帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(三十五)また、男、いささか人に言はれ ・(その一)

2013-12-06 00:04:29 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、平中の生きざまと人となりが語られてある。

 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてあるので、それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語(三十五)また、男、いささか人にいはれさはがるる・(その一)


 また、男、いささか人にいはれさはがるる(少々人々に噂され騒がれる……少々人に言われ裁かれる)ことがあったのだった。そのことは、全く根も葉もない空事を、あためける人(仇と思う人……恨む人)が、つくりだして(捏造して)言ったのだった。それで、こう心うき(こうも辛く情けない)ことと思い、慰めがてら、気晴らしにと思って、津の国の方へ行ったのだった。


 言の戯れと言の心

「さはがる…さわがる…騒がれる…さばかる…裁かれる…何をしたと捏造されたのかはわからないが、裁かれ無実だったのだろう」。


 しのびて知る人(密かに関係する女)の許に、「こんな訳でだ、出かける。うきことなど(辛いことなど……浮かれた気持など)、慰められるかもな」と言ったので、()
 世の憂きを思ひながすの浜ならば われさへともにゆくべきものを

(この世のつらい思いを流す、長洲の浜ならば、わたくしも共に行けばいいのよねえ……夜の浮き、お、思い流す、長すの端間ならば、わたくしだって、一緒に逝けるのになあ)


 言の戯れと言の心

「世…男と女の仲…夜」「憂き…つらい…浮き…たのしい」「ながす…流す…長洲…長す」「浜…濱…嬪…女…端間」「ゆく…行く…逝く…はてる」「ベき…適当の意を表す…可能の意を表す」「ものを…のに…のになあ」。

 
とある、返し、(平中)、
 憂きことよいかで聞かじと祓へつつ 違へながすの浜ぞいざかし

(辛いことよ、何とかして聞きたくないと、お祓いしながら、わざわいは海に流す、長洲の浜だ、さあ、あなたも行こうよ……浮きことよ、どうして長く効かないのだろうと、お祓いをしながら、変えて、長すの端間ぞ、さあ・一緒にいこう)。


 言の戯れと言の心

「憂き…つらい…浮き…たのしい」「いかで…ぜひとも…なんとかして…強い願望を表す」「きかじ…聞かない…聞きたくない…聞くつもりはない…効かない…効果無いだろう」「はらへ…祓…御祓い…振り払い…払拭」「ながす…流す…穢れや災いを流す…長くする」「浜…濱…嬪…女…端間」「いざ…さあ…促す言葉」「かし…強くもちかける意を表す…強く念を押す意を表す」。


と言って、行ったのだった。


(つづく)

この男、津の国でお祓をして、京では見られない海の素晴らしい景色を眺め、わざわいともいうべき心の憂さを慰めに行くのだけれど、心は女に向いたまま、浮かれた心は変わらない。



 原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。



 以下は、今の人々を上の空読みから解き放ち、平安時代の物語と歌が恋しいほどのものとして読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 

歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。