帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百五十四〕故殿の御服のころ(その一)

2011-08-27 06:06:12 | 古典

  



                                          帯とけの枕草子〔百五十四〕故殿の御服の頃(その一)



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百五十四〕ことのゝ御ふくのころ


 故殿(道隆)の喪に服していた頃、六月の末日、大祓ということで、宮が内裏よりおでましになられるべき所を、職の御曹司を方角が悪いというので、官司の朝所にお渡りになられた。その夜は暑く深い闇で、ぼんやりして不安な心地で夜を明かした。明くる朝見ると、屋根の様子はたいそう平らで低く、瓦ぶきで、唐風で変わっている。普通ある格子戸などもなく、回りは御簾だけが掛けてある。かなり珍しく趣があるので、女房、庭に下りたりして遊ぶ。前栽に萱草という草を、垣根にしてたくさん植えてあった。花が鮮やかに房になって咲いている。格式ばった所の前栽にはとってもいい。時司(鼓で時を知らせる所)など間近くて、鼓の音もいつもとは似ずに聞こえるのを見たがって、若い女房たち二十人ばかり、その方に行って階段で高い屋根に上ったのを、ここより見上げれば、人がみな薄鈍色の裳(喪服用)・唐衣・同じ色の単襲・紅の袴を着て上っているのは、まったく天人とまでは言えないけれど、空より降りて来たのかなとは見える。同じ若い人でも、すすめて押し上げた人たちは、仲間入りすることができなくて、うらやましそうに見上げているのも、とってもおかしい。

 左衛門の陣まで行って、倒れんばかりにはしゃいだ女房もいたらしい。「こうはしないものである、いくらなんでも。上達部の着席される倚子などに女房たちがのぼり、官人らが用いる腰掛けをみな倒し壊したのである」などと、奇異なことに言う者もいるけれど聞き入れない。

 屋根がたいそう古くて瓦葺きだからでしょうか、暑さが例年にないほどなので、御簾の外に夜でも出て寝る。古い所なので、むかでという虫が一日中落ちかかり、蜂の巣の大きなのに蜂が付き密集しているのなどは、とっても恐ろしい。

 殿上人が毎日来て、夜も居明かして話をしているのを聞いて、「あにはかりきや、太政官の地の、いまやかうの庭とならんことを(どうして予期しただろうか、太政官の地がいま夜歩きの庭となろうとは)」とうたいだしたのは、をかしかりしか(おもしろかった)。

 
 秋になったけれど、どこにいても涼しくない風が、所柄らしい。それでもやはり虫の声などが聞こえている。宮は・八日に内裏にお帰りになられたので、七夕祭はここで、祭壇が・いつもより近く見えるのは狭いせいでしょう。
 宰相の中将斉信、宣方の中将、道方の少納言らが参上されて、女房たちが出て応対するときに、ついでもなくだしぬけに、「あすはいかなることをか(明日はどのような言を?)」と言うのに、すこしも思いめぐらして滞ることなく、「人間の四月をこそは(人間の四月を、これだね)」と斉信が応えられるのが、いみじうをかしきこそ(とってもすばらしいことよ)。

 過ぎたことでも、心得ていて言うのは誰だってすばらしいことだが、なかでも女はそのような物忘れはしないが、男はそうでもなくて、自分の詠んだ歌などさえ生覚えなのものなのに、斉信のお応えは、まことにをかし(まことにすばらしい)。内にいる人も外にいる人たちも何のことか納得できないと思うが当然である。

 この四月の一日ごろ、細殿の四の口に殿上人が大勢集まって立って居た。しだいに消えるように居なくなって、ただ、頭の中将(斉信)・源中将(宣方)・六位の者一人残って、よろずのことを話し経を読み歌を唄ったりするうちに、「夜が明けてしまった。帰ろう」と、「露はわかれの涙なるべし(露は彦星と織姫の別れの涙なのだろう……つゆはおとこの別れの涙だろう)」という詩を頭の中将が朗詠されたところ、源中将も共におもしろくうたったので、「いそぎけるたなばたかな(お急ぎの七夕だこと・まだ四月よ……せっかちな逢瀬だこと・もうお別れなの)」と言うのを、たいそう悔しがって、「ただ暁の別れの一筋を、ふと思いつくままに言って、困ったものだなあ全く、この辺りでこのようなことを、思い回すことなく言うのは、なさけないことになるな」などと言って、繰り返し笑って、人に語らないでください。必ず笑われるだろうよと言って、「あまり明るくなっては、かつらぎの神(葛城の神、容貌醜く朝になるとものの途中でも逃げ帰る神……かつら着の上・我があだ名)。今はもう、なす術なし」と言って、逃げていらっしゃったのを、七夕の折りにこの事を言いだそうかなと思ったけれど、斉信は・宰相におなりになられたので、必ずしもどうだか、その時見かけるだろうか。文を書いて殿司を使ってでも届けようなどと思ったが、七日に参られたので、とってもうれしくて、あの夜の事などを言いだせば、心得ておられるか、ただ何ということなしにふと言ったならば、いぶかしいと首かしげられるだろうか。そうしたら、そのときにこそ、四月にあったことを言おうとしていたところ、少しもとぼけることなくお応えになられたのは、まことにいみじうをかしかりき(ほんとうにとってもすばらしかった)。
 数か月の間、何時かはと思っていたのさえ、我が心ながら好き好きしいと思ったのに、どうして斉信は考えておいたようにおっしゃるのだろう。あの時、一緒に悔しがった中将(宣方)は、思いもよらずにいたので、「例の暁のことを、戒められているのだ。知らんのか」とおっしゃることに、「げに、げに(そうだ、そうだ)」と、わらひめるわろしかし(笑うようでは、よくないことよ)。

 

 男の言葉も「聞き耳」により意味の異なるもの。


 和漢朗詠集 七夕
 露応別涙珠空落 雲是残粧鬟未成
(露は別れの涙なるべし、珠は空しく落つ。雲はこれ乱れ化粧のまま、もとどり未だ成らず……つゆは別れのおの涙だろう、白たまむなしく落ちる。心雲、思いは残る、未だ乱れ髪)。


 「露…白つゆ」「涙…おとこの涙」「珠…白たま」「雲…心の雲…情欲など」「残粧…化粧の残り跡…残る思い」「粧…しょう…そう…想」「鬟未成…未だもとどり成らず…乱れ髪のまま」。


 白氏文集の一節
 人間四月芳菲尽、山寺桃花始盛開
(世の中、初夏、芳しい花、薄れ尽きる。山寺、桃の花、盛んに開き始める……ひとの間、春過ぎれば、芳しいお花、薄れ尽きる。山ばの女花は盛んに開き始める)。
 
 「人間四月…春との別れのとき…春情との別れのとき」「人間…男と女…ひと間…女の内」「芳…香りよい」「菲…薄…薄情」。


 詩のこのような「余情」を聞き取ることができると、「四月の別れの時には七夕の詩だったので、七夕には人間の四月、この詩をうたうよ」という斉信の言葉のおかしさがわかるでしょう。
 宣方は、詩の「心におかしきところ」即ち「余情」を聞く耳を持たない。残念ながら、「聞き耳」を異にしている。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。