二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

不思議、裁判にならないのか、不思議。

2016年05月27日 16時43分45秒 | ニ言瓦版
誤解ではなく、一度、拘置所に入ることだうな。
検察は、どうして、捕まえなのか、不思議。
裁判するも、必要。
最高裁まで、数十年かけても、すること。


「定例の記者会見をする東京都の舛添要一知事。自身の政治資金をめぐる疑惑を取り上げた報道について「まったくの誤解というものもある」と述べた=27日午後、東京都新宿区の都庁」



普通は、辞職すれば、ご和算であるが、何か、すべては、調べると、
塀の中か、塀の外が、塀の上で、いるような犯罪か、犯罪でない。

都知事の仕事するより、自分の不正の弁解の仕事のが忙しい気がする。

一度は、無所暮らしが、必要。
都知事の仕事するより、裁判で、弁解する仕事のが先になるようなことが現実。

よくよく、裁判所は、裁判にできないものか。


都議会の問題、国会議員の過去の問題というより、司法で、裁くのが、必要に思う。
民事事件か、刑事事件か、できないものか。

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考えると大切なのはゴミ袋

2016年05月27日 04時35分58秒 | ニ言瓦版
考える。
ゴミ袋が。

食料の大切だが、ゴミ袋。
ゴミより、大切かもしれない。

生きているは、必要なのは、ゴミ袋。




「大地震が来ると、道路や鉄道に被害が及ぶ。食料や水はすぐに入手できなくなるので、日常生活の延長で、準備しておきたいものをあげる。

 普段と同じような食事がとれるのは大事だ。NPO法人日本防災士会(東京都千代田区)の橋本茂常務理事は「カセットコンロに加え、うどんやパスタなど普段、食べているものを1・5倍程度準備し、減ったら買い足す」と話す。無洗米があれば最小限の水でお米が食べられるので、1袋置いておく。

 大震災で最も困るのが、トイレが使えなくなる事態。橋本さんは「水が流せないなら、トイレの中に大型のゴミ袋を敷いて凝固処理剤をまく方法で対応できる」と話す。猫を飼っているなら“猫砂”がよい。多めに準備しておけば、人間にも転用できる。「猫砂は吸収がよくニオイが広がりにくい」(橋本さん)

 便利なのが、食品用のラップだ。食器にかぶせれば皿を洗わずに済む。包帯替わりにもなる。未使用のものを1本、常備するクセをつけたい。

 大型のゴミ袋は、トイレ用に加え、上部に穴を開ければ寒いときのポンチョ代わりにもなる。

 新聞紙は、寒いときには洋服と下着の間にはさめば保温材に。折り紙にすれば食器やスリッパが作れる。読み終えたものはすべて捨てるのではなく、数部を残しておこう。車は避難場所だけでなく、いろいろな面で役立つ。シガーソケットからは、電源が取れる。携帯用充電器を準備しておくとよい。ジャッキを備えているので、重量物を持ち上げることもできる。テレビがあれば、情報を得られる。室内にスペースがなければ、水や食料の保管場所として使える。日頃からガソリンを満タンにするクセをつけたい。

 ところで、企業でも社員が帰宅困難になることを想定して備蓄が進む。橋本さんは「高層ビルの地下が倉庫になっていると、揺れが続く状況で取りに行くのは困難。トイレは待ったなしに必要なので各階に準備しておきたい」とアドバイスする。 」


新聞紙もそうだが、ゴミ袋。
ラップもそう。
家庭の消耗品で、必要なのは、普通のこと。
高額な商品より、ゴミ袋と、いろいろ。
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知らなかった、全国回ったのか。

2016年05月27日 04時30分40秒 | ニ言瓦版
寂しいことだ。
多くの子供が知っている。
調べたら、上野動物園と、全国を回ったか。
立派な象である。


「国内で飼育された最高齢のゾウの「はな子」が26日、飼育されていた東京・武蔵野市の井の頭自然文化園で死んだ。

 「はな子」は1949年9月、戦後初めてタイからやってきた雌ゾウで、
戦争中に餓死させられた上野動物園の「花子」の名を受け継いだ。来日当時2歳だったが正確な誕生日が分からないために元旦を誕生日としている。
13年に、神戸市の王子動物園で飼育されていた「諏訪子」の65歳を抜き、国内飼育最高齢となっていた。」


また、名前が、継承して欲しいのと。
関東の人々は、知っている象だろう。
見たことがある象である。

冥福を祈りたい。
==========
花子の歴史
「1947年にタイ王国で生まれた。タイでの名前は「カチャー」[3]。

インドから送られたインディラ
「カチャー」は2歳半の時、タイから日本に贈られて、1949年8月22日にデンマーク船オラフ・マークス号でタイを発ち、9月2日に神戸港に着いた。そして、貨物列車とトラックを使って、9月4日に恩賜上野動物園に到着した。
当初、上野動物園では「カチャー子」と呼ばれていたが、公募により、戦争中に餓死した「花子」(ワンリー)の名を継いで「はな子」と名付けられた[3]。
上野動物園には、「はな子」到着のすぐ後の1949年9月25日にインドから贈られた「インディラ」も到着し、
年末までの3か月間で100万人近くの入園者が訪れるゾウ・ブームが起きた[4]。

移動動物園を行うインディラ
翌1950年から、「はな子」と「インディラ」は移動動物園で日本各地を訪れた。「インディラ」が列車等で全国を回ったのに対して、子ゾウだった「はな子」は都内を中心に東京近郊を回った。その中には井の頭自然文化園も含まれていたが、そこで「はな子」を見た武蔵野市や三鷹市から、井の頭自然文化園での「はな子」の展示を求める声が上がった。
1954年3月5日、「はな子」は上野動物園から井の頭自然文化園に移された[5]。
しかし、1956年、深夜にゾウ舎に侵入した酔客を死亡させる事故が起き、さらに4年後の1960年4月にも男性飼育員を踏み殺す事故が起きた。このため、「はな子」は前脚を鎖で繋がれゾウ舎内に閉じ込められ、ストレスなどからやせ細った[要出典]。
事故の2か月後に井の頭自然文化園に赴任し、「はな子」の飼育係となった山川清蔵は、「はな子」を鎖からはずし、運動場に出した。山川は退職までの約30年にわたって「はな子」の世話をし、その様子は、書籍やテレビドラマにもなった[6]。
ゾウの歯はもともと4本しかないが、「はな子」は1980年代に歯が抜け落ちて、左下の1本しか残っていない。このため、餌はバナナやリンゴ等を細かく刻んだ餌が与えられている[要出典]。
近年、飼育員が鼻で転倒させられたり、獣医師が投げ飛ばされる等の事故が起きていたため、2011年夏に、飼育方法がそれまでの直接飼育から、飼育員が柵越しに世話をする準間接飼育に改められた[6]。
2016年5月26日に死が報じられた。69歳没[7]。」


知らなかった、全国に行ったのか、
多くの子供は、見ていたことだ。

人を殺している象か。面白い。
歴史は、いろいろ、ある。
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