帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (三十六) 清原深養父 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-02-05 19:47:28 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 平安時代の和歌は、近代以来の現代短歌の表現方法や表現内容とは全く異なるものであった。国文学の解く内容とも大きく隔たった驚くべき文芸であった。
原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に素直に従って「百人一首」の和歌を紐解く。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。全ての歌に「心」と「姿」と「心におかしきところ」の三つの意味が有り、心は「深く」姿は「清げ」で、心におかしきところは「愛でたく添えられてある」のが優れた歌であるという。定家は上のような歌論や言語観に基づいて「百人一首」を撰んだのである。



 藤原定家撰「小倉百人一首」
(三十六) 清原深養父


  (三十六)
 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ

(夏の短夜はまだ宵ながら明けてしまったよ、雲のどの辺りに月は宿って居るのだろう・西に入る間もなかったろう……撫でなつく夜は、まだ序の口のままで、明けてしまったなあ、心の雲のどこに、つき人おとこ、おさまっているのだろうか・尽き果てもできず)


言の戯れと言の心

「夏…季節の夏…昼は長く夜は短い夏…なづ…撫でる…なつ…懐く」「宵…日没から夜中までの間…愛の営みの序の口…まだ好の情態…感の極みに至っていない…逝き尽きていない」「ながら…(宵の)ままで…そままに…状態の持続するさまを表す」「ぬる…ぬ…「を…確認・詠嘆などを表す」「雲…心の雲…情欲など…煩わしくも心に湧き立つもの…煩悩」「月…月人壮子…壮士…男…おとこ」「宿る…泊る…居座る…留まる」「らむ…現在目には見えていないことを推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、夏の短夜の夜明け、大空の月の行方。

心におかしきところは、たちまち暁を迎えた、つき人おとこ、心の雲尽きることできずに、出づ子・何処にとまっているのだろう。

 


 深養父は清少納言の曽祖父にあたる人。清少納言は「夏」をどのように描写したか、枕草子(一段)を表だけでなく裏まで読みましょう。

夏は夜、月のころはさらなり、闇もなを、ほたるの多くとびちがひたる。又ただ一二など、ほのかにうちひかりてゆくもおかし。雨などふるも、おかし。

和歌と同じ言葉と方法で表現された散文の清げな姿は略す……撫づは夜、つき人壮士の・突きのころは、もちろんよ、止むもなお、情念の炎、多く飛び交っている。復、直、一、二度など、ほのかに射ち光りて逝くも、女の心に・おかしい。おとこ雨などふるも、女の身に・おかしい)。

 

「なつ」や「つき」や「ほたる…蛍…火が燃える…恋の炎」などは、清少納言のいう「聞き耳異なる言葉」、聞く耳によって聞き取る意味が異なる言葉である。「夏」とあれば、季節の夏と決めつけて、そこから一歩も出られない言語観では、平安時代の歌のみならず散文も、ほんとうの意味は聞こえない。「をかし」には、風情がある、興味深い、おかしい、わらいたくなるなど、色々な意味がある。


 この文章の「をかし」を、「趣がある・風情がある」と決めつけるような言語観では意味内容の半分しか読めない。言の戯れを知り言の心を心得た当時の読者の女たちは、「いとをかし」と笑いながら読んでいただろう。