帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百二十七〕一条の院をば

2011-11-14 00:38:08 | 古典

  



                    帯とけの枕草子〔二百二十七〕一条の院をば



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百二十七〕一条の院をば

 
 一条の院を今内裏という。主上の・いらっしゃる殿は清涼殿にて、宮は・その北の方の殿にいらっしゃる。西と東は渡殿で、渡らせ給い参上される道で、前は小さな庭なので、前栽植え柵を結んであって、いとおかし(とっても風情がある)。

 二月二十日ごろの、うらうらとのどかに日の照っているときに、渡殿の西の廂にて、主上が・御笛をお吹きになられる。たかとを(藤原高遠)の兵部卿が御笛の師でいらっしゃって、御笛二つで、たかさご(催馬楽の高砂)を折り返しお吹きになられるのは、やはりとっても愛でたい、というのは世の常のことで、御笛の事をいろいろと教示して申し上げておられるのが、いとめでたし(とってもすばらしい)。
  御簾のもとに集まり出て女房たちが見たてまつるときは、せりつみし(芹摘みし、心にものは叶わざりけり)と思うようなことはなかった(思い通りお吹きになられたのだった)。

 
  すけただ(藤原輔尹)は、木工允で蔵人になっている。いみじくあらあらしくうたてあれば(振舞いが・たいそう荒々しく厭わしかったので……言葉が・顕わで厭わしかったので)、殿上人や女房たちが、あらはこそ(荒らわ子ぞ…露骨子ぞ)と、あだ名を・付けたのを、歌に作って、さうなしのぬし、をはりうどのたねにぞありける(無類のお人、尾張人の種だったのだ……装無しのお人、尾張人の血筋だったのさ)と歌うのは、すけただが・尾張の兼時の娘腹の子のだったのだ。この歌を、御笛でお吹きなられるのを、付き添っていて、笛の師の高遠が・「やはりもっと高くお吹きになってください、聞こえませぬ」と申せば、「いかゞ、さりとも、きゝしりなん(どうだろうか、そうだろうけれど、彼が聞いて感づくだろう)」ということで、微かにお吹きになっておられたところ、或る時、あちらからいらっしやって、「かの物なかりけり、たゞいまこそふかめ(彼の者いなかった、ただ今こそ、吹こう)」と仰せられて、高らかにお吹きになられたのは、いみじうめでたし(とってもすばらしい)。


 言の戯れと言の心

  「いま内裏…内裏が焼失して一条の院がただ今の内裏となる(長保元年六月)」「せり…芹…草…菜…女…競り…競争」「つむ…摘む…ひく…めとる」「せりつみしなどおぼゆる事こそなけれ…思い通りにならないと思う事はなかった…(笛は)思い通りにお吹きになられた」「あらはこそ…あだ名…包んで遠回しに表現するのを良しとする中にあれば、明快に露骨にものを言う人は異様、すけただはそのような人で、かつ尾張訛り…露骨子ぞ…まるだしっ子ぞ」「さうなしのぬし…左右にいないお人…無類のお人…装なしのお人…装う事無くものを言うお人」「たね…種…血筋」「いみじうめでたし…(主上の御気配り、御優しさは)とっても愛でたい…賞賛すべきことだ」。

  「芹摘みし」の歌を聞きましょう。
                                       よみ人しらず
 芹つみし昔の人も我がごとや 心にものは叶わざりけり

(芹を摘んだ昔の人も我が如くだったか、心のままに物事はならないなあ……競りあって娶った昔の人も我と同じだったか、思い通りには、ならないものだなあ)。

 
長保二年(1000)二月、宮が今内裏に一ヶ月ほど居られた時の、主上の愛でたい思い出を記してある。
  この後、女御彰子(道長長女)、中宮となられた。宮は皇后となられたが、長保二年十二月、崩御。
 
  主上の哀悼の御製をお聞きしましょう。
  「続拾遺和歌集」 哀傷 一条院御製
  皇后うせたまひて、葬送りの夜、雪の降りて侍りければつかはしける
 野辺までも心一つに通えども 我がみゆきとは知らずやあるらむ
  「みゆき…行幸…身行き…身ゆき…見ゆき」「ゆき…雪…おとこ白ゆき…おとこの魂…おとこの情念」「しらずやあるらむ…(世の人は・知らないであろうか…いや、そなたは・知っているだろう」「や…疑いの意を表わす…反語の意を表わす」。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。