二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

考えると、三回は、

2018年02月14日 14時26分31秒 | ニ言瓦版
この銀メダルは、分からない。
このスノーボード男子ハープパイプは、分からない。
なんで、三回のチャンスで、一回の一番の成績で、一番。
問題と思う。
二回失敗しても、いいのか。



「◇平昌冬季五輪 スノーボード男子ハープパイプ決勝(2018年2月14日)

 平昌五輪は14日、スノーボードの男子ハーフパイプ(HP)決勝が行われ、日本からは前回ソチ五輪銀メダルの平野歩夢(19=木下グループ)、片山来夢(22=バートン)、16歳の戸塚優斗(ヨネックス)の3人が出場。平野は2回目で95・25点をマークし、2大会連続の銀メダルを獲得した。日本のスノーボード選手が複数のメダルを手にしたのは初めて。


 最大のライバルであるショーン・ホワイト(31=米国)が最終試技で平野を逆転し97・75点で金メダル、「3強」の一角スコット・ジェームズ(23=オーストラリア)が92・00点で銅メダルだった。

 金メダルの期待が懸かった平野は1回目の試技は転倒し35・25点。それでも、2回目にきっちりと修正し完璧なランを披露。軸をずらしながら縦に2回転、横に4回転する「ダブルコーク1440」の連続技に成功し、95・25点をマークした。

 平野は「前回も銀メダルで上を目指すために4年間練習してきたので悔しさも残ってますけど、自分のできる範囲では全力でやれたのかなと思います」と充実した表情。「楽しかったです」と清々(すがすが)しい笑顔も見せ、「(ホワイトとジェームズと)3人で争って、今までで一番の大会だったんじゃないのかなと思います」と競技を振り返った。「終わってみると本当にすべての人たちに感謝しかない。その力がこの大会でも結果につながったのかなと思います」と周囲の支えにも感謝していた。」




なんで、決勝が、三回の出来るのかも、疑問。

結局、銀メダルは、決勝で、一回で、高得点。
銀メダルは、三回目で、一番のいい成績。
一発勝負でなく、三回のあれば、確実の点をするか、冒険して、一発勝負か。
予選と、決勝は、二回と、総合か、三回のチャンスがあるのか。

一発勝負が、本当かもしれない。
体操のように、一発の勝負が、必要かもしれない。
二回でもいい。
決勝の三回は、多すぎる。
危険なことが、三回することもある。
スケートのように、一発勝負が、一番かもしれない。
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今後は、視聴率が、問題、

2018年02月14日 10時14分25秒 | ニ言瓦版
CMとは、違う。
ドラマは低迷時期だろう。
5%は、アニメのが再放送で食える。
酷いアニメでも。





「“CMクイーン”広瀬すずが主演する連続ドラマ『anone』(日本テレビ系)の視聴率が、とんでもないことになっている。
 初回は9.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)で発進したが、その後、7.2%→6.6%→6.4%と推移し、7日放送の第5話では5.9%まで降下。見事なまでの右肩下がりで、初回から3.3ポイントもの大幅ダウンとなった。
 日テレのプライム帯の連ドラの中では、“死に枠”とも称される「日曜ドラマ」でこそ、低視聴率を連発しているが、「水曜ドラマ」は、ほぼ毎クール、2ケタ台をマークしている優良な“看板枠”。その枠で、5%台を記録したのは、2013年10月期『ダンダリン 労働基準監督官』(竹内結子主演)第8話の5.6%以来、4年3カ月ぶりの大惨事なのだ。
『anone』は、同枠で放送された『Mother』(10年)、『Woman』(13年)に続く、日テレと人気脚本家・坂元裕二氏による3作目。先の2作は高視聴率をマークしており、同局の期待も、視聴者の前評判も高かった。ところが、始まってみれば、必要以上に手の込んだ難解なストーリーで、視聴者がついていけず、脱落者が続出。気がつけば、深夜ドラマ並みの低視聴率に沈んでしまっている状況だ。
 そんな中、光明がないわけではない。直近の第5話は、比較的スッキリした展開となり、廃業した印刷所の2階に住む亜乃音(田中裕子)の自宅で、天涯孤独の主人公・ハリカ(広瀬)、死に場所を探していたるい子(小林聡美)、余命宣告を受けたカレー屋店主・舵(阿部サダヲ)が、奇妙な共同生活を始めたのだ。そして、舵が使われなくなった印刷機を使って印刷屋を再開するというアイデアを出し、印刷機の使い方を聞くために元従業員の理市(瑛太)を呼び出す。理市は、亜乃音の亡き夫・京介(木場勝己)と偽札を造っていたことを告げ、亜乃音たちに偽札製造の協力を求めたところで終了。
 5話にも及ぶ複雑なストーリー展開の末、第6話以降ががぜんおもしろくなりそうな気配になってきたのだ。理市は妻子がいながら、消息を絶っていた亜乃音の義理の娘・玲(江口のりこ)と不倫しているが、次回では、それを亜乃音が知り、その問題でも紛糾することになりそうだ。
 だからといって、それだけで視聴率アップにつながるとは言いがたい状況がある。
「このドラマは1話完結モノではなく、1話ごとに奥深くつくられているため、初回から見続けていないと全体像が見えず、途中からでは、なかなか入っていけません。一度脱落した人、初めて見る人が第6話から視聴しても、そのおもしろさが伝わりづらく、定着させるのは難しいのではないでしょうか。従って、これ以上、大きく視聴率がダウンする可能性は低くなりましたが、逆に大きくアップさせるのも難しいと思われます。ようやくおもしろくなってきたのに、『時すでに遅し』といった印象です。あまりにも難解すぎた初回の展開をなんとかしていれば、もう少し視聴率低下に歯止めがかけられたかもしれませんね」」


考えると、冬季五輪のせいでもない。

時代は、CMより、今後、人気は、視聴率で、変わる。
これで、NHKの朝ドラに出るとき、どんな視聴率になるか。
面白いことか、今後。

「2019年度前期放送の連続テレビ小説100作目となる『夏空 -なつぞら-』(NHK)でヒロインを務める」はして、どうか。
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金より、いい球団が、いいのに。

2018年02月14日 10時11分49秒 | ニ言瓦版
この記事、読むと。
まるで、投資か、ブランドの高額売りに見える。
日本バムが、大リーグに、売りだして、その得た、大リーグ球団は、利出して、
処分。そして、買った、球団は、まだ、数か月で、処分。



「12月に直接交渉「すごく誠意を持って交渉してくれていた」
 ドジャースからFAとなっていたダルビッシュ有投手が13日(日本時間14日)、カブスと正式に契約を交わし、米アリゾナ州メサのキャンプ施設で入団会見を行った。6年契約で、米報道によると総額1億2600万ドル(約137億円)で出来高を含めると最大で1億5000万ドル(約163億3000万円)に達するという。
 エプスタイン編成本部長とともに会見に出席した右腕は背番号「11」のついたユニホームに袖を通し、「この度はカブスという素晴らしい球団に入団することができて、非常に光栄に思います。しっかり評価に見合うような結果を出せるように頑張っていきたいですし、早くチームに馴染めるようにしたいと思います」と入団の喜びを語った。
 カブスとは12月に直接会談に臨み、通訳を介さずにざっくばらんな話をした。そこで伝わってきたのが誠意だった。「すごく誠意を持って交渉してくれていた。エプスタインさんをはじめ、すごくみなさん人間が素晴らしかったので、ここだと家族で安心して過ごすことができるなと思いました」と感謝。さらに、カブスを選んだ理由として「もちろん、ワールドシリーズに行ける確率が非常に高いというのが(チーム選択の)かなりのプライオリティだったので、それを十分過ぎるほどに満たしているチームだった」と明かした。
 会見を終えた後、早速カブスのTシャツとハーフパンツに着替えると、レンジャーズ時代に同僚だった捕手ジメネスとキャッチボールをするなど軽く体を動かした。終始笑顔を浮かべるなどリラックスしたムード。14日(同15日)から始まるスプリングトレーニングで、カブス・ダルビッシュの世界一に向けた挑戦が幕を開ける。」



考えると、この代理人は、儲かる、儲かる。
証券会社の売買の手数料で、食べているのとにいている。
弁護士の同じかもしれないが。


もっと、何年も、支援して、球団に、貢献する人材になれないものだ。
高くなれば、なるほど、生き場所が消える。

まるで、松坂選手のように、消えていくか、日本で、元のコーチ、監督の場所に行くしかないのか。

金で、行くのか。
将来の経営、管理する人材になるか。

考えると、高校出て、大リーグに行き、大学に行き、将来は、大リーグの経営か、
企業の経営に行くのが理想。


カブスは、いい球団なのと、問われる。

速い投手で、生き場所なく、死んだ投手がいた。


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後に祟られないこと。

2018年02月14日 04時00分01秒 | 名言、珍言。
名言、珍言。


「歓楽極まりて哀情多し」

《漢武帝「秋風辞」から》喜び楽しむことが極まると、かえって悲しみの情が生じること。

漢 武帝

武帝は前漢第七代皇帝です。16歳で即位して54年間皇帝の座に君臨しています。
前漢王朝の絶頂期を築き上げた名君で、軍事面では匈奴を撃退し、
政治面では儒教を導入して中央集権国家を建設しています。
経済面でも塩や鉄の製造販売を国が管理する専売制を導入しています。


勝手な解釈
いい事もあれば、最悪の真坂もある。
それが、現実。楽しむ過ぎると、地獄がある。

この世とは、公平なこと。
よくよく、自分の所業に後々祟られないことだ。


==========

名言、珍言。



「皆は私が幸せだと思っているようだが、
何かがうまくいかないと、責められるのはいつも私だ。」

偉人 西太后 名言集|心の常備薬
西太后


勝手な解釈
いい時は、自分のこと。
悪い時は、世間のせい。
人は、勝手なことだろう。
現実、権力えるも、貧しき者になるも。
最後は、責任は、自分だ。

墓に入るも、墓に、いやがらせされる所業は、
恨みを買われることは、ない人生がいい。


==============

名言、珍言。



「西太后:
「洋鬼子(西洋の鬼ども)のはずかしめを受けたら困るので、お前もつれていってやる」
珍妃 :
「皇帝陛下は北京にとどまり、洋鬼子との和議にあたられるべきでございましょう」
西太后:
「井戸にぶちこんでしまえ!」」


偉人 西太后 名言集|心の常備薬

西太后



勝手な解釈
知ると困る地位。知られて、困る地位。
人は、最後は、所業は、地位の維持か、乗っ取りか。
それとも、淘汰されるのが、自然。


==========

名言、珍言。


「金は天下の回りもの?
では、私の列は飛ばされているとでも?」


偉人 西太后 名言集|心の常備薬

西太后


勝手な解釈
残酷なこと。地位があると、降りること。
上がれば、落ちる。
どんな高い地位でも、降りることが、現実。
引退も、真坂の坂で、転落も。

勝たないと、敗北そして、惨め。
それでは済まない、維持した、崩壊する組織もある。
不正して、維持すれば、倒産、刑務所暮らしが、晩年。
殺されることもある。

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4

2018年02月14日 03時49分45秒 | ニ言瓦版
西太后を調べた。
何か、権力に得る過程が似ている。



「西太后(せいたいこう・せいたいごう、道光15年10月10日(1835年11月29日) - 光緒34年10月22日(1908年11月15日))は、清の咸豊帝の側妃で、同治帝の母。清末期の権力者。満州・旗人(鑲藍旗人)のイェヘナラ(Yehe nala、葉赫那拉、エホナラ)氏の出身。


西太后の名前について[編集]
「西太后」とはもともと咸豊帝の第2婦人であった「東太后」(慈安皇太后)と対になる名称である。皇帝との間に男子を産んだ西太后に対し、東太后は皇帝の正室となったが男子(世継ぎ)を産むことがかなわなかった。それでも儒教の論理や明の洪武帝の祖法のしきたりにより東太后は次期皇帝の嫡母となることが決められており、西太后自身は生涯において皇后になることは出来なかった。咸豊帝崩御に伴い同治帝が即位すると、皇后は皇太后として「東太后」となり、同治帝を産んだ生母も皇太后となり「西太后」と呼ばれるようになったのである。
宮中に入る以前の姓はイェヘナラで、幼名は「蘭児」。数え18歳で後宮に入ると「蘭貴人」となり、のちに徽号を「懿」に変えた。昇進するにつれ懿貴人から懿嬪、そして男子誕生により「懿貴妃(nesuken guifei)」となった。咸豊帝崩御後は「慈禧皇太后」となったが、当時のしきたりではめでたいことや吉兆があるたびに二文字追加されるため、息子(同治帝)の結婚により「端佑」が追加され「慈禧端佑皇太后(jilan hūturi tab karmangga hūwang taiheo)」となり、同治帝の親政開始で「康頤」が加えられ、その後も吉事の度に二文字ずつ追加されて最終的な諡号は「孝欽慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇煕配天興聖顕皇后」となった。
近年西太后の弟桂祥の曾孫を名乗る那根正が『我所知道的慈禧皇太后』(中国書店、2007年)で西太后の本名は杏貞、隆裕太后の本名は静芬であるという説を提唱してから広まったが、那根正の語る話には矛盾が多く、信憑性には疑問が残る。
那根正は自分の祖父を桂祥の息子増錫(原名徳錫)であるとしているが、桂祥の息子で確認されているのは徳恒、徳祺の2人で、徳錫という人物は確認できない。[1]
那根正は『我所知道的末代皇后隆裕』(中国書店、2008年)で桂祥の没年について1928年としているが(63頁)、実際には桂祥は娘の隆裕太后が死去した同年の1913年12月に死去しており、史実と一致しない。『宣統年交旨档』(全国図書館文献縮微複製中心、2004年)宣統五年十一月十八日(1913年12月15日)諭旨によると、(419頁)、死去した桂祥のために清室から五千両が下賜され、長子徳恒を頭等侍衛、乾清門行走とし、次子徳祺を侍衛として用いたとある。
那根正は、清代の著名な詩人で葉赫那拉氏の納蘭性徳の九世孫(または納蘭性徳の近親の子孫)で、かつ西太后の弟桂祥の曽孫を自称している。納蘭性徳は最後の葉赫部領主金台石の曽孫で、金台石の子孫は正黄旗に編入された。一方西太后の一族は同じ葉赫那拉氏であっても鑲藍旗に編入され、西太后の時代に抬旗されて鑲黄旗に移っている。西太后の祖先喀山はヌルハチが葉赫部を滅ぼす以前にヌルハチに服属しており、葉赫部領主金台石の子孫ではなく、納蘭性徳の系統とは全く別の系統に属する。そのため那根正が主張する、那蘭性徳の九世孫で、かつ西太后の弟桂祥の曽孫というのは成り立たない。以上のような理由で、中国の研究者の間では、那根正の出自に対しても疑問が呈せられている。[2]


西太后の出生地は不明で、安徽省蕪湖説、内モンゴルのフフホト説、山西省長治説など諸説があるが、近年の学界では北京出生説が有力とされる。西太后の父親だった恵徴は、清朝の中堅官僚で、最終官職は安徽寧池太広道の「道員」だった。恵徴は1853年、安徽省の赴任先で太平天国の乱に巻き込まれ、その心労により同年六月三日(7月8日)に鎮江で病死した。
1852年、数え17歳のとき、3年ごとに紫禁城で行われる后妃選定面接試験「選秀女」を受けて合格。翌年の五月九日(6月26日)、18歳で咸豊帝の後宮に入って「蘭貴人」となった。後に「蘭」から「懿」に徽号を変えており、貴人から懿嬪に進んだ。ちなみに皇后はニオフル氏(のちの東太后)であった。1856年、咸豊帝の長男(愛新覚羅載淳。咸豊帝の唯一の長く生きた男子)を生み、その功績により、懿貴妃に昇進した[3]」


女性でも、欲があるかで、這い上がるかで、
変わる。

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