阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

亀戸から都営バスで「向島百花園」を訪ねた    向島百花園シリーズ その4/全5回

2024年05月22日 | 東京あちこち

向島百花園は江戸時代から200年ほど維持されてきた歴史のある花園だと聞いていた。

以前から一度行ってみようねといいながら行きそびれていた一番身近な都立庭園で「都立文化財九庭園」の一つだ。

  1. 浜離宮恩賜庭園
  2. 旧芝離宮恩賜庭園
  3. 小石川後楽園
  4. 六義園
  5. 向島百花園
  6. 清澄庭園
  7. 旧古河庭園
  8. 旧岩崎邸庭園
  9. 殿ヶ谷戸庭園

 5月某日 亀戸駅北口のバスターミナル6番口で日暮里行きに乗り「百花園」で降りた。

240503向島百花園

 百花園のサイトから一部引用

「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。

交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。

その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。

「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。

なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けまし

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05月21日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年05月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年04月21日(土)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載。

2024年05月22日 | 東日本大震災ブログ
2012年04月21日(土)
 
福島県の人口が昭和50年以来の数値に減少
 
県人口196万9852人 昭和50年以来197万人割れ
福島民報 (2012/04/21 09:08)  

 県の4月1日現在の推計人口は196万9852人となり、昭和50年9月1日現在以来の197万人割れとなった。3月1日現在より9072人減少した。世帯数は71万4202世帯で、前月より1750世帯減った。県が20日、発表した。

 3月の社会動態は転出者数が転入者数を大幅に上回り、8203人と激減。自然動態は死亡者数が出生者数を超え、869人減った。

 東日本大震災前の平成23年3月1日の推計人口202万4401人と比べると、5万4549人少なくなった。

 推計人口は住民票を移さず県外避難している県民も含めており、現状は今回の数値より少ないとみられる。
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ワイヤハーネスの次はベアリング 公正取引員会と東京地検特捜部が合同
 
ベアリング大手 カルテルで捜索
4月20日 9時34分 NHKニュース

 自動車などの部品として使われる「ベアリング」の販売を巡り、大手メーカー4社が価格を不正につり上げるカルテルを結んでいた疑いが強まったとして東京地検特捜部は、公正取引委員会と合同で独占禁止法違反の疑いでメーカーの本社などを捜索し、強制捜査に乗り出しました。

捜索を受けているのは、いずれも大手機械部品メーカーで、東京の「日本精工」の本社のほか、大阪の「NTN」と富山市の「不二越」の東京の事務所などです。

東京地検特捜部の調べによりますと、この3社と強制調査の前に違反を申告した名古屋市の「ジェイテクト」の合わせて4社は、自動車などの機械の中で回転する軸を支える「ベアリング」という部品の販売を巡って、おととし、価格を不正につり上げるカルテルを結んでいたとして独占禁止法違反の疑いが持たれています。

関係者によりますと、各メーカーは役員クラスの担当者らが事前に協議し、いずれも1キロ当たりの価格で自動車メーカー向けの部品を20円、産業用機械メーカー向けの部品をおよそ8%値上げすることを決めたということです。

特捜部の事情聴取に対し、メーカーの一部の幹部がカルテルへの関与を認めているということです。

特捜部は、不正なカルテルが市場に大きな影響を与えたとみてメーカー各社の刑事責任の追及に向けて捜査を進めることにしています。
4社は「捜査には全面的に協力する」とコメントしています。

☆検察の特捜部は当初、戦後の混乱期に経済犯罪を捜査するために作られた経緯がある。しかし徐々に政治家の不正捜査にシフトして国民の喝采狙いに染まっていき、次に特捜部という組織維持のためには、何でも許されるという体質に変質・腐敗していった。

こいつを有罪に落とすという、上が書いたシナリオの為には、部下が証拠を捏造してもいいとまで劣化し、くにたみの信頼感を失った特捜部。

そして今回、社会の評価を挽回するためのターゲットにされたというタイミングもあるベアリング業界。

苛烈にして熾烈な捜査で、まず営業部員たちは大変な目にあう。

またぞろ、これからマスコミが動員されて、検察からのリーク記事で賑やかになる。(もうすでに、「メーカーの一部の幹部は地検特捜部の事情聴収に対し、カルテルの関与を認める」と報道されている。これは東京地検特捜部の、記者クラブ所属の記者へのブリーフィングが取材源)

30年ほど前、コメの買い占めだったかで、丸紅は反社会的企業だと大手新聞・テレビが連日、書き立て(これをメディアスクラムと言う)、丸紅の社員の子供が全国の学校で苛めにあったことがある。

これから、それぞれの企業が提供した取調べ用の応接室から、取調べ中の大の男の泣き声が漏れてくる。談合企業でまず矢面に立つのはいずれにせよ営業部門だ。お役目とはいえ大変です。もう時代は談合の秘密を保持できる時期は過ぎました。

社長をはじめとする会社のトップから考え方を変えないと、かえって社員・取引先・株主などに大きな損失をもたらします。
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神戸市の住民訴訟は行政と議会の馴れ合いに歯止めをかける効果はあった
 
公金返還訴訟最高裁判決 住民側「一定の歯止め」
 2012/04/21 00:11 神戸新聞

判決を受け、会見する東條さん(右)ら原告の市民団体メンバー=神戸市役所(撮影・斎藤雅志)

 市長への賠償請求権を放棄する地方議会の議決は有効か。その是非に判断が下された20日の最高裁判決は、住民側の請求が棄却され逆転敗訴が確定した。

神戸市幹部らが安堵(あんど)の表情を見せた一方、「さまざまな事情を考慮して、裁量権の逸脱や乱用に当たるときは無効」との判断が初めて示され、原告の住民側は「議会の安易な請求権放棄に一定の歯止めをかけた」と評価した。


 千葉勝美裁判長は補足意見で、国家公務員とは異なり、自治体の首長が負う責任の範囲は無制限で、わずかなミスで巨額の損害賠償義務を負わされるおそれがあると指摘した。神戸市役所で会見した矢田立郎市長は「首長の立場からすると、(故意か重大な過失があった場合に賠償責任があるとする)国家賠償法と、軽過失も首長の責任となる(住民訴訟の)考え方は格段に違う」と述べ、国による今後の法改正への期待もにじませた。

 一方、千葉裁判長の補足意見では「単なる政治的、温情的判断のみで処理せず、事案に即した慎重な対応が求められることを肝に銘じておくべきだ」ともくぎを刺した。

原告の市民団体「ミナト神戸を守る会」の東條健司代表(72)は「議会の役割の重要性が示された。市長と議会のなれあいは許されない」と強調した。

(黒田勝俊、前川茂之)

“請求権放棄”最高裁が初の判断
4月20日 18時55分 NHKニュース

住民訴訟の判決で、自治体のトップに対し巨額の賠償が命じられたあと、条例などによって請求する権利を自治体が放棄することが許されるかどうかが争われた裁判で、最高裁判所は、一定の条件を満たさなければ請求権を放棄できないという、初めての判断を示しました。

神戸市が外郭団体に派遣した市の職員の人件費を補助金から支出したことを巡っては、住民訴訟が起こされ、1審は、神戸市長に対し45億円余りを市に賠償するよう命じましたが、市議会がその後、条例を改正して、請求する権利を放棄し、これが許されるかどうかが裁判で争われました。

また、大阪・大東市でも、市長への賠償の請求権が放棄されたことを巡って争われていました。

20日の判決で、最高裁判所第2小法廷の千葉勝美裁判長は、「基本的に議会に裁量があるが、放棄した場合の影響などを総合的に考慮すべきだ」として、一定の条件を満たさなければ請求権を放棄できないという、初めての判断を示しました。

そのうえで、神戸市の裁判については、そもそも市長に過失はなかったとして、逆転で住民側の訴えを退けました。

一方、大東市の裁判や神戸市のほかの裁判については、さらに検討が必要だとして、審理を差し戻しました。

この問題を巡っては、住民訴訟の意義が失われるとして批判が強いことから、総務省も請求権の放棄を制限すべきかどうか検討しています。
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関電筆頭株主の大阪市は橋下市長を株主総会に出席させる
 
関電株主総会出席へ 橋下市長
2012年4月20日 大阪日日新聞

 関西電力の筆頭株主であり、株主提案の準備を進めている大阪市の橋下徹市長は19日、6月下旬に行われる予定の関電の株主総会に出席する意向を示した。

 同日の記者会見で橋下市長は日程調整していることを明らかにし、「時間はどうなるか、役割はどうなるかは別として会場に行くことは必要」と話した。

 また、関電の大飯原発3、4号機の再稼働の問題に関して、福井県原子力安全専門委員会の中川英之委員長(福井大名誉教授)がおおむね安全性は確保できているとの認識を示したことについて「一定のルールに基づいて福井県の安全委員会が出された判断は重い」とした上で、「福井県の安全委員会が出した以上は国の安全委員会もコメントを出さざるを得ない。国の安全委員会にコメントをさせることは絶対外してはいけない手順」と強調した。
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核燃サイクル政策で私的検討会 細野原発担当相
 
2012年4月20日 12時29分 東京新聞 共同通信配信

 細野豪志原発事故担当相は20日、閣議後の記者会見で、原発の使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出す核燃料サイクル政策の今後の在り方について、民間の有識者による私的検討会を立ち上げ議論を進めていることを明らかにした。

 細野氏は「国際的な観点から不拡散、核軍縮、原子力をどのように考えていくかという視点は重要だ」と指摘。2月から議論を始めており、国の原子力委員会での議論に取り込むことも検討するという。

 細野氏は、原子力委員会の小委員会が19日にコストの試算結果を示したことにも触れ「前回の原子力政策大綱の時には検証が不十分だったところがあり、重要な要素だ」と語った。
 
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仲代達矢さんが語る山の手空襲 振り向くと少女はつないだ手だけに…数十cm差でもらった命で「やっておきたいこと」  東京新聞

2024年05月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

2024年5月21日 12時00分  東京新聞webサイトから引用

無数の焼夷(しょうい)弾が降り注ぎ、3000人以上が犠牲になった1945年5月25日の「山の手空襲」。俳優の仲代達矢さん(91)にとって、それは「心臓が飛び出しそうなほどの恐怖を抱いた記憶」だった。空襲被害者の救済法案に賛同する動機にもなった体験とは、どんなものだったのか。その後の人生にどんな影響を及ぼしたのか。被災した南青山を一緒に巡り、思いを尋ねた。(山田雄之)

 山の手空襲 1945年4〜5月に米軍が東京で行った大規模空襲。東京大空襲・戦災資料センターによると、麴町や赤坂、渋谷、世田谷などを目標にした5月25〜26日は、下町を焦土にした3月の東京大空襲を上回る3262トンの焼夷弾などを投下。3242人が死亡、1万3706人が負傷し、家屋15万6430戸が被害を受けた。米軍はこれを最後に「主要目標なし」として東京を大規模空襲リストから外した。

「山の手空襲」追悼碑の前で手を合わせる仲代達矢さん=東京都港区で(佐藤哲紀撮影)

◆今でも見る悪夢、話したくないけど伝えなければ

 「今も、あのことで恐ろしい夢を見るんです。だから本当は話したくない。でも戦争を知る世代は少なくなっている。平和のために伝えることが役目なら、やった方が良いかなと」
 「山の手空襲」の追悼碑に向かう車中。仲代さんは、今回取材に応じた理由を聞いた「こちら特報部」に、こう説明した。
 「あのこと」が起きたのは1945年5月25日。仲代さんは12歳で、疎開先から渋谷区に戻り、中板橋(板橋区)の中学校に通っていた。南青山の青南国民学校(現青南小)時代の友人の家に遊びに行き、道玄坂の自宅に帰る途中、空襲警報が鳴りだした。午後10時すぎ、青山学院大の近くを通っているときだった。

国民学校6年生のころの仲代達矢さん=本人提供

 何百機というB29が焼夷弾をバラバラと落としていく。無我夢中で逃げている途中、1人でポツンと立っている6歳くらいの少女を見つけた。「こんなとこにいたら危ない」と手を引いたが、すぐにすさまじい音がした。「肩をすくめて振り向くと、少女は私が握っていた手だけになっていた。焼夷弾が直撃したんです」
 あと数十センチずれていれば死んでいた。恐ろしくなった仲代さんは、慌てて少女の手を放り投げて走り続けたという。そこから自宅までの記憶はない。「とにかく必死だった。だから、当時どんな気持ちだったかと問われても答えようがないんです」

◆表参道の石灯籠は遺体の血や体液で黒ずんだ

 表参道交差点に着くと、ケヤキ並木沿いにきらびやかなショップが並ぶ様子を見回した。「こんなふうに変わるとは夢にも思わなかった。残っているのはこれだけか」と石灯籠を見上げる。1920年の明治神宮創建時に造られ、山の手空襲で焼夷弾から逃れようとした人が周りに折り重なり、炎に包まれた。
 遺体から染み出た血や体液で黒ずんだといわれる台座に手を当てた仲代さん。観光客や若者の人波が絶えない街で、「焼け野原だったことしか覚えていない」とつぶやいた。空襲の翌日、前日まであった建物や住宅ががれきの山になり、あちらこちらで火柱が出ていたという。

表参道交差点に残る石灯籠の前で当時を振り返る仲代達矢さん=東京都港区で

 その近くにある港区が建てた追悼碑へ。毎年5月25日に慰霊行事が行われていることを話すと、碑の文字を何度か繰り返して読み、そっと手を合わせた。「多くの小学校の友だちが亡くなったんです。当時は分からなかったけど、後に同窓会で聞いたりしてね」
 青山学院大の正門前に向かった。車ではよく通るが、歩くのは俳優養成所に通っていた50年代以来とのこと。向かいには当時、路面電車の青山車庫があったが、今は国連大学本部のビルが立っている。

◆戦争で命を落としたのは兵隊だけではない

 少女と会った場所は定かではないが、青山学院大を過ぎて渋谷駅へ向かう途中だったと記憶している。「手をつないですぐ焼夷弾が『バーン』と。急に軽くなって手だけになっていた」と思い返す。「捨てちゃったんですよね。せめて手だけでも手厚く葬ってあげられていたら」と後悔を口にした。
 たくさんの人たちが亡くなる中で、生き永らえていることを申し訳なく思うこともあったという仲代さん。「もらった命、余命なんだと。命ある限り、燃やしたい」と演劇に打ち込んできた。キャンパスから出てくる学生たちを見つめながら、「絶対に戦争の犠牲にはなってほしくないですね」とうなずいた。

空襲を受ける青山学院大付近。左上を通るのが青山通りで、上端が表参道交差点=米国立公文書館所蔵、工藤洋三「日本の都市を焼き尽くせ!」から

 仲代さんは今春、空襲による障害者への一時金や実態調査を柱とする救済法の制定を目指す「全国空襲被害者連絡協議会」に賛同。「軍人関係などには恩給が出ていて、民間人はその対象にならないというのは、被害者を無理やり線引きするところがあり、納得できない」とする文章を寄せた。
 「来年は戦後80年。まだ空襲被害者がこんな状態に置かれているのは本当に情けない」とする仲代さん。そのきっかけは山の手空襲の体験といい、「兵隊として出向いて命を落とした人だけが被害者ではない。私たちも雨あられのように降る焼夷弾の中を逃げ、多くの人が死んだ」と強調した。

◆91歳「命ある間に…」の思いは切実に

 文章を出した理由をあらためて尋ねると、「私も90歳を超え、あと何年という年齢になってきた。空襲で被害に遭った方と同じです。『命がある間にこれだけはやっておきたい』との思いが切実に迫っているんです」と胸中を明かした。
 出演したNHKドラマ「大地の子」で題材となった中国残留孤児にも触れ、「自らなりたくて、なったわけではない。国の『戦争』という政策が生んだ。空襲被害者も同じです」と訴えた。「当時は女性に選挙権がなかった。国民が国を選んだとの理屈は通らない」とも説く。
 「これだけはやっておきたい」ことのもう一つが、名誉館長を務める能登演劇堂(石川県七尾市)で10月に予定する『肝っ玉おっ母と子供たち』の上演だ。

青山学院大から渋谷方面へ歩く仲代達矢さん=東京都渋谷区で

 独のベルトルト・ブレヒトの作品で、1988年、2017年に続く3度目となる。軍隊相手に行商をしながら生きる3人の子の母親が主人公で、戦争に行かせたくない一心で行商をするものの、3人の子は結局戦争の犠牲になる。それでも、戦争を相手にした商売をやめられない悲哀を込めている。

◆伝えたいことは「戦争反対」そして「和顔愛語」

 能登半島地震の影響で延期になる可能性もあるが、「平和の尊さ、どんな苦境でも力強く生きるたくましさを感じられると思う。被災して心を痛めている方々にも来てもらいたい」と話した。
 ウクライナやパレスチナ自治区ガザでの戦争に終わりは見えない。演劇を通して「反戦」を訴え続けてきた仲代さんは「戦争だけは絶対に参加しない方がいい。一番被害を受けるのは、殺し合いをさせられる市民ですからね」と語る。
 南青山での取材を終え、世田谷区の閑静な住宅街にある「無名塾」まで見送った。いま改めて世の中に一番伝えたいことを尋ねると、間髪入れずに「戦争反対です」。そして、最近気に入っている言葉として「和顔愛語(わげんあいご)」を教えてくれた。仏教の言葉で、和やかな顔で愛情ある言葉で人に接することを説いているそうだ。
 「人には優しくする。戦争って恨み言から始まるから。甘い考え方かもしれませんが、一人一人がそんな行動を取れたら、戦争なんて起きないんじゃないのかな」

◆デスクメモ

 1995年の日中共同制作「大地の子」は先の大戦で満州(中国東北部)に残された男性の物語。仲代さん演じる日本の実父と中国の養父は、国交回復後に親子関係が分かった男性を巡り苦悩する。現実の孤児も感動的な親子対面の後も苦難を重ねる。戦争の残酷な運命に心が震える。(本)

 仲代達矢(なかだい・たつや) 1932年、東京都目黒区生まれ。55年から俳優座で活躍し、75年から無名塾を主宰。舞台「リチャード三世」「マクベス」、映画「人間の條件」「用心棒」「影武者」、NHK大河ドラマ「新・平家物語」など数多くの作品に出演。2015年、文化勲章受章。

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