ムムリクさんのART日記に掲載されていました。それにしても23年前に既に、原発の安全に異を唱える歌手がいた事はしりませんでした。Wikipediaから引用・・ ⇒本来は、所属レコード会社の東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)から1988年8月6日(広島平和記念日)に発売される予定だった。しかし、「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」で反核・反原発が歌われており、特に後者は露骨な原発批判のため、自身が日本の原子炉サプライヤーでもある親会社の東芝からの圧力がかかったと言われており[1]、先行シングル「ラヴ・ミー・テンダー」(6月25日発売予定)ともども、「素晴らしすぎて発売できません」という新聞広告(1988年6月22日付全国紙)と共に発売中止となる。 この発売中止事件の真相は後に明かされたところによると、FM大阪で当時忌野清志郎が担当していた番組「夜をぶっとばせ」のスタッフ慰労会が催された1988年6月9日の夜、忌野は同会には参加せず当時の東芝EMIの邦楽最高責任者、石坂敬一統括本部長に呼び出されていた。 その場で、『カバーズ』の発表を見合わせたい、もしくは「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」「マネー」「シークレット・エージェント・マン」の4曲をカットすれば発売してもいいという申し出を受けていた。元々1987年末の時点では3枚組という構想にまで達していた『カバーズ』はそれまでに既に11曲にダウン・サイジングされており、さらにそこから4曲をカットしたわずか7曲のミニアルバムにしろとの話であった。「ロックの東芝だからこそメッセージ色の濃い作品を出すべきだ」と主張する忌野と石坂の話し合いは平行線をたどる。 対談は翌日にも渡り、東芝EMIでも再度会議が行われたが、結局東芝内での決定は覆らず発売の中止が正式に決定する。これを聞き呆れ怒った忌野が訴えた「素晴らしすぎて出せないっていうんだったら、それを新聞に出してくれ」との言葉のみが受け入れられ、上述の新聞広告掲載となり、同時に発売の中止が決定した[2]。 だが、本作を望むファンの声が高まり、またマスコミに取り上げられたことで世論の後押しもあり、シングル、アルバム共にRCサクセション(以下、RCと略す)の古巣キティレコード(現・ユニバーサルミュージック)から8月15日(終戦記念日)に発売が実現した(皮肉にも後に石坂はユニバーサルミュージックの代表取締役に就任し、同社に移籍した忌野のアルバムを発売中止にしている)発売中止騒動や過激な内容の話題性から、シングル・アルバム通じてRC初のオリコンチャート1位を獲得。RC唯一のオリコン1位獲得作品である。 |
スポニチから引用。 「文部科学省と経済産業省が作製した原子力発電に関する小中学生向けの副読本に「大きな地震や津波にも耐えられる」
「放射性物質がもれないようしっかり守られている」などの表現が見つかり、高木義明文科相は15日の記者会見で「事実と反した記載がある」として内容を見直す考えを明らかにした。
副読本は小学生用の「わくわく原子力ランド」と中学生用の「チャレンジ!原子力ワールド」。2008年に改訂された新学習指導要領で原子力が重視されたため作られた。 内容は文科省関連の財団法人「日本原子力文化振興財団」のホームページでも公開していたが、13日に取り下げた。 ≪産学官報≫の権益集団は毎年5000億円ほどの税金をムラの中で自由気ままにに使ってきた。 信念を注ぎ込むムーブメントを続けてきたようだ。
このパワー集団はホント強い。「チーム原子力ムラ」の村民はめげずに今日も行く。 本書は財務省主計局が国民向けに作った、特別会計を理解するための冊子だ。これは、書店販売ではなく、財務省ホームページから全文ダウンロードできる。 |
一部引用・・ 当然、田原も番組サイドも「今この時期に他に何をやれと言うのか」と反発したが、局は「何でそんなに原発問題にこだわるのか」と押し返す。 何でと言ったって、今全国民がこれほど関心を持っている問題はないじゃないか。 それでも局側は心配で、幹部が勢揃いして田原が暴走しないか監視し、CMの度ごとに「これまでのところは、まあ妥当だ」とかプロデューサーに圧力をかけ続けたと言う。 彼によると、当初「何を言ってもいいですよ」と言われたので、「今出来ちゃってる原発はしょうがないとして、これからは止めた方がいいですよと言いたい」と答えると、 中電は「それはちょっと控えてほしい」と。提示されたギャラは500万円。フリーの身としては相当迷ったが、結局断った。 「こうなってみると、断ってよかったですよ。500万円というのは、まともな出演料というより買収費ですよね」と。 |
2011/04/17 18:25 共同通信サイト47トピックス メア氏は再び信じ難い発言と米准教授 「捏造」との反論に 「沖縄はゆすりの名人で怠惰」などの発言で米国務省の日本部長を更迭され、退職したケビン・メア氏が米紙の取材に「発言録は捏造(ねつぞう)」などと述べたことに対し、アメリカン大のデービッド・バイン准教授は共同通信に「メア氏は再び信じ難い発言をした」と述べ、発言の詳細をさらに明らかにして反論した。バイン准教授は昨年末、学生を引率して国務省を訪れ、ともにメア氏の発言を聞いている。 まず学生たちが作成した発言録(A4判3ページ)について「私自身もA4判のノート10ページにわたってびっしりとメモをとっており、それに照らして慎重に確認した。一字一句とまでは言わないが、重要な部分は間違いなくメア氏の発言通りだ」とあらためて強調した。 また、自身のメモに基づくメア氏の発言の詳細として「日本人全体がゆすり文化の中にある。まさにゆすりであり、それが日本文化の一面だ」と述べた後に「沖縄はその名人であり、沖縄戦における犠牲や米軍基地の存在に日本政府が感じている罪(の意識)を利用している」と述べたと指摘した。 さらに、メア氏は沖縄を米領プエルトリコにたとえ、沖縄の人はプエルトリコ人のように「肌が浅黒くて背が低く、(言葉に)なまりがある」と差別発言をしていたことも明らかにした。 発言録を作成した学生もメア氏の「捏造(ねつぞう)」発言に「うそをついているとしか言いようがない」「今後も日米外交に関与しようと画策しているのではと懸念する」などと述べている。 メア氏は米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの取材に「なぜ発言が歪曲(わいきょく)されたかは分からないが、反基地運動が関わっている」「沖縄の人が怠惰などという言葉は使っていない。発言録は捏造」などと述べている。(共同通信編集委員 石山永一郎) ☆ここまで言われた日には、メア氏はアメリカン大のデービッド・バイン准教授を名誉棄損で訴えるべきだ。 デービッド・バイン准教授が、左翼系のトンデモ学者?かどうか法廷のやり取りを通じて白日の下に明らかにしなくては、メア氏と長年、日米関係を実務面で協同してきた日本の外務官僚も、メア氏と同類と思われて迷惑するのでは。 |
一部引用・・ チュニジアもエジプトも、長期独裁政権であったことは間違ってはないが、メディアがはやし立てるほど悪政を敷いていたわけではなかった。 「安定政権がなんであそこまであっさり崩壊を・・?」
誰が描いたシナリオかは知らないが。 |
2011年4月17日 三陸の海に立つと、大津波にさらわれた犠牲者の多さに、胸が締め付けられます。死者と行方不明者が約二万八千人。「まず黙とうを」と感じました。 のこぎり形をしたリアス式海岸を仙台市在住の民俗研究家・結城登美雄さんと回りました。東北各地の漁村や農山村を丹念にフィールドワークする在野の学者です。 岩手県の陸前高田、宮城県の唐桑(からくわ)半島、気仙沼、石巻…。車が坂道のカーブを下り、海が見えるたびに、それまでの農村風景はがらりと姿を一変させます。廃虚へと向かう下り道なのです。 ◆大津波の傷痕なお深く 結城さんは「ああ、地獄絵だ」「この浜も根こそぎやられた」と、ため息も深くなります。 家は粉々になり、原形をとどめません。あたり一面はがれき。浜という浜が、この惨状です。大津波のすさまじさを物語ります。 死者は現在、約一万三千人ですが、遺体の捜索活動は続き、残酷な数字がさらに膨らむのは間違いありません。慄然(りつぜん)とします。 大半の児童が津波にのみ込まれた石巻の大川小学校前では、女児が小さな背中を丸めて、合掌していました。牡鹿半島には土葬所があり、数十の墓標が整然と並んでいました。失われた多くの命をみんなで供養し、まず冥福を祈りましょう。 「壊滅とはこのことですね」と結城さんは声を落としました。全国の海岸線の平均五・六キロごとに集落があり、その数は約六千三百に上ります。 「海の国ですよ。とくに三陸は三十世帯から五十世帯の小さな漁村が連なり、浜ごとに暮らしの場がありました。ただ漁業者の高齢化が進み、漁業の自給率も60%に落ちました。今回の津波でとどめを刺された感じがします」 ◆「浜の再生こそ第一だ」 確かに宮城県は全国第二位の水産県ですが、二十トン未満の小型漁船の90%にあたる約一万二千隻を失いました。二十トン以上の漁船も半分しか残りませんでした。漁港も、カキやワカメの養殖施設も、冷凍・加工施設も…。宮城県の水産被害は現在、約四千億円と見積もられています。 「とどめを刺された」というのは、水産業の人々が、簡単には立ち直れない状況だという意味です。死者も避難する人も大半は海辺に住んでいました。避難者のほぼ半数は元の場所には、住みたくないようです。津波の恐怖が刻印され、家や船や職場もなくし、心まで沈んでいるのでしょう。 唐桑半島の漁師(75)は漁船を沖合に出し、無事でした。でも、「船を流された仲間は九分九厘、やめるんでねえか。船に何千万円もかかるし、漁具もやられたから、借金しても返せない」。別の漁師(61)も「漁の見通しなんて立たねえな」と暗鬱(あんうつ)でした。 初夏はカツオ漁が風物詩です。秋はサンマ、冬はカキが旬になります。季節は待ってはくれません。自然の力で大打撃を受けた水産業でしたが、自然の恵みの豊かさもよく知る漁師たちです。 「魚を捕るのが生きがいの人たちでもあります。被害甚大な浜の再生こそ、第一だと考えます。エネルギーは代替できても、食料は代替が不可能な絶対価値を持っているからです」(結城さん) 三陸沖は世界三大漁場の一つです。その価値を放置するわけにはいきません。 「次世代のことも考え、小さな魚を海に返し、いかだの台数を制限し、資源管理型の漁業をしてきました。海を大事にし、海と向き合ってきたのです」 視察に訪れた菅直人首相と応対した石巻商工会議所・水産部会長の須能邦雄さんは、私にこう言いました。 「三陸の海の幸を捕ってくださいという声がある限り、必ず復活できます。でも、個人が船をゼロから造るのではなく、国が船を造り、貸してほしい。水産施設も国が造る。そんな発想がほしい」 結城さんは消費者の役割にも目を向けます。「『食べる』という支援もあるのです。毎月三千円でも、みんなが三陸の魚を買うと応援してくれれば、漁師はマイナスからの出発でも、『やろうぜ』と意欲が湧きます。『力の合流』が大事だと思います」 ◆みんなで「力の合流」を 復旧とは何かも問われています。道路や水道など社会インフラの原状復旧が従来は基本とされてきました。でも、東北は日本の「食」を担う重要な地域です。漁船や冷蔵倉庫、加工施設という産業インフラが壊滅状態では、魚を捕ることも、海産物の生産もできません。農水産業の基盤復興も当然、政府は考えるべきです。 「国は船を造れ」の言葉は的外れではありません。明日への気力を生み出すために、みんなの「力の合流」を望みます。 |
☆遠い昔の自分のささやかな出張体験からしても、納得の一文でした。 社員が外国語のハンディを乗り越えて海外で仕事をするための準備のためではないのか、と考えることもできます。
日本人は「外国語を鍛える」ことばかりに目がいきがちですが、外国語を向上させるために等しく重要なのが「海外仕様の思考」です。 電話での予約の会話が十分でないと、予約をしているのに本人となかなか認めてくれなかったり、予約自体が混み合っていて30分も店で待たされたりすることがあり、 日本人は怒りを爆発させてしまいます。 |
一部引用・・ 『生きものの記録』(55年)、『八月の狂詩曲』(91年)、『夢』(90年)である。最初の二つは原爆、三つ目は原発を扱っている。 黒澤は自作のテーマについて問われるとしばしば「作品がそれを語っている」といって説明を避けた。『夢』でも同じである。記者会見における次の問答が残されている。 「今の世の中に対して僕(黒澤)が考えていること」は現実になった。 『生きものの記録』考察にも書いたが、戦後の反核運動の基本には「生物的な恐怖心」や「パニック感情」があった筈だが、 それは次第に抽象化され、運動は政治的・党派的に変化していった。 『生きものの記録』で三船敏郎が扮した工場主が見せた恐怖感とブラジルへの脱出という行動は常軌を逸しているとして批判された。 『八月の狂詩曲』では村瀬幸子の扮する「おばあちゃん」も狂気におちいる。 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます