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帯とけの枕草子〔百四十五〕人ばへするもの
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔百四十五〕人ばへするもの
文の清げな姿と心におかしきところ
人ばへするもの、ことなることなき人の子のさすがにかなしうしならはしたる。
(人前で調子づくもの、何ということのない人の子の、やはりそれでも、愛しくて甘やかされ慣れているの・調子にのる……女の前で栄えるもの、事成ることのない男の子の君が、それでもやはり、かわいそうと愛しがり、慣れ親しんでいる・と張りきる)。
しわぶき(咳き)、恥ずかしく気後れする人にもの言おうとすると先に立って・でる。
その辺に住む近しい人の子供の四つ五つなのは、意地わるくふるまって、物を取り散らし壊すので、引き離され制せられて、気ままにできないでいるのが、親が来ると、ところを得て・調子に乗る。「あれみせよ。やゝ、はゝ(あれ見せてよ、ねえねえ、はは)」などとひき揺るがすも、大人たちが、言っても少しも聞いてくれないので自分で探し出して見て騒ぐのは、いとにくけれ(まったくにくらしいことよ)。それを、「まな(だめ)」とも取り上げて隠さないで、「さなせそ、そこなふな(そんなことはしなさんな、こわすな)」などとだけ、微笑んで言うのこそ、親もにくらしいことよ。われもまたやはり、はしたなく叱ることもできないで、ただ見ているのは、心もとなけれ(気がかりなことよ)。
言の戯れと言の心
「人ばへ…人栄え…人延え…人張へ…人前で調子づく…ひと前で張りきる」「ことなることなき…殊なること無き…普通の…事成ることの無い…山ばの頂上に成ることの無い」「子…子の君…おとこ」「かなしうし…愛しうし…いつくしみ可愛がり」「ならはし…慣らはし…慣れ親しみ」。
まくらで笑わせて、人情話にはいる。たわいもない話でも「そうよねえ」と微笑みながら聞ける。これも話術のひとつだろう。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。