帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(48)散りぬとも香をだにのこせ梅の花

2016-10-18 19:43:31 | 古典

             


                         帯とけの「古今和歌集」

                                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上48

 

題しらず              よみ人しらず

散りぬとも香をだにのこせ梅の花 こひしき時の思ひでにせん

(散ってしまうとしても、香りだけはのこしてよ、梅の花、春・恋しい時の思い出にするわ……散り果てようとも、白いお花の香りは、残してよ、おとこ端、貴身・恋しい時の思い出にするの)

 


 歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「散りぬ…(花などが)散ってしまう…離散してしまう…ものが散り果てる」「ぬ…ものごとが完了した意を表す…寝(ぬ)…寝てしまう」「香…(梅の花の)香り…おとこ花の香り…か(彼)…あれ…指示代名詞」「だに…せめて(あれ)だけは…(あれ)さえ」「梅の花…木の花…男花…言の心は男」「せん…せむ…しようと思う…するつもりだ」「ん…む…意志を表す」。

 

梅の花、散ってしまっても、香りだけは残してよ、春・恋しい時の思い出の品にしようと思う。――歌の清げな姿。

おとこ端、散ってしまっても、香るあれだけは遺してよ、貴身・恋しいときの思い出の品にするわ。――心におかしきところ。

 

女の歌として聞いた。妖艶な色好み歌のように思える。

 

今の人々の和歌の解釈は、仮名序をはじめ平安時代の歌論や言語観を全て無視した国文学的解釈によって形成されたのである。その常識は俄かに捨て去るのは難しいので、木の花の言の心は男であるとか、鳥の言の心は女などという仮定にも抵抗が有るだろう。

「言の心」は、字義ではないが、この文脈では通用していた意味である。ただ心得るしかない。心得れば「歌の清げな姿」だけではなく、「心におかしきところ」が聞こえ、仮名序に言う、或る時期、「色好みの家に埋も木」となったという歌の片鱗さえ見えるのである。

 

この歌で梅の花の時節は一応終わるが、これまで、二十首ばかりの梅の花や鶯の歌を紐解いて、「心におかしきところ」がみられたので、「言の心」を心得違いはしていないだろう。言の心は、時代により、文脈によって変化したり消えたりするようである。平安時代を通じて変わりは無いが、今は全く消えている。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)