パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

丹生川上神社Ⅲ

2020年06月10日 | 日記
3.中社

衰退後、丹生川上雨師明神社もいつしか蟻通神社と称され、
明治、大正と所在地諸説の経緯を経て三社が比定地とされました。
三社になりましたが、「官幣大社丹生川上神社」としては一社で、そこでこの神社の社務所を中社に移して、
下社、上社を統括して祭務を行ってきました。
戦後神社制度の変遷により、今日では三社別々の神社となっていますが、中社が「丹生川上神社」と登記されています。
本殿は江戸時代文政十二年(1829年)の建築で、東吉野村の文化財に、
又瑞垣内にある灯篭は鎌倉時代の弘長四年(1264年)銘で、国の重要文化財に指定されています



    
神社前の清流 高見川(丹生川)                         県道220号

 
鳥居と社号額


由緒掲示

 
手水舎  注水口の龍に「疫病退散」の鉢巻き

 
ご神水・真名井(清めの清水)


拝殿

  
拝殿内部


拝殿より本殿を拝する

 

 
拝殿から本殿への渡殿と階(きざはし)

   
西殿                        東殿
本殿の左右に西殿、東殿がありますが木が繁っていて屋根の一部しか見えませんでした。
(社殿は兵火により焼失し文政12年(1818)再興、屋根檜皮葺き修復し今日に至る)

  
西殿                    本殿                    東殿
(三殿の写真は東吉野村HPより転載)
本殿 三間社流造 桧皮葦
東殿 一間社流造 三棟 各相の間で接続 桧皮葦
西殿 一間社流造 三棟 各相の間で接続 桧皮葦

本殿 御祭神 主祭神 罔象女神(みつはのめのかみ)
 相殿    相祭神 伊邪奈岐命(いざなぎのみこと)、伊邪奈美命(いざなみのみこと)
東殿 御祭神 大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと・天照皇大神)・八意思兼命(やごろもおみかねのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇)
西殿 御祭神 開化天皇・上筒男命(うわつつおのみこと)・大国主命・事代主命・綿津見神(わたつみのかみ)・菅原道真公

 
狛犬


西参道鳥居

    
 爺石         鳥居左右の爺婆石(夫婦石)         婆石

 
吉野離宮跡石碑 (秋津宮)
国家に大事のあるときには、天皇は祈願のために
丹生川上神社に行幸されたが、
その際宿泊された場所が吉野離宮であるとされている。
吉野離宮は当神社の背後の小牟漏(おむろ)岳の麓、
丹生川上神社の神域にあったと考えられており、
それに因んで石碑が建てられている

 
丹生龍王大神社



木霊神社 御祭神 五十猛命(須佐之男命の御子)

 
相生の杉

 
叶(かなえの)大杉 (千年杉) 樹高 51.5m 幹回り 7.1m

 
大盛丸神社 御祭神 龍神大明神

   
社務所 当日は、水神祭の日にあたり国旗が掲揚 (コロナで神事も関係者のみ)

   
東照宮 御祭神 徳川家康                        水神社 御祭神 高龗神

 
蟻通橋 本社と摂社丹生神社とを連絡する高見川に架けられた橋

   
橋の上流に「夢渕」 (高見川に日裏川、四郷川が合流)

神武がウケイの儀式をおこなった場所が今の丹生川畔の「夢淵」という所で、
夢告に従いつつそれがなされたがゆえの地名

 
川の流れの地図
現在の「高見川」は、神社の表示では「丹生川」となっています。
「御手濯(みたらし)川」、「木津川」と表記されているものもあります。
google地図では、高見川に日裏川と四郷川が合流するようですが、神社の記述や、
国土地理院の地図では木津川(こつがわ)と日裏川と四郷川が合流して「高見川」になっています。


橋より下流を望む 

  
摂社 丹生川神社 御祭神 彌都波能賣神 (本殿・本宮)

 
皇紀2600年奉祝記念建立「神武天皇聖跡」の石碑(横面)      東吉野村HPより
碑文
「神武天皇戊午年(つちのえうまのとし)九月天下平定の為平瓮(ひらか)及び
厳瓮(いつべ)を造り給い丹生川上に陟(のぼ)りて天神地祇を祭られ
又丹生之川に厳瓮を沈めて祈り給えり聖蹟は此の地付近なり」。

 
東の滝へは「ゆめはし(吊り橋)」を渡ります

 
日裏川が夢渕に流れ落ちる所にあるのが東の滝


滝壺の上の「不動明王」              瀧の前の太鼓橋

「水神社」の対岸になる「不動明王」祠の近くに「山の神」御祭神 大山祇神 の祠もありました。

 
御朱印
御朱印の右上に魚がありますが、これは「鮎」だそうです。
拝殿の「萬歳幡」にも刺繍されています。

神武天皇が聖なる土器を川に沈め、「魚が浮き上がったら日本を平定できるだろう」
との霊夢をもとに、占ったところ、「アユ(鮎)」がことごとく浮かびあがった。
そこで、神武天皇は、天神地祇(てんじんちぎ)を敬祭して、その結果、東征
(大和平定)に成功したとの話から。
「魚+占」⇒「鮎」の語源になったともいわれていることに由来しているようです。

神武がウケイの儀式をおこなった場所が今の丹生川畔の「夢淵」という所で、夢告に従いつつそれがなされたがゆえの地名

御朱印について
三社を巡って、三社を一枚にした御朱印の受け方もありましたが個別に御朱印を頂きました。
三社共通の御朱印は同様の「官幣大社 丹生川上神社」(中社は[旧官幣大社 丹生川上神社])の角印と
丸印は各々「下社は丹生」「上社は上社」「中社は丸印でなく厳瓮の中央に鳥居と本殿・丹生川上神社・祈雨」
添書き?下社はなし、「上社はには龍神総本宮」「中社には水神宗社」と記されていました。
上社には龍の押印、中社には記述の如く「鮎と川の水」印が水神宗社と一体?で押印されていました。

  

下社の拝殿から本殿への75段の階(きざはし)の渡殿、は天の架け橋を昇るような魅力的な建造物と黒毛白毛の神馬。
上社はダム建設により遷宮されたため、社殿が新しくて歴史を実感しにくいものの、平安時代の本殿跡、祭祀跡に興味。
三社の中では、比定地が何処?と言うよりも、森と水のロマン、自然環境に中社が一番好きな神社と思えました。
三社三様、考古学よりも、神武東征に始まる、この辺りが歴史的ロマン満載で好きになりました。

















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