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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

8月16日に目に留まったSNS・メディアの記事

2025年08月16日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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小説『火垂るの墓』  野坂昭如さんの あとがき。       映画「火垂るの墓」は、本日 日本テレビ系「金曜ロードショー」で午後九時から放送

2025年08月15日 | 音楽・絵画・映画・文芸
 
君たちの生まれる前、戦争があった。
 
たくさんの人が死んだ。
 
そして、日本は、もう二度と戦争をしないと決めた。
 
だが今、戦争を迎え入れつつある。いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない状態なのだ。
 
君たちはこれをどう考える。
 
君たちの周りには食べ物が溢れている。
 
けれど、そのほとんどが、輸入の産物。
 
戦争が起きれば、食べ物は入ってこなくなる。
 
そうなれば、たちまち日本国中、餓死して当然。
 
ぼくが子供の頃、この国は農業が盛んだった。
 
身近に、作る人の努力を感じることができた。
.
物を食べる時、作った人や、その収穫物に感謝する気持ちがあったし、大地の恩、水、天の恵みを有難く思っていた。
 
「いただきます」という言葉には、そういった気持ち、すべてが込められていた。
 
食べ物を大事にしてください。
 
戦争中、そして戦後、餓えて死ぬ人を何人も見た。
 
戦争は嫌だ。戦争は決してしてはいけない。
 
君たちに同じ思いをさせたくいない。
 
君たちが大人になる頃、戦争を経験したぼくたちはもういないだろう。
 
この本を読んで、戦争を考えて下さい。
 
戦争について、語りあって下さい。語り合うことが大事です。
 
そして、ここに書かれなかった戦争の真実を、君たちの力で自分のものにしてください。
 
* 野坂昭如『火垂るの墓』 あとがきより
 
「火垂るの墓を歩く会」に参加しました。その1
「火垂るの墓を歩く会」に参加しました。その2
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宮内庁:四ケ国共同宣言を受諾する「玉音放送」の原盤を初公表 音声も公開

2025年08月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

宮内庁:玉音放送の原盤を初公表 音声も公開

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80年前、運命の夏  『文藝春秋が見た戦争と日本人』より

2025年08月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

『日本のいちばん長い日』、『聖断』などのノンフィクションを記してきた半藤一利さん(1930~2021)の原点が、

自らが体験した1945(昭和20)年の東京大空襲であった。

 東京大空襲は、1945年3月10日の陸軍記念日(日露戦争時の奉天会戦に勝利した日)、下町が狙われ、死者は10万人を超えた。

あの晩も警戒警報が鳴ったにもかかわらず……

 いま考えると、私が初めて歴史と正面から向き合ったのがその時でした。

つまり、昭和史“探偵”の原点がそこにある。昭和20年3月10日――。まずはその前の晩のことからお話ししましょう。

 9日の夜、東京に警戒警報が鳴ったのは、午後10時半頃でした。この警戒警報というものにすでに慣れっこになってしまっていましたから

この日もさほど驚かなかった。

 軍需工場じゃなければ爆弾は落とされない、さすがにあの頃はもうそんなことを考える人は誰一人いませんでしたが、

逆に言えば、どこにいようが当たってしまえばもうそれまで、と覚悟を決めていたようなところもあったんですね。

ですから、あの晩も警戒警報が鳴ったにもかかわらず、おやじと2人、呑気に寝ていたんですよ。

東京で米軍のB29による空襲が始まったのは、前年の昭和19年11月24日のことです。

11月1日からB29が東京上空に飛来して、警戒警報が発令されることはしばしばありましたが、それはせいぜい一機か二機、偵察に飛んで来るだけで、

いわゆる空襲ではありませんでした。

 しかも空襲が始まったといっても、最初のうちは中島飛行機があった武蔵野地区が標的でしたので、

私が住んでいた向島(むこうじま)(現、東京都墨田区)あたりはB29はただ素通りして行くだけ。

 それも攻撃は昼間と決まっていましたから、澄みきって青々とした冬空を、B29の編隊がキラキラ輝きながら、飛行機雲をひっぱって飛んで行く姿がきれいでしてね。

向島あたりではみんな物見高くて、空襲だといってもまるで他人事のように見物しているような有りさまだったんです。なんとものんびりしたものでした。

 私が勤労動員で働いていた工場でも、B29が来ると、作業を停止して防空壕に退避するんですが、誰も中に入りゃしない。

自分の身に降りかかってこない間は、映画なんか観ているよりよっぽど面白い。坂口安吾さんが書いたように「世紀の見せ物」ですからねえ(笑)

‥‥・以下本文へ続く

文藝春秋が見た戦争と日本人』より抜粋して引用する。(初出:『くりま』2009年9月号「半藤少年がくぐり抜けた戦争と空襲」)

 

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8月15日に目に留まったSNS・メディアの記事

2025年08月15日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食

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