塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来『ケサル王』 102 物語:少年ザラ

2015-05-04 22:36:44 | ケサル
物語:少年ザラ その4




 ユラトジが報告した。

 モン国の領地は広大で十三の河があり数百万の民がいる。天の恵みを受けて、雨が多く空気は潤い、冬は短く夏が長い。土地は肥沃で花や果実が山を満たしている。
 だが、このように豊穣な地でありながら、人々の生活は幸せとは言えない。
 国王も首席大臣グラトジエも魔物の化身であり、日がな一日国を治めることを考えず、人肉を食らい、その血を飲み、常に周りの国々を脅かし、その民をさらっていく。
 妖術の修練に耽り、隣国を脅かす暇がない時は、自国の民を自らの刀の犠牲とする。
 そのため人々は何時自分が国王に料理され皿に盛られるのかと、心配でびくびくしている。

 ケサルは言った。
 「シンチ王は、魔国のロザン、ホルのクルカル、ジャンのサタンと共に四大魔王と呼ばれ、天下に害を及ぼした。三人の魔王はすでにリンによって滅ぼされたが、モンの国は遠くにあり、また魔王は長い間姿を見せず波風を立てなかったので、これまで命を長らえて来たのである」

 ユラトジは続けて報告した。
 「シンチ魔王は、今ちょうど修練の最後の段階を迎えたところで、部下を厳しく戒め、小さなことにも慎重になっています。今年を何事もなく過ごせば、大願が成就するからです。それは思うがままに天下に覇を唱えるためです。我が軍が国境深くに進んだ時でさえ、応戦しませんでした。今二つの河を超えれば彼の王宮です。その時には敵は陣を敷き、我が大軍と大いに戦うでしょう」

 ケサルはザラを前に呼び、若い英雄の肩を抱いて言った。
 「明日、総ての軍を思い通り動かしてくれ。兄の戦法をしっかりと示すのだ」

 次の日、ザラは威厳を持ち勇壮に陣を敷いた。

 モンの兵営は吊り橋を挙げたまま静まり返り、正午を待ってやっと一頭の馬が兵営から出て、ザラの前に停まった。

 やって来たのは魔の大臣グラトジエ。
 危険を冒して姿を見せたのは、リンの内実を探るためだった。

 「馬上の若い司令官よ。我れはモンの首席大臣グラトジエと申すものだ」

 グラトジエは言った。
 「河のほとりの美しい原野は国王の遊ばれる地、王妃が野の花を摘まれ美し風景を楽しまれる地、大臣たちが法力と馬術を試す広野、花が咲き誇りカッコウが歌い、自然の音すべてが心地よい歌を奏でる祝福された地である。このように多くの異国の兵馬が隊列を組み殺気を振り撒くとは、もっての外だ」

 ザラは笑った。
 「我がリンの大軍が向かうところ、それはまさにすべての妖魔が横行する地を、今そなたが言ったように真のめでたい地にするためだ。分別をわきまえているなら早く馬を降りて降服されよ」

 グラトジエは慌てることなく、言った。
 「我れグラトジエは、友に穏やかなること絹の如く、また一方で、敵の矢と雷を制圧せずにはおかれぬ者だ。今、そなたに警告しておこう。明日日の出る前に、大軍すべて河の両側から消えるがよいぞ」
 言い終ると手綱を繰って馬の向きを変え、悠然と去って行った。

 グラトジエが去って行く後ろ姿は悠然としていたが、林を曲がやいなや馬を鞭打ち狂ったように走り出した。
 王宮に着いた時は全身が汗まみれになっていた。

 国王が天下無敵となる功法を成就するにはまだ数カ月かかる。
 これがリンの大軍が境界を超えた時もモンの大軍が抵抗しなかった原因だった。

 今、リンの大軍はすでに国の中央に近づき、このままでは激しい戦いは免れない。
 グラトジエは宮殿に入って報告した。

 「リン国は今どこよりも強大です。今は時を稼ぎ、ダロン部から略奪した民と牛、羊を倍にして戻し、雲錦宝衣を返上するのが良いでしょう。国王の功法が成就したら、その時は兵を出してリンを叩き潰し、払った代価を百倍にして償わせましょう」

 シンチ王は無表情に言った。
 「ケサルがお前に談判するとでもいうのか。もしや、兵を引く代価まで話をつけてあるのではないだろうな」

 グラトジエはすぐさま言い訳を始めた。
 「とんでもないこと。私めはただリンの兵を偵察した後、大王にご注意も申し上げたまで。ましてケサルは勝つことのみを考え、私と談判するなどありえません」

 「ではどうしろというのだ」

 「当時、私めはダロン部の長官トトンと通じておりました。ヤツは我々の力を知っており、今はリンの国王の叔父の身分です。彼に恩恵を約束したら、もしや…」

 「あの老いぼれはまだ我が国の愛しい公主に未練たらたらというぞ。まさか、それで奴を釣ろうというのではないだろうな」

 グラトジエは慌てて跪いた。
 「戻ってすぐさま兵を出し陣を敷きましょう。明日、リンの軍と思う存分戦います」

 シンチ王はやっと顔をほころばせ、立ち上がってグラトジエを助け起こした。
 「談判するのは敵に重い一撃をくらわしてからだ。それでこそ思い通りの結果が出せる。まず大いに戦おう。奴らを血の海に沈めるのだ。そうすればお前の舌を煩わせずに済むからな」

 国王シンチも夜を継いで前線に赴き、中軍のテントの中にどっかりと陣取った。






阿来『ケサル王』 102 物語:少年ザラ

2015-05-04 22:36:44 | ケサル
ユラトジが報告した。モン国の領地は広大で十三の河があり数百万の民がいる。天の恵みを受けて、雨が多く空気は潤い、冬は短く夏が長い。土地は肥沃で花や果実が山を満たしている。だが、このように豊穣な地でありながら、人々の生活は幸せとは言えない。国王も首席大臣グラトジエも魔物の化身であり、日がな一日国を治めることを考えず、人肉を食らい、その血を飲み、常に周りの国々を脅かし、その民をさらっていく。妖術の修練に耽り、隣国を脅かす暇がない時は、自国の民を自らの刀の犠牲とする。そのため人々は何時自分が国王に料理され皿に盛られるのかと、心配でびくびくしている。
ケサルは言った「シンチ王は、魔国のロザン、ホルのクルカル、ジャンのサタンと共に四大魔王と呼ばれ、天下に害を及ぼした。三人の魔王はすでにリンによって滅ぼされたが、モンの国は遠くにあり、また魔王は長い間姿を見せず波風を立てなかったので、これまで命を長らえて来たのである」
ユラトジは続けて報告した。「シンチ魔王は、今ちょうど修練の最後の段階を迎えたところで、部下を厳しく戒め、小さなことにも慎重になっています。今年を何事もなく過ごせば、大願が成就するからです。それは思うがままに天下に覇を唱えるためです。我が軍が国境深くに進んだ時でさえ、応戦しませんでした。今二つの河を超えれば彼の王宮です。その時には敵は陣を敷き、我が大軍と大いに戦うでしょう」
ケサルはザラを前に呼び、若い英雄の肩を抱いて言った「明日、総ての軍を思い通り動かしてくれ。兄の戦法をしっかりと示すのだ」
次の日、ザラは威厳を持ち勇壮に陣を敷いた。モンの兵営は吊り橋を挙げたまま静まり返り、正午を待ってやっと一頭の馬が兵営から出て、ザラの前に停まった。やって来たのは魔の大臣グラトジエ。危険を冒して姿を見せたのは、リンの内実を探るためだった。「馬上の若い司令官よ。我れはモンの首席大臣グラトジエと申すものだ」
グラトジエは言った。河のほとりの美しい原野は国王の遊ばれる地、王妃が野の花を摘まれ美し風景を楽しまれる地、大臣たちが法力と馬術を試す広野、花が咲き誇りカッコウが歌い、自然の音すべてが心地よい歌を奏でる祝福された地である。このように多くの異国の兵馬が隊列を組み殺気を振り撒くとは、もっての外だ」
ザラは笑った「我がリンの大軍が向かうところ、それはまさにすべての妖魔が横行する地を、今そなたが言ったように真のめでたい地にするためだ。分別をわきまえているなら早く馬を降りて降服されよ」
グラトジエは慌てることなく、言った。「我れグラトジエは、友に穏やかなること絹の如く、また一方で、敵の矢と雷を制圧せずにはおかれぬ者だ。今、そなたに警告しておこう。明日日の出る前に、大軍すべて河の両側から消えるがよいぞ」言い終ると手綱を繰って馬の向きを変え、悠然と去って行った。
グラトジエが去って行く後ろ姿は悠然としていたが、林を曲がやいなや馬を鞭打ち狂ったように走り出した。王宮に着いた時は全身が汗まみれになっていた。国王が天下無敵となる功法を成就するにはまだ数カ月かかる。これがリンの大軍が境界を超えた時もモンの大軍が抵抗しなかった原因だった。今。リンの大軍はすでに国の中央に近づき、このままでは激しい戦いは免れない。グラトジエは宮殿に入って報告した。「リン国は今どこよりも強大です。今は時を稼ぎ、ダロン部から略奪した民と牛、羊を倍にして戻し、雲錦宝衣を返上するのが良いでしょう。国王の功法が成就したら、その時は兵を出してリンを叩き潰し、払った代価を百倍にして償わせましょう」
シンチ王は無表情に言った「ケサルがお前に談判するとでもいうのか。もしや、兵を引く代価まで話をつけてあるのではないだろうな」
グラトジエはあれこれと言い訳した「とんでもないこと。私めはただリンの兵を偵察した後、大王にご注意も申し上げたまで。ましてケサルは勝つことのみを考え、私と談判するなどありえません」
「ではどうしろというのだ」
「当時、私めはダロン部の長官トトンと通じておりました。ヤツは我々の力を知っており、今はリンの国王の叔父の身分です。彼に恩恵を約束したら、もしや…」
「あの老いぼれはまだ我が国の愛しい公主に未練たらたらというぞ。まさか、それで奴を釣ろうというのではないだろうな」
グラトジエは慌てて跪いた「戻ってすぐさま兵を出し陣を敷きましょう。明日、リンの軍と思う存分戦います」

シンチ王はやっと顔をほころばせ、立ち上がってグラトジエを助け起こした。「談判するのは敵に重い一撃をくらわしてからだ。それでこそ思い通りの結果が出せる。まず大いに戦おう。奴らを血の海に沈めるのだ。そうすればお前の舌を煩わせずに済むからな」
国王シンチも夜を継いで前線に赴き、中軍のテントの中にどっかりと陣取った。