阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

スカイツリーから東京を見下ろす。

2013年01月29日 | ゲストルーム
今回の上京では『スカイツリー』に上る時間はありませんでした。しかし神田の中華料理店『東園』の忘年会でお会いしたH先輩から、折良くスカイツリーから撮影した写真を見せて頂いたので、掲載をお願いしました。
 Hさんのメールから引用。『箱根、富士山方面は少し靄が掛り、富士山も霞んで写真では良く判りません。450メータの高所から東京を眺めると、やはり東京都は広いとつくづく思いました。 スカイツリーに登るのは今でも個人で行くと最低二時間は待たされます。我輩は「日本セカンドライフ協会」の会員に成っており、団体予約で参加したので予約時間に集まって比較的すんなりと登ることが出来ました。』
 トップ↑の画像は荒川遠景。身内が住んでいる江戸川区も見えそうです。
東京ドーム。

浅草寺。

国技館。

隅田川・荒川分岐点。

アサヒビールのンコビル。

アサヒビール遠景。

東京湾ゲートブリッジ。



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「六義園」と両国駅周辺   H25.1東京ぶらぶら その3

2013年01月29日 | 東京あちこち
名前は知っていましたが、『六義園』が駒込にあることは知りませんでした。幕府時代は柳沢吉保の屋敷でしたが、明治初年の混乱期に、三菱グループの創始者である岩崎弥太郎が手に入れた12万坪の広大な土地の一部が、現在『六義園』になっています(いるそうです)。

大きなしだれ桜の木がありました。この日は大雪のあとの整備とかで歩ける範囲が制限されていました。



前政権の高官の個人所有物を、新政府に出入りする元土佐藩諜報担当の下士だった商人が入手する。その土地に立つと、確かに明治維新と言われる幕府崩壊は、勝ち組の下級武士たちにとっては、下剋上のある種の階層革命だったと実感します。
 六義園を出ても新年会の時間まで余裕が出来たので、先に今夜の宿にチエックインすることにしました。

昼食がまだだったので、両国に来て時間があれば必ず寄る、立ち食い蕎麦の「文殊」でかき揚げソバを食べてから有楽町に向かいました。

東京勤務の13年間、週に2,3回は食べていたからか、醤油味が濃い東京の立ち食い蕎麦の出汁に慣れて、今回もおいしく
食べました。この店はオーダーを受けてから客に出すまでのルーティンがしっかり守られていて、旨さのレベルが高く
維持されています。この店を目指してきたらしい隣席の中年山ガールも、リュックを下してじっくり味わって食べていました。
 御茶ノ水駅の『明神そば』もそうですが、店員の手際がいい店は手順が守られていておいしい蕎麦を出します。

両国駅のホームからもスカイツリーが見えました。
コメント (3)
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