R25は、最近、駅で、取ってないから、サイトでみるか。
誰でも、ある。
五月病。
寺は、いいのかもしれない。
修行。
「五月病防止にも?「お寺の精神修行」を企業が導入!?
毎年、GW明けに陥りがちな“五月病”。「シャキッと仕事モードに切り替えねば!」と分かってはいても、どうやってモチベーションを上げればいいのやら…。と悩んでいたところ、なんと、“お寺での精神修行”を研修に取り入れる企業が増えているという情報をキャッチした。
「修行を通して自分を見つめ直し、社会人や組織の一員として意識を改革するのが目的です。大手ゼネコンや自動車メーカー、サービス業など、これまで数多くの企業が研修のために寺を訪れました」
と話すのは、東京都西多摩郡で真言宗にもとづく企業研修を行っている「天光寺」の高尾聖賢住職。修行によって強い精神力をもった社員を育てるということだが、いったいお寺で何をするの? ということで、都内の某ネット系企業の新人研修に潜入してきた!
2泊3日で行われる研修内容は、じつに過酷なプログラムだ。朝は6時に起床し、寺の中や周辺の清掃から始まる。腹式呼吸の声出し練習で体を活性化させたら、13種類のお経で構成される「十三仏真言」や般若心経をそれぞれ100回ずつ読経。白装束をまとった30人近くの新入社員が、目をつぶってひたすらにお経を唱えているなんて…なんとも異空間である。
続いて、体力的にも精神的にもつらい「三禮(さんらい)」という修行が始まった。合掌して起立した姿勢から床にひざまずき、額を床につけて仏様にあいさつする儀式なのだが、これを連続100セット行うのだ! 立って座っての連続運動で、社員の顔にも明らかな疲労の色が…。
これだけでも相当キツイのに、まだまだ修行は終わらない。豪快に流れ落ちる滝に打たれて心を見つめ直す「滝行」や、念仏を唱えながら約20mの道を全力疾走で108往復する「お百度参り」、さらには「写経」、「写仏」、「瞑想」まで…。新入社員たちは、食事の時間以外ほとんど休憩をとらないまま必死に頑張っているが…これらの修行は、ビジネスにどう役立つの?
「真言宗の『三密加持(さんみつかじ)』という教えは、身(しん)、口(く)、意(い)の3つを揃えることを説いています。つまり、『体・言葉・心』のすべてがセットでないと意味がないということ。ビジネスの世界がまさにそうです。上司に叱られて反省の言葉を述べても、心の中では『うざい!』と思っていたり、接客時に『ありがとうございました』と言いながらも、まったく顔が笑っていなかったり…。そういった自分のあり方を改める気づきが、仏教には詰まっているんですよ」(高尾住職)
ふ、深い…。さらには、団体修行ゆえ、一人がくじけそうになってもみんなで励まし合い、諦めない心を培う効果もあるという。お百度参りを終えた直後の新入社員に話を聞いてみたところ、「みんなで『あと○回!』と応援し合ったことで、最後まで頑張れた。社員同士のチームワークがかなり深まったと思う」との感想が。また、「読経が3時間も続くと知らず絶望しかけたが、誰か一人が声出しをサボり、それが全員になったら…と思うと途中で寝るわけにはいかなかった」との声もあった。やはり周囲の姿があったからこそ、自分を鼓舞できたようだ。
研修を締めくくるのは、高尾住職の法話。「自分の人生の主人公になること」「積極的に生きること」「報・連・相を徹底すること」といった話に、みな集中して耳を傾けていた。3日間の修行で得たものは、一生の財産になりそうだ!
なんだか五月病などとボヤいていた自分が恥ずかしくなってきたので、「連休明けにモチベーションが下がらないよう、ビジネスマンが取り入れられることはないか?」と聞いてみた。すると、「瞑想ならオフィスでも5分あればできます」と高尾住職。具体的な方法は、次のとおりだ。
(1)あぐらをかいて座り、おへその下にある「丹田」のあたりを意識する。
(2)「鼻から吸って、口から出す」の腹式呼吸を、ゆっくり10回繰り返す。
息を吸う時のポイントは、おいしい空気がある場所をイメージすること。山奥など自然が豊かな場所にいるつもりで新しい空気をたっぷり吸い、吐くときは体内の汚れたものを出し切るイメージで行うといいそうだ。あぐらをかくのが難しい場合は、腹式呼吸だけでも心を整える効果があるそうなので、試してみるといいかも。
実際に心を空っぽにして呼吸してみると、なんだかスッキリとした気持ち! もしまた怠けグセが出てきたときは、今度はガチで修行体験してみようかな。」
人材を育てるは、人間性かもしれない。
仕事の能力とは、必要だか、自殺か、失望か、人材が、消えるのが、損失である。
寺の講和は、必要だ。
線香の会社ではないが、母の日参り、必要かもしれない。
先祖の墓にお参りて、寺の本堂で、祈りも必要。
寺は、昔は、相談の場所だったか、
法事は、先祖の供養と、自分の思いでを再確認かもしれない。