パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

元興寺節分会と「元興神」

2017年02月05日 | 日記
毎年、節分が来ると何処に参拝するか迷います。
今年は、日本最古の飛鳥寺を前身とする「元興寺」に決めました。
元興寺の節分会についてはHPで
『境内では、導師と行者衆による星祭・厄除け・招福祈願の柴燈大護摩供と火渡り修行を執り行います。
柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)とは、炎の中に不動明王を勧進し祈願を行うもので、
その炎に願いを書いた護摩木を投入し焼き尽くすことで願いごとをお不動様に聞いていただきます。
舞台では、年男・年女によって豆まきを行います。豆まきは、鬼を追う神事から始まったとされます。
本来は「福は内」の掛け声でしたが、「鬼は外」が対句として使われるようになりました。
元興寺は八雷神や元興神の鬼の発祥地なので、近年あえて「福は内、鬼は内」と呼ぶようにしています。
つまり「福は家の内に入るように」「鬼は自分の内から出るように」願っています。』と。

また、豆撒きのまえのご住職の、興味深いお話し。
元興寺の節分会は興福寺等の「追儺式」のように鬼は出てこない。
豆を撒いて声を出して、人の心の中の鬼を外に追い出す…

また説話から『元興寺の鐘楼に悪霊の変化である鬼が出て、鐘つきに行った僧が血痕を残し消え、
都の人たちを随分こわがらせたことがありました。
鐘楼は、現在の「御菓子司春日庵」さん辺り、血痕は猿沢の池近くの和菓子屋「とらや」さん辺りまでとか…
その頃、尾張国から雷の申し子である大力の童子が入寺し、鐘楼に出る
この鬼の毛髪をはぎとって退治したという有名な説話があり、
邪悪な鬼を退治する雷を神格化して、八雷神とか元興神と称することになり、
鬼のような姿で表現するようになりました。
元興寺にまつわる鬼のことを「元興神(ガゴゼ・ガゴジ・ガンゴ)」などの発音で呼ばれている。
「ガンゴ」は「ガンゴウ」からきており、「ガゴジ」や「ガゴゼ」と同様に
元興寺(がんごうじ)から生まれた鬼の言葉。

悪鬼は指が三本とされる。三毒「貪欲(どんよく・むさぼり)・瞋恚(しんに・いかり)・愚痴(ぐち・おろか)」の煩悩しかない。
智慧と慈悲という大切な二本の指を亡失している…』と。


ご住職の法話          杉本健吉画伯の画かれた絵馬「元興神」

先ずは、節分会の法要が本堂で行われ参拝自由とのことで、本堂に上がりました。
不動明王座像、不動明王立像の前での読経。
春から縁起が良く、散華が2枚も舞い落ちてきました。
今までで一番大きな散華(縦15cm横10.5cm)に驚きました。


節分会法要の散華の表裏

散華の大きさを比べると…


法要終了後、本堂の参拝順路の説明板により厨子裏の「智光曼荼羅」や諸仏を時計回りに参拝しました。
説明曰く
佛教は、「右優位」が基本です。「右巡」とか「右進左退」といいます。
つまり「右回り(時計回り)」で「右足」からです。合掌は右手仏と左手衆生の合体です。』

元興寺のおさらい
宗派 真言律宗
山号 なし(奈良時代創建の寺には山号がない場合が多い)
本尊 智光曼荼羅

南都七大寺のひとつ。
6世紀末、蘇我馬子により建立された日本最古の寺といわれる法興寺(飛鳥寺)が
平城遷都により奈良に移り、元興寺と名を改めた。
奈良時代の元興寺は三論宗と法相宗の道場として栄え、東大寺や興福寺と並ぶ大伽藍を誇っていました。
奈良においては東大寺、興福寺が勢力を増す一方で、元興寺は律令制度が崩壊する10〜11世紀以降徐々に衰退。
室町時代の宝徳3年(1451)、土一揆(どいっき)のあおりで元興寺は炎上し、
五重塔などはかろうじて残ったが、金堂など主要堂宇や智光曼荼羅の原本は焼けてしまった。
この頃を境に、寺は智光曼荼羅を祀る「極楽院」、
五重塔を中心とする「元興寺観音堂」、
それに「小塔院」の3つの寺院に分裂した。
極楽院は奈良西大寺の末寺となって真言律宗寺院となり、中世以降は智光曼荼羅、弘法大師、聖徳太子などの
民間信仰の寺院として栄えた。
一方、極楽院の南にある「元興寺観音堂」の方は東大寺の末寺(華厳宗元興寺)となり、
五重塔を中心とする寺院でしたが、室町時代の火災に焼け残った創建遺構の五重塔と観音堂は、
江戸時代末期の安政6年(1859)に近隣火災の類焼で焼失し、
以後は「元興寺」の寺号は継ぐものの衰退しています。
現存する唯一の元興寺僧坊遺構は、旧元興寺東室南階大房の四房分を国宝禅室
三房分を国宝極楽堂に改築して伝え、旧講堂の一部を含む史跡元興寺極楽坊境内として保存されています。
(以前企画された「屋根裏探検隊」に参加して、元興寺禅室の屋根裏で、
日本最初の本格的寺院といわれる「飛鳥寺」由来と思われる586年頃の一番古い現役部材を見学しました。)

現在、ユネスコ世界遺産『古都奈良の文化財』のひとつ、
中世南都の復興期に、浄土教と密教の道場として再生発展した庶民信仰霊場として登録されています。




境内の風景

  
東門付近 

 
東門の提燈            法要に掛けられた寺紋幕


本堂と柴燈護摩壇


護摩壇中央の不動明王の種字「カーン」の祭壇

 
住職による節分会願文

  
本堂横の福豆撒きの特設舞台         奈良豊澤酒造からの献酒「豐祝」で鏡開き

 
柴燈の火の粉や煙を浴びると厄除けになるそうです…

 
護摩壇を組んであった燻っている丸太の薪の上を、素足で清めの塩を踏みしめて、「火渡リの行」

  
関係者、年男、年女、留学生等による多彩な顔ぶれによる豆撒き


散華に続き福豆も頂きました

 
特別ゲストは「せんとくん(奈良県マスコットキャラクター)&第27代ミス奈良の2人
&「しかまろくん(奈良市観光協会マスコットキャラクター)」



ご朱印「智光曼荼羅」


大判ご朱印「南無上宮太子」


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