財務省のコントロールからは離れていく。

おそらくそのような状況は財務省としても望んでいないのだろうが、財務省自身は特別会計改革をあまり強く主張しているようにも思われない。政治サイドや他省庁に遠慮をしているのかもしれない。このような問題はおそらく、大きな政治的変動があった際に、政治の強いリーダーシップによって解決するしかないのだろう。

このように、多少“裏”を読む必要はあるものの、特別会計の概要を理解するのにはもってこいの冊子で、もっと国民に知られてよいと思う。
引用元

 
 
 
マスコミが原発事故報道で腑抜けになるワケ(1)

一部引用・・

・田原に問うと、「まあいろいろあってね」と言葉を濁したが、周辺に取材したところ、当初、テレビ朝日首脳陣は「原発問題は取り上げるな」と番組サイドに宣告した。

当然、田原も番組サイドも「今この時期に他に何をやれと言うのか」と反発したが、局は「何でそんなに原発問題にこだわるのか」と押し返す。

何でと言ったって、今全国民がこれほど関心を持っている問題はないじゃないか。

すったもんだの挙げ句、推進派中心の当たり障りない顔ぶれで、しかも原発問題に絞らずに穏健に行うことで妥協が成り立ったらしい。

それでも局側は心配で、幹部が勢揃いして田原が暴走しないか監視し、CMの度ごとに「これまでのところは、まあ妥当だ」とかプロデューサーに圧力をかけ続けたと言う。

・このCMには、勝間の他に、弁護士の北村晴男、タレントの薬丸裕英が出演していた。私の知り合いの評論家で、中部電力からこのCMに出ないかと誘われた人がいて、

彼によると、当初「何を言ってもいいですよ」と言われたので、「今出来ちゃってる原発はしょうがないとして、これからは止めた方がいいですよと言いたい」と答えると、

中電は「それはちょっと控えてほしい」と。提示されたギャラは500万円。フリーの身としては相当迷ったが、結局断った。

「こうなってみると、断ってよかったですよ。500万円というのは、まともな出演料というより買収費ですよね」と。

勝間なんぞは中電から500万円貰っちゃっているから、「死者が出ましたか?」とか言わざるをないのである。

全文はこちら

 
 
アメリカ国務省元メア日本部長へ反論
2011/04/17 18:25
共同通信サイト47トピックス

メア氏は再び信じ難い発言と米准教授 「捏造」との反論に

「沖縄はゆすりの名人で怠惰」などの発言で米国務省の日本部長を更迭され、退職したケビン・メア氏が米紙の取材に「発言録は捏造(ねつぞう)」などと述べたことに対し、アメリカン大のデービッド・バイン准教授は共同通信に「メア氏は再び信じ難い発言をした」と述べ、発言の詳細をさらに明らかにして反論した。バイン准教授は昨年末、学生を引率して国務省を訪れ、ともにメア氏の発言を聞いている。

まず学生たちが作成した発言録(A4判3ページ)について「私自身もA4判のノート10ページにわたってびっしりとメモをとっており、それに照らして慎重に確認した。一字一句とまでは言わないが、重要な部分は間違いなくメア氏の発言通りだ」とあらためて強調した。
また、自身のメモに基づくメア氏の発言の詳細として「日本人全体がゆすり文化の中にある。まさにゆすりであり、それが日本文化の一面だ」と述べた後に「沖縄はその名人であり、沖縄戦における犠牲や米軍基地の存在に日本政府が感じている罪(の意識)を利用している」と述べたと指摘した。

さらに、メア氏は沖縄を米領プエルトリコにたとえ、沖縄の人はプエルトリコ人のように「肌が浅黒くて背が低く、(言葉に)なまりがある」と差別発言をしていたことも明らかにした。

発言録を作成した学生もメア氏の「捏造(ねつぞう)」発言に「うそをついているとしか言いようがない」「今後も日米外交に関与しようと画策しているのではと懸念する」などと述べている。

メア氏は米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの取材に「なぜ発言が歪曲(わいきょく)されたかは分からないが、反基地運動が関わっている」「沖縄の人が怠惰などという言葉は使っていない。発言録は捏造」などと述べている。(共同通信編集委員 石山永一郎)

☆ここまで言われた日には、メア氏はアメリカン大のデービッド・バイン准教授を名誉棄損で訴えるべきだ。

デービッド・バイン准教授が、左翼系のトンデモ学者?かどうか法廷のやり取りを通じて白日の下に明らかにしなくては、メア氏と長年、日米関係を実務面で協同してきた日本の外務官僚も、メア氏と同類と思われて迷惑するのでは。
 
 
 
原発事故から中東へ

一部引用・・

東北に向けていた顔を、左に向ける。
そのずっと先にあるのは、中東と、北アフリカだ。

今にして思えば、あのあたりで「ツイッター革命」「フェイスブック革命」などと、まるで市民ネットによって悪い政権を倒したなどと喜んでいた日本のメディアがばかみたいである。

チュニジアもエジプトも、長期独裁政権であったことは間違ってはないが、メディアがはやし立てるほど悪政を敷いていたわけではなかった。

「安定政権がなんであそこまであっさり崩壊を・・?」


事情通も不思議がる一連のできごと。その後の展開を鑑みれば、すべては予め描かれていたシナリオに沿って動いているようにもみえる。

誰が描いたシナリオかは知らないが。

本文はこちら

 
 
大震災の現場で考える 黙とうと明日への気力  東京新聞社説
2011年4月17日

三陸の海に立つと、大津波にさらわれた犠牲者の多さに、胸が締め付けられます。死者と行方不明者が約二万八千人。「まず黙とうを」と感じました。

のこぎり形をしたリアス式海岸を仙台市在住の民俗研究家・結城登美雄さんと回りました。東北各地の漁村や農山村を丹念にフィールドワークする在野の学者です。

岩手県の陸前高田、宮城県の唐桑(からくわ)半島、気仙沼、石巻…。車が坂道のカーブを下り、海が見えるたびに、それまでの農村風景はがらりと姿を一変させます。廃虚へと向かう下り道なのです。

◆大津波の傷痕なお深く
結城さんは「ああ、地獄絵だ」「この浜も根こそぎやられた」と、ため息も深くなります。

家は粉々になり、原形をとどめません。あたり一面はがれき。浜という浜が、この惨状です。大津波のすさまじさを物語ります。

死者は現在、約一万三千人ですが、遺体の捜索活動は続き、残酷な数字がさらに膨らむのは間違いありません。慄然(りつぜん)とします。

大半の児童が津波にのみ込まれた石巻の大川小学校前では、女児が小さな背中を丸めて、合掌していました。牡鹿半島には土葬所があり、数十の墓標が整然と並んでいました。失われた多くの命をみんなで供養し、まず冥福を祈りましょう。

「壊滅とはこのことですね」と結城さんは声を落としました。全国の海岸線の平均五・六キロごとに集落があり、その数は約六千三百に上ります。

「海の国ですよ。とくに三陸は三十世帯から五十世帯の小さな漁村が連なり、浜ごとに暮らしの場がありました。ただ漁業者の高齢化が進み、漁業の自給率も60%に落ちました。今回の津波でとどめを刺された感じがします」

◆「浜の再生こそ第一だ」
確かに宮城県は全国第二位の水産県ですが、二十トン未満の小型漁船の90%にあたる約一万二千隻を失いました。二十トン以上の漁船も半分しか残りませんでした。漁港も、カキやワカメの養殖施設も、冷凍・加工施設も…。宮城県の水産被害は現在、約四千億円と見積もられています。

「とどめを刺された」というのは、水産業の人々が、簡単には立ち直れない状況だという意味です。死者も避難する人も大半は海辺に住んでいました。避難者のほぼ半数は元の場所には、住みたくないようです。津波の恐怖が刻印され、家や船や職場もなくし、心まで沈んでいるのでしょう。

唐桑半島の漁師(75)は漁船を沖合に出し、無事でした。でも、「船を流された仲間は九分九厘、やめるんでねえか。船に何千万円もかかるし、漁具もやられたから、借金しても返せない」。別の漁師(61)も「漁の見通しなんて立たねえな」と暗鬱(あんうつ)でした。

初夏はカツオ漁が風物詩です。秋はサンマ、冬はカキが旬になります。季節は待ってはくれません。自然の力で大打撃を受けた水産業でしたが、自然の恵みの豊かさもよく知る漁師たちです。

「魚を捕るのが生きがいの人たちでもあります。被害甚大な浜の再生こそ、第一だと考えます。エネルギーは代替できても、食料は代替が不可能な絶対価値を持っているからです」(結城さん)

三陸沖は世界三大漁場の一つです。その価値を放置するわけにはいきません。

「次世代のことも考え、小さな魚を海に返し、いかだの台数を制限し、資源管理型の漁業をしてきました。海を大事にし、海と向き合ってきたのです」

視察に訪れた菅直人首相と応対した石巻商工会議所・水産部会長の須能邦雄さんは、私にこう言いました。

「三陸の海の幸を捕ってくださいという声がある限り、必ず復活できます。でも、個人が船をゼロから造るのではなく、国が船を造り、貸してほしい。水産施設も国が造る。そんな発想がほしい」

結城さんは消費者の役割にも目を向けます。「『食べる』という支援もあるのです。毎月三千円でも、みんなが三陸の魚を買うと応援してくれれば、漁師はマイナスからの出発でも、『やろうぜ』と意欲が湧きます。『力の合流』が大事だと思います」

◆みんなで「力の合流」を
復旧とは何かも問われています。道路や水道など社会インフラの原状復旧が従来は基本とされてきました。でも、東北は日本の「食」を担う重要な地域です。漁船や冷蔵倉庫、加工施設という産業インフラが壊滅状態では、魚を捕ることも、海産物の生産もできません。農水産業の基盤復興も当然、政府は考えるべきです。

「国は船を造れ」の言葉は的外れではありません。明日への気力を生み出すために、みんなの「力の合流」を望みます。
 
 
 
 
高い放射線量 ロボットで測定
4月18日 4時53分NHKニュース
 
東京電力が示した工程表に沿って福島第一原子力発電所の事故の収束を目指すにあたり、当面、最大の課題となっているのが、放射線量の高い場所での作業をどう進めるかです。東京電力は、原子炉建屋の内部で、遠隔操作のロボットによる放射線量の測定を進めるなどして作業員が入れるスペースを徐々に広げたい考えです。

福島第一原発の1号機から3号機では、原子炉の冷却機能が失われ復旧が急がれていますが、原子炉建屋内部の放射線量が高く作業員が入れない状態が続いています。東京電力が16日に行った調査では、原子炉建屋の入り口にある二重扉の外側での放射線量は、いずれも1時間当たりの最大値で、▽1号機で4ミリシーベルト、▽2号機で2ミリシーベルト、▽3号機で2ミリシーベルトでした。 また、内側の扉の外から原子炉建屋内部の放射線量を測定した結果は、いずれも1時間当たりの最大値で、▽1号機で270ミリシーベルト、▽2号機で12ミリシーベルト、▽3号機で10ミリシーベルトとなりました。特に1号機では、緊急時の原発作業員の被ばく量の限度とされている250ミリシーベルトを1時間で超えることになります。

こうしたことから東京電力は、原子炉建屋内部の状態を詳しく把握する必要があるとして、無線で遠隔操作するロボットを入れて放射線量などを測定する調査を、17日、1号機と3号機で初めて行いました。東京電力は、2号機でも18日以降調査を行って結果を詳しく分析したうえで、それぞれの原子炉建屋でどのような作業が可能なのかを検討し、作業員が入れるスペースを徐々に広げたい考えです。

また、1号機から3号機では、放射性物質に汚染された水がタービン建屋や「トレンチ」と呼ばれるトンネルにたまり、周辺での作業の妨げとなっています。特に濃度が高い2号機のトレンチの水は、水位の上昇が続いていて、東京電力は、汚染水があふれ出るのを防ぐためにも早く水を移す必要があるとして、移送先となる「集中廃棄物処理施設」で水漏れを防ぐための工事や点検を進めています。

一方、1号機と2号機では、「サブドレンピット」と呼ばれる施設に集められた地下水の放射性物質の濃度が、今月13日の調査で1週間前と比べて急に上昇したことから、東京電力は16日も調査を行いました。その結果、1号機から6号機のいずれも濃度はほぼ横ばいか低下したということで、東京電力は、高濃度の汚染水が地下水に漏れ出ている可能性は低まったとしたうえで、今後も監視を続けることにしています。

2011年4月17日 22時19分東京新聞

東電、遠隔ロボで原子炉建屋調査 放射線量や温度、酸素測定 

東京電力は17日、遠隔操作で走行するロボットを使い福島第1原発1、3号機の原子炉建屋内を調査した。ロボットで放射線量や温度、湿度、酸素濃度などを測定し、今後、人が入って作業できるかなど安全性を判断する材料とする。今後、2号機などでも実施予定。

東電は原子炉建屋内にある冷却設備を使えば、早期の冷却につながるとしている。建屋内は放射線量が高く、人が作業するのは難しいとみているが、作業実施の可能性を探る。調査前に測定した放射線量は1号機原子炉建屋に入る扉付近で、最大1時間あたり270ミリシーベルトと高かった。

調査に使ったのは米国のロボットメーカー、アイロボット社から無償提供された同じタイプの2台。長さ70センチ、幅53センチ、重さ35キロで、カメラが付いているほか、備え付けのアームで物をつかむなどの作業ができる。時速は約9キロで、斜度60度の坂のほか、がれきの上でも走行可能だ。稼働時間は約4時間、遠隔操作できる距離は約800メートル。

原子炉建屋に入るにはタービン建屋から2重扉を開ける必要がある。タービン側の扉を人が開けた後、ロボットを中に入れ、原子炉側の扉のハンドルをロボットが開け、原子炉建屋内に入る。扉は縦2メートル、横1メートル、厚さ20センチ。2台で作業し、1台が現場調査し、もう1台がそれを監視する。

東電は「線量の高いところと低いところが分かるので、人でどんな作業ができるのかも見えてくる」としている。(共同)
 
 
日本人ではない、海外仕様の日本人

☆遠い昔の自分のささやかな出張体験からしても、納得の一文でした。

一部引用・・

初めて海外に赴任する人にとって、外国語のハンディはとても大きいものです。日本企業の英語公用語化の動きは、

社員が外国語のハンディを乗り越えて海外で仕事をするための準備のためではないのか、と考えることもできます。

日本人が海外で国内同様に仕事するには、外国語に対する意識と思考様式の壁を越えなければなりません。

しかし、出発前にある程度は外国語の勉強をみっちりとやっていたのに…。

「あなたの話はわからない」


「あなたの意見に反論があります」

なぜこんなに現地で言葉が通じないのでしょうか? 

まず、日本人が海外の仕事に対してもっているイメージが根源的に違います。

日本人は「外国語を鍛える」ことばかりに目がいきがちですが、外国語を向上させるために等しく重要なのが「海外仕様の思考」です。

この二つが整って初めて、日本人は現地の人と互角な対話ができるようになります。

最初に海外仕様の思考を身につけよう!

■それって、人種差別じゃない?

海外の生活で、日本人は固定観念から現地の人のやり方や習慣を誤解してしまうことがあります。

たとえば、日本のレストランは予約なしで入れますが、海外では予約をしてから出かけるのが当たり前。

電話での予約の会話が十分でないと、予約をしているのに本人となかなか認めてくれなかったり、予約自体が混み合っていて30分も店で待たされたりすることがあり、

日本人は怒りを爆発させてしまいます。

「人種差別じゃないのか!」と受付で怒声を発している日本人の姿を見ることがありますが、それは日本人の完全な誤解です。

全文はこちら

 
 
映画作家の想像力―黒澤明の原発観

一部引用・・

映画監督黒澤明が原子力を取り上げた作品は三本ある。

『生きものの記録』(55年)、『八月の狂詩曲』(91年)、『夢』(90年)である。最初の二つは原爆、三つ目は原発を扱っている。

中略

《イメージの現実化に茫然となる》

黒澤は自作のテーマについて問われるとしばしば「作品がそれを語っている」といって説明を避けた。『夢』でも同じである。記者会見における次の問答が残されている。

記者 今度の作品のテーマはなんですか?
黒澤 ぼくが映画を作る時は、テーマというものは考えない。自然に撮っていれば、それがテーマになる。プラカード立てるのは嫌いなんだよ。この作品には、今の世の中に対して僕が考えていることが全部出てます。(略)
記者 富士山が爆発するのは、反原発の訴えでは?
黒澤 (ウンザリしたように)まあ、映画を観て下さいよ。原発問題にしても、原発が大事故を起こしたりしたら大変だし、そういう危機感ってあるでしょう。富士山が噴き出したりするのは夢だしね、こむずかしいことを言ってるわけじゃない。やはり、観てもらうしかないんだな(笑)。

2011年3月11日に黒澤明のイメージはリアリティーとなった。

「今の世の中に対して僕(黒澤)が考えていること」は現実になった。

『生きものの記録』考察にも書いたが、戦後の反核運動の基本には「生物的な恐怖心」や「パニック感情」があった筈だが、

それは次第に抽象化され、運動は政治的・党派的に変化していった。

『生きものの記録』で三船敏郎が扮した工場主が見せた恐怖感とブラジルへの脱出という行動は常軌を逸しているとして批判された。

『八月の狂詩曲』では村瀬幸子の扮する「おばあちゃん」も狂気におちいる。

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