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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

亀戸のインド料理店「フルバリ」は賑わっていた。

2022年07月20日 | 食べる飲む

 ナンはプレーンナン。カレーはスパイシなチキンのマサラキーマカレー。中辛指定☝

この日飲んだのは「ウオッカトニック」。

アルコールを頼むと突き出しにパパドがスパイシーなカレー風味の温野菜とセットでサービスで出てくる。

タンドリーチキンも頼んだ

サモサも外せない

 

 

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なでしこジャパンと神戸・大安亭市場          11年前の今日 2011年7月20日の本ブログに掲載  

2022年07月20日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

(記事は神戸新聞7月20日付朝刊から引用)
2009年2月28日掲載エントリー⇒梅田から阪急電車に乗ると三ノ宮の一駅手前の駅、「春日野道」。
駅のそばから浜側に大規模な「大安亭市場」があります。「王子公園駅」近くの「水道筋市場」も規模が大きく、
市場好きな私は時々足を伸ばしますが、ある日「大安亭市場」までも歩いてみました。





大安亭市場の中はこちらにもあります。
ここまで歩くと片道でほぼ一漫歩になって疲れたので、帰りは阪神電車の春日野駅から新在家駅まで電車に乗って新在家から歩いて帰りました。
この日の1日の歩数は14489歩でした。
こちらのブログの「大安亭市場」の写真もレトロ調で楽しいです。

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最新状況

 

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日本の「記者クラブ」が変われば 大手新聞テレビの報道も少しは変わる?

2022年07月20日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年03月09日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

人が集まって作る集団は、当初は世の中に役に立つある目的はもって作られる。しかし年月が経るとその目的は忘れられて、いつしか既得権益を守る組織に変質してしまう。

明治の最初の頃、ジャーナリスト達は力を合わせなければ、薩長政権の「都合の悪い情報を隠匿する体質」に立ち向かえなかった。

「記者クラブ」が出来たのは、当時の官庁の抑圧的情報統制に対抗するのが目的だった

しかしそれが今では、「(取材の後)記者たちが円陣を組んでメモ合わせをし、各社同じ紙面にする」そういう場に記者クラブがなってしまっているらしい。

私が飯を食ってきた業界では、そのような行動は「談合」といわれます

 メディア業界の常識は社会の常識とずいぶんかけ離れてきてしまったのでは。

 少なくとも平成になるまでは、使命感を持ち、そんな安易な仕事はしない人たちが取材に携わる人の中には間違いなくいたと思います。

現在、日本新聞協会は記者クラブを「公的機関の情報へのアクセスを容易にする取材拠点」とし、「言論・報道の自由を確立していくため、

一世紀を超える歴史的経緯を経て報道界が培ってきた取材・報道システム」と規定しているそうですが・・。

 現実は限られた会員の業界協調クラブになっているのでは。

上杉隆の本『ジャーナリズム崩壊』



しかしながら、フランスのバルザックは150年前にその著作「『ジャーナリズム性悪説』(ちくま文庫)」でこう述べているとも上杉は言う。

〈だれひとりとして出来事や考えをありのままに伝えるというようなことをするものはいない。事実を書かないという点では、野党新聞も与党新聞もまったく選ぶところがない。

ジャーナリズムは、内外で「報道の自由」という言葉から人が想像するほど自由なものではないのである。言葉にすることが不可能な事実もあるし、

また話題にしている事柄になにがしかの修整をほどこさなければならないこともある。したがって、パスカルにあれほど激しく非難されたイエズス会の偽善も、

ジャーナリズムのそれに比べたら子供だましのものでしかない。まことに恥ずべくことだが、ジャーナリズムがなんの掣肘もなく振る舞えるのは、

弱者か孤独な人を相手にする場合に限られる〉(バルザック)

 バルザックがこの本を世に出したのは1843年のことだ。日本はまだ天保年間、大塩平八郎の乱が起こり、徳川家慶が将軍になった頃である。

明治維新まではまだ4半世紀待たなければならない。哀しいことに、日本の政治とメディアの関係は、150年以上前のフランスのそれから少しも進歩していないのである。と。

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7月19日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年07月20日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文のサイトに飛びます。

 

 

 

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