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白鵬の破れない記録達成

2017年07月22日 | eつれづれ

数々の記録を打ち立ててきた白鵬に20日、新たな金字塔が加わった。大相撲7月場所で2人の偉大な先人たちを抜き去り、通算勝ち星1048勝で史上単独トップに立った。白鵬は現在、32歳と4カ月。魁皇が1047勝に到達したのが38歳11カ月、千代の富士の1045勝は35歳11カ月のときだった。
驚異的なペースでの記録更新はおのずとハイアベレージの勝率となり、昭和の大横綱大鵬の73.3%を数ポイントも上回る79%。通算勝ち星で頂点に立った白鵬は「気持ちいいです。いい相撲だったし、力のある攻防で喜びが昨日より倍増したかな」と、過去誰も味わったことのない喜びに浸っていた。
■白鵬と主な歴代力士の通算成績
1位:白鵬 1048勝219敗58休 勝率79.0%
2位:魁皇 1047勝700敗158休 勝率55.0%
3位:千代の富士  1045勝437敗170休 勝率63.3%
8位:大鵬 872勝182敗136休 勝率73.3%
※本稿での勝率は休場も含めた数値
初土俵から16年、白鵬が誰よりも速いスピードで駆け抜けてきた道のりは、大相撲の今世紀の歴史とそのまま重なる。大横綱の軌跡を4つの時代に分けて振り返る。
負け越しから始まった出世街道
新入幕を果たした当時19歳の白鵬。顔にはまだ幼さが残る
「感動した!」と小泉首相(当時)も絶叫した、2001年5月場所の横綱貴乃花の劇的な優勝。右膝に重傷を抱えながら優勝決定戦で横綱武蔵丸を上手投げで下したシーンは、今も語り草だがこの場所、モンゴル出身の16歳の少年が、序ノ口力士として初めて本場所の土俵に上がった。
成績は3勝4敗の負け越し。本名をムンフバト・ダヴァジャルガルという痩せっぽちの少年が、のちに角界の記録を次々と塗り替えることになろうとは当時、誰一人として予想してなかったに違いない。
それでも幕下昇進までは2年と比較的早かったものの、まだ注目される存在ではなかった。幕下以下では各段優勝がなく持ち前の体の柔らかさとしぶとさでコツコツと番付を上げていった。ホープとして頭角を現してきたのは十両に昇進する2場所前あたりから。
03年9月場所から2場所連続で6勝1敗の好成績を挙げ、18歳9カ月で新十両昇進。このあたりから「未来の横綱」として、白鵬には大きな期待が寄せられるようになる。
十両2場所目に12勝3敗で十両優勝すると、04年5月場所の新入幕場所でも12勝3敗で敢闘賞受賞。立ち合いは左足から大きく踏み込み、左の浅い上手を取る右四つの取り口が確立されると、07年3月場所から連覇で横綱昇進を果たした。
朝青龍との2強時代は実質“白鵬時代”
両者の対戦成績は13勝12敗(本割のみ)だが、白鵬の横綱昇進以降は8勝3敗と先輩横綱を圧倒した。
武蔵丸が引退した03年11月場所以降、朝青龍の一人横綱時代は3年半にもおよび、4連覇2回と前人未到の7連覇を達成。
角界の頂点に君臨するモンゴル出身初の横綱は優勝回数を重ねていくとともに“暴君”ぶりも手がつけられなくなっていく。
そんな“独裁体制”も白鵬が横綱に昇進すると土俵上は“覇者交代”を迎えることになる。番付上は“2強時代”到来もこれ以降、朝青龍の連覇はなく新横綱の場所こそ11勝に終わった白鵬が以後、3連覇2回など驚異的なペースでモンゴルの先輩横綱に優勝回数で迫っていく。
朝青龍が10年1月場所に25回目の優勝を果たし“強制引退”させられるまで、横綱同士としての両者の対戦成績は白鵬の8勝3敗(優勝決定戦は除く)。
朝青龍は左、白鵬は右のケンカ四つだけに朝青龍のスピードを封じ込め右四つに組み止めれば体格で優る白鵬有利な展開となるケースが多く見られた。
朝青龍が2010年1月場所限りで引退すると角界は白鵬の一人横綱時代へ。
同場所14日目から始まった連勝は、圧倒的な強さをもって積み重なっていく。同年7月場所14日目で大鵬を抜いて昭和以降、史上単独3位となる46連勝。さらに翌9月場所7日目には千代の富士を抜いて単独2位に立つ54連勝をマーク。4場所連続全勝優勝も達成し、62連勝で九州に乗り込んだ。
不可侵とされていた横綱双葉山の69連勝に並ぶ日もいよいよ“カウントダウン”に入った矢先の11月場所2日目、平幕の稀勢の里に寄り切られると「これが負けか」と吹っ飛ばされた土俵下で茫然自失。連勝記録は63でストップした。
それでも一人横綱の牙城は揺るぎなく11年5月技量審査場所で朝青龍に並ぶ史上1位タイの7連覇を達成した。その間、角界は八百長騒動が勃発。さらに日本列島は東日本大震災に見舞われ、当時一人横綱の白鵬は被災地に赴き、復興祈願と地鎮めの土俵入りを行うという大役を果たした。
名実ともに角界の第一人者ではあるが無用な張り手、かち上げとは似て非なる“肘打ち”、駄目押し、あるいは懸賞金をひったくるなど土俵態度が荒れてきたのもこのころだ。
超ハイペースで大記録達成、無人の荒野へ…
日馬富士の横綱昇進以降は、やや勝率を落としている白鵬。しかし鶴竜、稀勢の里も加えた3横綱との対戦成績は、白鵬優位が不変であること示している。
12年9月場所後、日馬富士が横綱に推挙され、白鵬の一人横綱時代にピリオドが打たれた。さらに14年3月場所後には鶴竜も昇進。3横綱が番付に名を連ねたのは01年1月場所以来だが、白鵬の強さは依然として際立っており、驚異的なペースで優勝回数を重ねていく。14年11月場所で優勝回数が昭和の大横綱大鵬と並び、史上1位タイの32回となると、間髪入れずに翌15年1月場所で33回目の優勝。大記録はあっさりと更新された。
しかし、金字塔を打ち立てて以降、無敵を誇ってきた横綱にも“勤続疲労”が忍び寄ってきた。30歳を超えた15年9月場所は横綱に昇進して以来、初めての休場。16年5月場所は12度目となる全勝で37回目の優勝を果たすが、その後は2度の休場。
皆勤場所も終盤前に優勝争いから脱落するなど、賜盃を手にしない期間が1年に及んだ。
「32回を超えてから目標を失った」とモチベーションが低下した時期もあったが、稀勢の里の横綱昇進で角界の第一人者のハートに再び火が灯った。
全盛期のような絶対的な力強さこそ影を潜めたものの、相手の弱点を研究し尽し、手堅く“勝ちにいく相撲”で17年5月場所は1年ぶりの優勝を全勝で飾った。
そして魁皇が持つ史上1位の通算1047勝の記録も、7月場所12日目に更新。超ハイペースで新記録を達成した背景には、四股や摺り足など日々の稽古では基礎運動に多くの時間を割き、徹底して下半身を強化してきたことと無関係ではないだろう。強靭な下半身は「ケガが少ない=休場が少ない」体質を生み、ひいては白星の量産につながっていった。さらに技と技を繋ぐ引き出しの多さは群を抜いており、加えて誰よりも勝利への執念がある。
まさに“鬼に金棒”の強さを誇り、優勝回数と通算勝ち星の両方で歴代単独トップに立った白鵬は、これからも無人の荒野を走り続ける。

ここまで来たのもケガしない体づくりのたまものだろう。もう、これからも絶対に破れない記録の様だ。




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