塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 ⑳ 第2章 大渡河に沿って歩く

2008-06-30 12:41:14 | Weblog
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)


大都河4 心を痛める場所 その3



 その日の夜、途中の村に泊まった。
 その村の名前を書く必要はないだろう。なぜなら、それぞれに違った名前がある以外、この村のすべてが前述の通り過ぎてきた村々と何も異なったところがないからだ。

 たくさんのハエが飛び回る小さな料理屋、門の前には木を運ぶトラックが止まり、1,2本の柏の木が必ずどこかに聳えていて、私たちをほんの少しの間はるか昔風景が美しかった時代の不確かな思い出に誘い込む。
 それは土地に伝わる歌の時代、水の澄んでいた時代、そしてまた民間の詩人が最後の言葉を残した時代である。

 その時代の余韻として、私は民間の知者に「美しい時代の衰退」という民間の文章を訳してもらった。
 この文章はほとんど世の中に伝わっていない。一つには、民間に考え事を好む人が日々少なくなっているため、そして、歴史学者がこのように詩的で総括的な叙述を簡単に排除してしまうためである。だが、私はこのような文章が好きだ。その中にこのような文章がある。
 
 「その後、宗教が信じられず、寿命の短い時代がやってきた。妖怪たちは思うがままに人々を惑わした。悪人たちは思うがままに人々を傷つけた。悪人が金儲けをして高い位に昇った。傲慢が専横を極めた。善人や悪意のない人々は臆病で何もできず、貧困と悲惨に陥っていくばかりだった」。

 更にこう書かれている。

 「それからも、宗教は益々力を失い、寿命の更に短い時代となった。負債と税の時代が近づいた時、国王は彼の治める領地で八千年の権力しか持っていなかった。一人だった国王が複数の国王へと変わった。国王たちは自分だけが正しいと思いこみ、昔の宗教と経典を無視した。それぞれが己を信じすぎ、そのため、それぞれの国にそれぞれの宗教と経典が生まれた」。

 これは「旧約聖書」にも似た、総括と詩意に溢れた、史実よりも象徴性の強い記述である。日ごとに荒れ果てていく場所が、このような民間の詩人と思想家を生み育てたことに私はとても驚かされた。だが今、このような人物はもう現れないだろう。その意味から言っても、この荒涼とした場所はもう永遠に元に戻せないのだ。

 私はその日をはっきりと覚えている。一九八九年六月七日。

 旅館の蚤の跳ね回るベッドに横たわり、二時間ほど眠って目覚めると、15ワットの白熱灯の下でノートを開き、もう一度これらの言葉を味わった。
 その時電灯が三度光った。これは小さな発電所の技術員がコントロール台の水スイッチを切り、また入れ、切って入れ、切って入れしたからだ。これは、小さな村とその周りの村の人々に、まもなく停電することを告げている。

 普段なら、これらの小さな村々はすでに眠りに包まれている。だが、この一年のここ数日、このような辺鄙で人々に忘れさられたような場所でも、人々は首都北京、省都成都で起こっている事柄に興奮していた。
 このような興奮にはほとんどの場合特別な主義や道徳的な批判は含まれていない。生活があまりに平淡すぎるので何かが起こらなければならないのだ。それがテレビの中だけで起こったことであっても、何も起こらないよりは良いのである。
 
 十分後、電灯は消え、小さな村は眠りに着いた。

 起き上がって窓辺に立つと、大河が両岸の岩の間でたてる重苦しい波音が聞こえた。岩の隙間に何本かの柏の木が天に向って聳えている影が見える。

 そこで、リュックからろうそくを取り出し、柏の詩を書いた。
 「オビラトの柏の樹」である。
 オビラトはこの村の名前ではない。私はこの小さな村に、響きの良い、みすぼらしくない名前を付けたかった。ギャロンチベット語では、オビは種の意味、ラトは在る、まだ存在している、という意味である。私がこの小さな村に付けた名前は「種はまだ存在している」である。
 どんな種だろうか。もちろん柏の樹の種だ。いや、それは種とも言えないものだ。柏の樹の細長い影であり、私の心の中のわけの分からない揺らめきと切なさなのだ。

 私が詩を書いていた青年時代、ほとんどの詩はこのような旅の途中で、このような壊れかけた粗末な旅館で書いた。

 それにしても何故、ある場所では、建ったばかりの旅館がすでに古めかしく荒れ果てている印象を与えるのだろう。

 旅館とはそういうものだ。山間の村もまたそういうものなのだ。


(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)