帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百二十三〕御乳母の大輔命婦

2011-11-08 02:02:04 | 古典

  


                    帯とけの枕草子〔二百二十三〕御乳母の大輔命婦

 


 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百二十三〕御乳母の大輔命婦

 
 御乳母の大輔の命婦が日向へ下るときに、賜わされる扇の中に、片側は日がとってもうららかにさしている田舎の館など多くある絵柄で、いま片側は京のさるべき所にて雨がたいそう降っているもので、

 あかねさす日にむかひても思いでよ みやこははれぬながめすらんと

(茜さす日向に行っても思い出してよ、都は晴れぬ長雨しているだろうと……赤ねさす火に向かっていても思い出してよ、宮こは心晴れぬもの思いに沈んでいるでしょうと)。

御手にてお書きになられる、いみじうあはれなり(とってもあわれである)。さるきみを見おきたてまつりてこそ、えゆくまじけれ(このようなお方を見置き奉りては、行けないでしょうになあ)。


 言の戯れを知り、貫之のいう「言の心」を心得ましょう。

  「大輔の命婦…宮の御乳母、〔九十一〕に登場した命婦の乳母と同じ人…縫い物も途中でうちやる人」「見置き奉りて…いつまでも見まもり奉るべきを途中でなげだして」「あかねさす…枕詞」「あかね…茜…染料にする草…赤根…元気色のおとこ」「さす…色に染まる…日が差す…ものを挿す」「日…日向…火…情熱の炎」「みやこ…都…宮こ…京…極まり至ったところ」「ながめ…長雨…淫雨…眺め…物思いに沈む」。

 
 宮の御歌は、「心深く」「姿清げ」で「心におかしきところ」がある。

 「あかねさす」という枕詞は、上のような意味を孕んでいた。個人の思い込みではなく伝承された普遍の信念であった。これを、紀貫之は「言の心」といったのでしょう。今はそれが消えている。
 あかねさす歌を聞きましょう。万葉集 巻第十六、夫君を恋う歌一首

 飯はめどうまくもあらず 行きゆけど安くあらず 赤根さす君が情志 忘れかねつも
 
(飯食めど味も在らず、行き往けど安くも有らず、あかねさす君が情志、忘れかねつも……飯を食っても味も無し、何処へ行っても心安らかで無し、赤根さす君の情、子、忘れられないわ)。
 右歌一首伝え云う、佐為王の近習の卑しき妻の作なり。時を経て宿直で帰らないため、夫君と遇い難く、感情馳せ結び実に深く恋しい、そして当直の夜、夢心地に相見、目覚めて探り抱けど手に触れるものもなし、むせび嘆き声高く此の歌を詠ず。因りて王、此れをお聞きなられ、哀慟し、ひさしく侍宿を免じられるなり。 

 
「赤根…茜…あかね…元気なおとこ」「根…おとこ」「志…し…心ざし…子…士…おとこ」。

 生涯、御傍に居ていい御乳母も夫と共に去って行った。宮は此の歌を思い、乳母を免ぜられたのでしょうか。
 
苦い思い出を記してある。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。