■■■■■
帯とけの平中物語
「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。
歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。
平中物語(三十八) また、この男、市といふところにいでて
また、この男、市という所に出かけて、(車の簾より)透かして見える姿に、好く見えたので、もの言いかけるのに使いを遣ったのだった。受領(国守)などの娘であった。まだ男などもいなかった。后の宮(宇多帝の后)の女房であった。そうして、男も女も、各々帰って、男、(女の所を)尋ねさせて、遣った(歌)、
ももしきの袂の数は知らねども わきて思ひの色ぞこひしき
(百敷きの袂・宮中の女たちの数は、何人か知らないけれど、とりわけ、思い火の・緋色の袂の人が、恋しい……桃色の手もとの数は、多く知らないけれど、分けて、思う、緋色のたもとぞ、乞いしき)。
言の戯れと言の心
「ももしき…百敷き…宮中…桃色…股色」「たもと…袂…手もと…(女の)手もとのもの」「かず…数…複数…多数」「見し…目で見た…覯した…媾した」「おもひのいろ…思いの色…思火の色…赤…濃い紅…緋の色…表面濃い紅色」「恋しき…恋いした…乞しき…乞い色」。
このように、いひいひて(繰り返し言って)、あひにけり(逢ったのだった……合ったことよ)。
その後、文も寄こさず、次の夜も来ず、使用人などは、わたって来たと聞いて、「人もあろうに、このように音沙汰なく、みずからも来ず、使いの人もお寄こしにならないこと・そんなことってある」などと言う。女も心地には思うことなので、悔しいと思いながら、あれこれ思い乱れる間に、四、五日経った。女、ものも食べないで、声あげて泣く。居あわせる人々、「やはり、そのように思いつめないで、人に知られないようになさって、他の事して・気を紛らせてください。いつまでも・そうしておられるべき御身でしょうか」などと言えば、ものも言わずに籠って居て、とっても長い髪をかき撫でて、尼削ぎに切り落した。使う人々、嘆いたけれど、どうしょうもない。
男が来なかったわけは、あの時来て明くる朝、使いの人を遣ろうとしたけれども、官の督(上司の長官)が、にわかに、出かけられるということで、供に引連れて行かれた。そのまま帰されない。ようやく帰る道で、亭子の院の召使が来て、そのまま参上する。大井にお出かけの御供としてお仕えした。そこにて、二、三日は酔っぱらって、なにも覚えていない。夜が更けてお帰りになられる時に、女のもとへ・行こうとすると、かたふたがり(方角が悪く行けない)ので、皆、人々つづいて方違え(一旦他の方角に)行くので、あの女どう思うだろうかと、夜中に、気がかりだったので、文を遣ろうと書いている時に、人が戸を叩く。「誰ぞ」と言えば、「少尉の君に、申しあげたい」と言うのを、さし覗いて見れば、あの女の付き人である。「文」と、差し出したのを見ると、切った髪を包んである。あやしくて(解せなくて……訝しくて)、文を見れば、
あまのかは空なるものと聞きしかど わが目の前の涙なりけり
(天の川、空にあるものとと聞いていたけれど、わたしの目の前の涙の川だったのよ……乳白色の天の川・吾間のかは、空にあるものと聞いていたのに、わがをんなのまえの涙でありました・こんな身のせいで君は)。
言の戯れと言の心
「あま…天…尼…吾間…女」「かは…川…女…かは…疑問の意を表す」「め…目…女」。
尼になったに違いないと思うので、目の前が暗くなった。返し、男、
よをわぶる涙ながれてはやくとも 天の川にはさやはなるべき
(世をつらいと思う涙が流れて早くとも、天の川とは、そのようにたやすく成るものだろうか……男女の仲を悲観する涙が流れて激しくても、尼の女とは、そのようにたやすく、成るものだろうか)。
言の戯れと言の心
「よ…世…男女の仲…夜」「わぶ…悲観する…辛いと思う」「あま…天…尼」「かは…川…女…疑問の意を表す」。
夜になって、行って見ると、いとまがまがしくなむ(とっても曲がっている曲解しているよ……ひどい災難よ)。
「大和物語」に同じ女の同じ話がある(帯とけの大和物語百三参照)。
原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。
以下は、今の人々を上の空読みから解き放ち、平安時代の物語と歌が恋しいほどのものとして読むための参考に記す。
古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。
「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。
言葉の意味には確たる根拠も理屈もない。ただその文脈で大多数の人がそうだと思い込んでいるだけである。月は男だとか水は女だとかは、そのように思われていたと仮説して、そうだと思われていた時代の歌や物語で確かめるだけである。
歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。