帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百五十五〕弘徽殿とは

2011-08-29 06:03:24 | 古典

  



                                  帯とけの枕草子〔百五十五〕
弘徽殿とは



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百五十五〕
弘徽殿とは

 
 弘徽殿とは、閑院の左大将(藤原公季)の娘の女御をそう申し上げる。その御方に「うちふし」という者(道隆に仕えた占い師・巫女)の娘で「左京」といってお仕えしていたのを、「源中将かたらひてなん(源中将が言い寄ってですね……源中将が片らひてねえ)」と、人々が笑う。


 宮が識の御曹司におられるときに参って、源中将・「時々は宿直もして、お仕えさせていただくべきですが、そのように女房方がもてなして下さいませんので、ひじょうに宮仕えが疎かなことになってございます。宿直所を賜りますれば、夜間の警護も・勤勉に致せましょう」と言っておられて、女房たちが、「げに(そうですね)」などと応えるので、わたしが・「まことに、人はうちふしやすむところのあるこそよけれ。さるあたりには、しげうまゐり給なるものを(ほんとうに人はうち伏し休む所があるのはいいですわね、その辺りには繁く参っていらっしゃるのですものね)」と、さしでて応えたと、「すべてものきこえじ、かた人とたのみきこゆれば、ひとのいいふるしたるさまに、とりなし給なめり(まったく、もう何も申しません。味方と信頼して申していますのに、人の言い古した様に、貴女まで・よいようにあしらっておられるようで」などと、ひどく本気でお恨みになるので、「あら、変ですわ。どんなことを申したでしょうか、そんなふうに聞き咎められるようなことは何もないでしょう」などと言う。傍らにいる女房を引き揺るがすと、「さるべきこともなきを、ほとほりいで給やうこそはあらめ(そのようなこともないのに、かっかとして熱くなられる、そのようなことがあるのでしょう……そのようなことも、京に至ることも・ないのに、ほと堀り、熱くなって・出ていらっしゃる、そのようなことはあるのでしょうよ)」といって、おおげさに笑うので、「それも彼女が言わせたのでしょう」と言って、たいそう不愉快と思っておられる。「ことさら、そのようなことを言ったり致しません。他人が悪口など言うのさえ気に入らないくらいで」と応えて、引きさがったのに、後にもなおも、人に、まろの恥となるようなことを言い付けたのだと恨んで、「殿上人が笑うだろうと思って、言ったのだろう」とおっしゃるので、「それは、一人私だけをお恨みになるべきことではありませんのに、変ですよ」と言えば、その後は、たえてやみ給にけり(絶交となっておわったのだった……左京とは絶えてお止めになられたそうよ)。


 言の戯れと言の心 
 「うち伏し…人のあだ名…ちょっと横になる…寝る」「左京…人の名…さ京…絶頂…感の極み」「かたらひてなん…語らってですね…情を交わしてですね…片らひてですね」「片ら…不完全な状態…傍ら…さ京の傍ら…絶頂(京)に至らぬところ」「ら…状態を表わす」「ひて…放って」「ほとほり…(腹立てたりして)熱くなる…ほと掘り…まぐあい」。


 「左京」には別に噂があって、その筋のご自慢の男ども(大宮人…大身や人、豊の宮人…経験豊かな見や人)が情けを交わしても、さ「京」に至らぬ先に果てるというのである。お強いという源中将も左京には「かたらひた」という噂。このような「おとこの恥となる」ことを蒸し返してやった。これは、人のうちとけ文を知らず読みした報復。

ついでながら、「左京」は女房を辞した後に、五節の舞姫の付き添い人として、内裏に舞い戻って来たのを、からかった話が「紫式部日記」に書いてある。

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。