通常、観光で訪れる「元興寺」はならまちでも世界遺産「元興寺(極楽坊)」。
しかし、ならまちを散策中、御霊神社から猿沢の池方面に向かうと「元興寺塔跡」の表示を見つけました。
http://kawafune.html.xdomain.jp/kotizu1.jpg
ならまち散策マップと元興寺伽藍配置図・古地図
蘇我馬子が建立した飛鳥寺が平城京遷都とともに元興寺と名を変えて奈良に移転してきました。
その後,南都七大寺の一つとして隆盛を誇ることになりますが,蘇我氏の没落とともに寺運は衰退します。
ただ,宿坊であった極楽坊だけが独立して、元興寺極楽坊と称し法灯を継ぐことになり,今日に至っています。
残された元興寺そのものは、元興寺極楽坊の南へ数分下ったところにその跡見ることができるだけですが,
往時を偲ぶには、わずかに観音堂と五重塔の礎石をよすがとするしかありません。
元興寺旧伽藍のうち、現在は三か所、⓵僧坊と講堂の一部を伝える、元興寺極楽坊と称された寺域、
⓶史跡元興寺塔跡(東大塔院五重塔の基壇)、⓷史跡小塔院跡(西小塔院の一部)が国の指定を受けていますが、
大部分は街路、民家の下に埋もれています。
散策マップの黒枠が当初の寺域で一説、東西250m、南北500mの広大なもので、ならまちの大部分のエリアにあたります。
今回訪れたのは、中門の横にあった東大塔院で、観音堂と五重大塔跡(焼失し塔跡のみ)。
現在の「観音堂」は、形を変えて本堂として建っています。
そして五重塔跡。
この塔は伝説では、高さ71mとも言われていますが、実際は57m級といわれています。
三大木造五重塔と言われている
①東寺五重塔の高さ54.8m、
②興福寺五重塔の高さが50.1m
③法観寺五重塔(八坂の塔)の高さ49m
と言われていますので、それより高かったのかも。
強者どもの夢の跡ではありませんが、訪れる観光客も少なく、
塔跡に咲く桜を観ていると、往時が偲ばれます。
参道は路地のようです 正門の寺号扁額
塔跡の礎石と桜
心礎石
現在の本堂として再建・本尊 弥勒菩薩座像
啼燈籠(円柱に正嘉元年(1257)の刻銘)
境内風景 鐘楼
仏足石
牡丹の花も咲いていました
現在の元興寺の宗派
元興寺・極楽坊 真言律宗 (西大寺の末寺)
元興寺・塔跡(東大塔院) 華 厳 宗 (東大寺の塔頭末寺)
元興寺・小塔院 真言律宗 (西大寺の末寺)?
しかし、ならまちを散策中、御霊神社から猿沢の池方面に向かうと「元興寺塔跡」の表示を見つけました。
http://kawafune.html.xdomain.jp/kotizu1.jpg
ならまち散策マップと元興寺伽藍配置図・古地図
蘇我馬子が建立した飛鳥寺が平城京遷都とともに元興寺と名を変えて奈良に移転してきました。
その後,南都七大寺の一つとして隆盛を誇ることになりますが,蘇我氏の没落とともに寺運は衰退します。
ただ,宿坊であった極楽坊だけが独立して、元興寺極楽坊と称し法灯を継ぐことになり,今日に至っています。
残された元興寺そのものは、元興寺極楽坊の南へ数分下ったところにその跡見ることができるだけですが,
往時を偲ぶには、わずかに観音堂と五重塔の礎石をよすがとするしかありません。
元興寺旧伽藍のうち、現在は三か所、⓵僧坊と講堂の一部を伝える、元興寺極楽坊と称された寺域、
⓶史跡元興寺塔跡(東大塔院五重塔の基壇)、⓷史跡小塔院跡(西小塔院の一部)が国の指定を受けていますが、
大部分は街路、民家の下に埋もれています。
散策マップの黒枠が当初の寺域で一説、東西250m、南北500mの広大なもので、ならまちの大部分のエリアにあたります。
今回訪れたのは、中門の横にあった東大塔院で、観音堂と五重大塔跡(焼失し塔跡のみ)。
現在の「観音堂」は、形を変えて本堂として建っています。
そして五重塔跡。
この塔は伝説では、高さ71mとも言われていますが、実際は57m級といわれています。
三大木造五重塔と言われている
①東寺五重塔の高さ54.8m、
②興福寺五重塔の高さが50.1m
③法観寺五重塔(八坂の塔)の高さ49m
と言われていますので、それより高かったのかも。
強者どもの夢の跡ではありませんが、訪れる観光客も少なく、
塔跡に咲く桜を観ていると、往時が偲ばれます。
参道は路地のようです 正門の寺号扁額
塔跡の礎石と桜
心礎石
現在の本堂として再建・本尊 弥勒菩薩座像
啼燈籠(円柱に正嘉元年(1257)の刻銘)
境内風景 鐘楼
仏足石
牡丹の花も咲いていました
現在の元興寺の宗派
元興寺・極楽坊 真言律宗 (西大寺の末寺)
元興寺・塔跡(東大塔院) 華 厳 宗 (東大寺の塔頭末寺)
元興寺・小塔院 真言律宗 (西大寺の末寺)?