帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百三十七〕正月十よ日のほど

2011-08-06 06:02:26 | 古典

  



                              帯とけの枕草子〔百三十七〕正月十よ日のほど



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百三十七〕正月十よ日のほど


 正月十数日ごろ、空はたいそう暗く雲も厚く見えながらも、さすがに春の日の光りは鮮明にさしているが、何ということもない者の家の、あらはた(新畑…荒畑)というものの土は整えられてあって、真っ直ぐでない桃の木が若々しく、たいそう小枝が細やかにさしでている。木の片側はとっても青く、もう片方は濃く艶やかな蘇枋色のが日の光に見えているが、細身の童が狩衣は引っかけ破りなどして、髪は整えられて木に登っていれば、衣の裾たくしあげ膨らんだ男児、また、すね少し見せて半靴はいているのなど、木の下に立って、「われに毬打ちの棒切ってよ」などと乞うときに、また、髪おかしげな童が、袙(内着)などは綻びがちで、袴はよれよれだが、良い袿(内着)を着ているのが三・四人来て、「うづちの木のよからむ、きりておろせ、おまへにもめす(卯槌の木のよさそうなところ、切って下ろせ、御前にも召される)」などと言うので下ろしたところ、奪い合って取って、仰ぎみて「われに多く」などと言っているのは、おかしいことよ。黒袴の男が走って来て乞うので、「待て」などと言うと、木の元をひき揺るがすので、危ながって猿のようにくらい付いてわめくのもおかしい。梅などの実が成るおりも、このようにするのだ。

 


  これは寓話か、見た夢の話として聞く。

 「卯槌」は桃の木を加工して五色の組紐で飾り正月の最初の卯の日に贈物にする。どの年でも十二日までにその日は過ぎている。「お前にも召す」ことはない。子供達は思いつくまま勝手なことを言っている。木のうえに上ったのは、弱点の髪だけは綺麗に整えた細身の子、子供のころの清少納言。木の下の子供たち(合計五、六人)は、勝手気ままなことを言っている、今の女房たちということになる。しかし皆この事態でも宮のもとを去らなかった人々。木を揺する黒袴の男は外部の者、誰でしょうか。梅などの熟れた実を落とすときも、こうして揺すりをかけるのだ。木の上のおてんばな子も悲鳴を上げている。

 
 伝授 清原のおうな

聞書 かき人知らず    (2015・9月、改定しました)

原文は「枕草子 新 日本古典文学大系 岩波書店」による