帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (五十一) 藤原実方朝臣 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-02-21 19:16:01 | 古典

             



                      「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義


 
 秘伝となって埋もれ木のように朽ち果てた和歌の奥義を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、
定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観で蘇らせる。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。歌言葉の意味の多様な戯れを利して、一首に、同時に、三つの意味を表現する様式であった。藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「優れたりと言うべき」歌を百首撰んだのである。



 藤原定家撰「小倉百人一首」
(五十一) 藤原実方朝臣


   (五十一)
 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじなもゆる思ひを

(こうまでに、まさかなろうとは、伊吹産のも草、これほどとは知らなかったよ、わが・燃える思い火を……掻くとだね、こうもなれるのだろうか、井吹きのもえる女、それほどとは知らなかったなあ、あなたの・もえる思い火を)


 言の戯れと言の心

「かく…斯く…このように…掻く…かきわける…わけ入る」「だに…までも…強調する意を表す」「えやは…できるだろうか…なるだろうか」「いぶき…伊吹…さしも草の産地の名…名は戯れる。息吹き、言い吹き、井吹き」「井…おんな」「さしも草…よもぎ…もぐさ…草の名…名は戯れる。もえる女、くすぶる女、さしも女」「草…言の心は女」「さしも…然しも…これほどとも…それほどとも」「じ…否定的推量を表す…(知ら)ないだろう」「な…感動・詠嘆を表す…なあ…確認・念押しを表す…だね」「思ひ…思い…わが思い火…あなたの思い火」「を…対象を表す…感動・詠嘆の気持を表す」。

 

歌の清げな姿は、伊吹産のも草の効きめに寄せた、我が燃える思い。

心におかしきところは、思いもよらない、燃えるおんなのいぶき、おとこの感動。

 
  後拾遺和歌集 恋一、詞書「女にはじめてつかわしける」。初めての共寝の翌朝、使いの者に届けさせた文、これ以上の後朝(きぬぎぬ)の歌があるだろうか。女の心に直に伝わる男の心根、消えたさしも草も又燃えだすだろう。

  藤原実方は、行成や清少納言らと、ほぼ同じ時代を生きた。朝臣と呼ばれて後に地方の国に転出した。

 
平安時代の歌の文脈に在る人は、藤原定家だけでなく誰でも秀逸の歌と讃えるだろう。

 

国文学的解釈は、ここに書きだす気にもならない。まして、初句からさしも草までは、「さしも」にかかる「序詞」などと解くのは、名歌を「くだらない歌」に貶めるだけである、と言っても、今の世の全てのテキストはこの解釈で占められており、当ブログの解は「四面楚歌」の状態にある。