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知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『オランダ商館医博物学者ドイツ人のシーボルトは科学伝授 1』 『出島出入の絵師川原慶賀は、肖像画と写生生物画でバックアップ』

2022-10-10 16:58:51 | 絵画

『オランダ商館医博物学者ドイツ人のシーボルトは科学伝授 1』

『出島出入の絵師川原慶賀は、肖像画と写生生物画でバックアップ

 

川原慶賀のシーボルト肖像画

ウエブ情報から引用

ドイツ生まれの青年医師が長崎に、1823/08/11到着、『町の手前の小さな人工島・出島には、高くオランダ国旗が翻っていた』と。 シ-ボルト陸軍軍医少佐年俸は、現在の約3000万円に相当。

 

川原慶賀「唐蘭館図・蘭船入港図」

ウエブ情報から引用

 

川原慶賀「出島図」

ウエブ情報から引用

注目したいのは、向かって左側のかなり広い区画には植物が栽培されていて、中央の通路右側の一角にも植物の栽培の区画がある。 この出島図に描かれた菜園は、まさに『シーボルトの植物園』と呼んでもいいものだった。 シーボルトは、患者を往診するために一日おきに、長崎市内に往診に出かけることを長崎奉行から許されていた

 

さらに、シーボルトは、多くの日本人医師を弟子として受け入れ、弟子たちは薬草や様々の品を届け、かれらは、日本の植物名や中国名を教示してくれる上に、日本語まで教えてくれたと記録している。

 

来日早々、若きシ-ボルトは日本人からどうやって信頼を獲得したのだろうか。 『目の前での実践』にあった。 眼球の手術、今でいう白内障手術をして視力を回復させ、人々の前で果敢に臨床的な治療をして見せた。

 

200年前のドイツ人・シ-ボルトのオランダ医学と実践、感服しました。

(記事投稿日:2022/10/10、#584)

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『COVID-19との長期戦に備えて(参考にすべき国々と比較 01)』 『比較した国、台湾・韓国・中国・英国・独国・仏国・米国・全世界』

2022-10-09 11:09:56 | 政治・経済

『COVID-19との長期戦に備えて(参考にすべき国々と比較 01)』

比較した国、台湾・韓国・中国・英国・独国・仏国・米国・全世界

『複雑極まる、グループ・型・株では、スペイン風邪対策同様の自然終息待ち?

                                                              

傘寿世代としは、貴重な余生を、3年近くも、活動を制限された生活を強いられています。 特にボケ防止に有効な『カラオケ』は、いくら勇気があっても家族からは厳禁で、諦めています。 表題を久しぶりに備忘録にしました。

 

この度の本当に厄介な感染症は、日本では『新型コロナウイルス感染症』と呼ばれ、報道されていますが、世界中で、WHOの定義、病名が『COVID-19』、ウイルス名が『SARS-CoV-2』で使われています。 感染予防を徹底させるには、関係者は状況を、PPM(パーツ・パー・ミリオン)数値とその傾向・経緯を、一部の他国との比較で報道したらいかがと思います。

 

人口100万人あたりのCOVID-19の感染者数推移(2022/10/09)

  

 

7日間の新規感染者数(人口100万人あたり・PPM)2022/10/09現在

(新規感染者数PPMは、韓国・日本・西独・仏国・英国・米国が世界平均以上)

World

404.8

99.8%

 

China

5.2

123.6%

 

France

5733.9

123.6%

 

Germany

6703.2

129.5%

 

Japan

1777.4

74.2%

 

South Korea

3062.5

77.9%

 

United Kingdom

915.2

122.6%

 

United States

899.9

91.8%

パーセントは先週比
2021年人口

 

札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門の情報

感染者数のPPMは、西独・中国・仏国・英国の増加が心配です。

 

人口100万人あたりのCOVID-19の死者数推移(2022/10/09)

 

7日間の新規死者数(人口100万人あたり・PPM)2022/10/07現在

(新規死者数PPM調査国全部が世界平均以上、英国の抑え込みが凄い、台湾の情報なし)

World

1.2

97.6%

 

France

4.7

137.8%

 

Germany

5.6

77.7%

 

Japan

4.2

84.4%

 

South Korea

3.9

65.9%

 

United Kingdom

5.1

- %

 

United States

8.4

88.5%

 

パーセントは先週比
2021年人口

札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門の情報

死者数PPMは、フランスの増加が心配です。

 

『COVID-19』は、スペイン風邪対策が参考になるかと思い、調べてみました。

スペイン風邪の世界的な流行は、大きく分けて、1918年の春にはじまる第一波、1918年の秋にはじまる第二派、1919年の春にはじまる第三派という三つの流行の波に分かれていく形で感染拡大が進行、スペイン風邪による死者の多くは、ウイルスが『強毒株へと変異』した後の第二波と第三波の感染拡大の時期に発生することになったと考えられています。

 

防疫対策などを通じて人間の社会における社会活動が停滞していくことにより、ウイルスが次第に効率的に感染を拡大する場を失っていくことによって、スペイン風邪の流行は徐々に終息へと向かっていくことになっていったとも考えられることになるのです。 (この度は、このような楽観視はできないようです。)

 

感染者が第六波で急増したが第六波まで抑え込んできた台湾は、中国武漢から最も近いにもかかわらず、当初は成功しましたが、最近はずいぶん厳しい状況になっています。 『ITによる徹底した水際対策と、陽性者把握・隔離と、三密回避』だけでは、どうかという観点から、日本がもっとも苦手な総括的検証が必要かと思えます。

 

いろいろな統計表や、グラフが発表されていますが、このCOVID-19は強力で、第1波から、第7波まで、簡単には判断できないほど、世界中の各国・地域に各々、複雑な展開をしています。

 

イギリスの民間団体が、台湾の人口密度は1平方キロメートルあたり639人で、世界で2番目に高いとの調査結果を発表。 それによると、世界で最も人口密度が高いのはバングラデシュ、1033人/K㎡。 2位台湾、639人/K㎡、3位韓国、484人/K㎡となっている。

 

台湾の人口は、2354万人で、韓国の5165万人の半分弱で、人口密度も大差はありませんが、コロナ禍が始まったころは、韓国も、台湾・ドイツと並び、優等生でしたが、最近は、『韓国』『台湾』が急増です

 

以前は、日本も『日本のコロナ対策はミステリアス』、「ジャパンミラクル』とか言われていますが、今は,一部の海外の関係者から、日本の関連数値に疑問が出始めています。

 

この記事内容を思い出して、今迄の対策の『総括的評価』をやって頂き、最近、急に、日本で猛威を奮っているのは、どの、グループ・型・株、でしょうか。 厚生労働省HPには、各種の数値が発表されていますが、さて、この度の『COVID-19』は、浅学菲才のズブ素人には、ただ混迷だけです。 関係者の皆様には、欧米の抑え込んでいる国々のいいところは、ご参考にしていただき、更なる対策と改善をせつにお願い致します。

(記事投稿日:2022/10/09、#583)

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『戦国激動の日本と世界が解る 4「オランダ商人の日誌と手紙」』 『「オランダのジャパン・シルバーを獲得せよ」戦略の凄さ』

2022-10-08 07:56:00 | 歴史・日本・中世

『戦国激動の日本と世界が解る 4「オランダ商人の日誌と手紙」』

『「オランダのジャパン・シルバーを獲得せよ」戦略の凄さ』

 

島国日本の中世戦国時代に西欧列強の覇権争いに、これほど巻き込まれていたことに驚きました。 今後の調査のために、表題の放送の抜粋・引用を備忘録にしました。 

先ずは、銀算出大国であった日本のこと;

 

日本銀

日本からの輸出品として中国にもたらされ、16世紀末~17世紀に世界の銀の3分の1~4分の1を占めた。 日本は中世以来、銀の産出国であった。 15世紀ごろから中国の銀の産出量が減少したため、中国に輸出されるようになった。 それを可能にしたのは、16世紀には朝鮮から伝えられた灰吹き法という製錬技術であった。 特に石見銀山(島根県)は最も早く開発が進み、また生産量も多かった。 次いで生野銀山(但馬)、院内銀山(秋田)など、銀山が開発されていった。 17世紀初頭の最盛期には、日本産の銀は世界の生産量のおよそ3分の1~4分の1を占めていたと考えられている。 しかし16世紀後半にはじまるスペインによる新大陸のポトシ銀山の開発から、現在のボリビアやメキシコ産のメキシコ銀が増大し、中国にもたらされてスペイン銀貨にといわれるようになり、日本銀はそれに押されて次第に衰退した。石見銀山は豊臣秀吉、徳川家康によって直轄銀山として採掘されていたが、江戸時代にはいると鉱脈が絶え、現在は廃鉱になっている。

 

徳川家康の時代、世界ではスペインとオランダの覇権争いが続いていて、オランダが日本の銀を狙って家康に近づき、家康もオランダから武器を求め、家康の天下取りにオランダが深く関わっていたということです。

戦国最後の合戦、大阪の陣では、スペインが豊臣側に付き、この徳川と豊臣の戦いは、その背後で支えたオランダとスペインの覇権争いでもあったそうで、当時の世界の縮図のような合戦でした。

また、オランダに日本のある意外なものが貸し出され、それによって、世界の歴史が大きく変わっていくことになったそうで、戦国日本が想像以上に世界に影響を与えていたことを知りました。

 

オランダ船が漂着

オランダの貿易船が難破し、最新の大砲や銃弾を家康が手にした。 オランダは、商人たちがつくった、小さな国でしたが、しかし 瞬く間に 世界の覇権を握りました。 戦国日本で繰り広げられていた、徳川家と豊臣家の戦いが、深く関わっていました。 オランダで戦国時代の日本に、新たな光を当てる史料が見つかりました。 日本に滞在したオランダ商人が、書き残した 日誌や手紙、500件に及ぶ 膨大な記録です。 

 

徳川家と、豊臣家の間に戦争が起こるという確かな情報を入手した。 必ずや家康様に、大砲と鉛を売り込んでみせると、戦国時代の日本にビジネスチャンスを見いだしていた。
偶然、嵐に襲われ難破したオランダの貿易船が、日本にたどりつきました。 
船には 最新式の鉄砲や弾薬が、大量に積まれていました。

家康は、生き残った船員たちを尋問、この時のやり取りが、記録に残されています。 

『日本にきた狙いは?』
『貿易です。 我々の武器を使えばより強くなるはずです。』
豊臣家に対抗するため、軍事力を強化していた家康、船に積まれていた大量の武器・弾薬は、家康の手に収まることになりました。

 

オランダの武器を手にした家康 関ヶ原で圧勝。 大国スペインの支配下にあった、オランダは独立戦争を始めますが、スペインは強大でした。 スペインは、世界中の植民地から、ばく大な富を吸い上げ、無敵艦隊をはじめとする、世界有数の軍事力を擁していました。


オランダが打ち出した、貿易による富国強兵策
海外で商品を売って資金を稼ぎ、スペインに対抗できる軍事力を、持とうとしたのです。
オランダ船 漂着の半年後に起きた、関ヶ原の戦い。 
当時の宣教師の記録に、その様子が記されています。 徳川軍が撃つ、嵐のような弾丸。 瞬く間に三成たちの軍は総崩れとなった。 オランダの武器を手にした徳川軍は圧勝でした。

天下取りに大きく近づいた
 徳川家康。 しかし 最大の障壁が残っていました。 父 秀吉からばく大な遺産を受け継いだ、豊臣秀頼です。 秀頼のもとには、豊臣家に忠誠を誓う武将たちが、結集していました。

 

グローバル経済の先駆者 オランダ東インド会社誕生

同じ頃、ヨーロッパでも、オランダとスペインの戦いが、新たな局面を迎えていました。
世界初の株式会社 オランダ東インド会社の誕生です。 その最重要資料の撮影が、特別に許可されました。 本来、国が持つ さまざまな特権が、一つの会社に託されていました。 
外国の領主と独自に条約を結ぶ権利。 兵士を雇い 要塞を築く権利。 更に貨幣を造る権利まで

スペインの海外での収益を奪うことは、経済戦争に勝利すること考え、最前線に立つ商人に、強力な権限を与えることで、迅速な海外進出を目指し、宿敵スペインに、打ち勝とうとしたのです。 この世界初の株式会社は、戦国日本に正式な使節を送り込みます。

 

利益追求のオランダと、キリシタンで征服を狙うスペイン

この時代 ヨーロッパに、君臨していたのは 各国の国王と、キリスト教の指導者である、ローマ教皇で、領土を広げ 信者を増やすことを目指していました。 オランダの目的は、純粋に利益を追求しました。

大航海時代、世界最大の帝国を築いたスペイン。 その力の源の銀が大西洋で発見されました。 水深1, 100mに沈んだ貿易船の調査し、ばく大な数の財宝が、引き上げられました。 そこには、59万枚 17トンに及ぶ銀がありました。 当時スペインは新大陸の植民地で、巨大な銀山を開発、世界の生産量の8割を占めます。 銀の力によって 世界経済で優位を築き、強大な軍事力を支えていました。

一方 新興の商業国家 オランダ、銀の独自の入手先が必要でした。 16世紀にヨーロッパで出版された「日本地図」。そこには
 銀山王国と記されています。 戦国時代の日本は、銀の産出国として知られていたのです。 日本の銀を手に入れるため、オランダ東インド会社は、有能なビジネスマン ジャック・スペックスを送り込みます。

 

佐渡の銀山

ウエブ情報から引用

今回見つかった史料から、スペックスが日本の銀について、内密に調査を進めていたことが、分かりました。 新潟県佐渡島。 戦国時代、ここに 日本最大級の銀山がありました。 この銀山の開発を進めたのが、徳川家康です。

佐渡には 一体どれほどの銀があったのか。今 調査が進んでいます。 戦国時代末期、家康5万人の労働者を送り込み、昼夜交代で休みなく採掘を進めました。 
佐渡全体での埋蔵量は、2, 300トンを超え、世界トップレベルの銀山でした。

家康は 佐渡をはじめ、全国各地で次々と鉱山開発を進めました。 日本の銀の生産量は急速に拡大し、年間100トンを超えます。 世界の生産量の、およそ3分の1を占めました。

日本の銀を狙う オランダのスペックス
調査の結果 佐渡の銀は、スペインの銀以上に、純度が高いことが判明します。 私たちの商品と引き換えに、日本の銀を頂きたいのです。 家康様への献上品として、美しい毛織物、色とりどりのガラス、最高級の鏡などを用意しました。 家康がより強く求めたのは、兵器でした。

スペインも、負けじと 家康のもとに、ロドリゴ・デ・ビベロを送り込みます。 最先端の技術を持つ、スペインの鉱山技師がいれば、日本の銀の生産量を更に伸ばすことが可能でした。 新たに採掘したものの、半分はスペインのものとすること、オランダ人を国外追放すること。 キリスト教の教会を建て、宣教師を置くこと。

貿易とともに、強く布教を求めたスペイン。そ こには 隠された狙いがありました。 ビベロが、ひそかに国王に送っていた文書です。 日本には数多くの銀の鉱脈がありますが、軍事力に秀でた、日本を征服するのは、容易ではない。 キリスト教の布教を広めるべきです。 キリシタンの数が増えれば、家康の死後、陛下を新たな王と仰ぐことでしょう

スペインの野心を察知したオランダは、家康に訴えます。 フィリピンもメキシコも、この方法で支配下に置き、植民地にしてきたのです。 交渉を打ち切り、更に キリスト教の全面的な禁止に、踏み切りました。

各地で 厳しい弾圧の嵐が吹き荒れました。 布教の道を絶たれたスペインは、家康と敵対する豊臣秀頼に、接近したのです。 初の国際通貨の銀貨・大坂の陣、家康は大砲で勝利、代金は銀貨で支払い日本の銀を巡って しのぎを削った、オランダとスペイン。

銀を求めたのは、グローバル経済の誕生です。 銀貨によって ヨーロッパの商人たちは、東南アジアの香辛料や、中国の陶磁器など 世界各地の商品を、購入できるようになり、国際貿易が活性化。

戦国最後の合戦、大坂の陣
天下取りに王手をかけた徳川家康。 その最後の障壁となった豊臣秀頼。 スペインを後ろ盾とする、宣教師たち、勢力挽回のため 豊臣家に肩入れします。 秀頼様は、自由な布教と教会の建設を約束してくださった。 宣教師たちは 豊臣方につくよう、キリシタンの武将に働きかけます。 豊臣軍は 総勢10万の大軍に、膨れ上がっていました。

更に、キリシタン勢力は、武器の調達においても活躍しました。 決戦の舞台となった、大坂城。 今、大規模な発掘調査が、続いています。 地下から現れた豊臣軍の軍事基地の跡。 作りかけの鉄砲玉が、発見されました。 大坂城下では、戦のさなか、銃弾の製造が行われていました。 それを可能にしたのが、キリシタン商人は、弾の原料となる鉛を集め、大坂城に運び込んでいたのです。

大軍で 四方から攻め寄せる徳川軍。 豊臣軍から一斉射撃を浴びせられ、大坂城に近づくことも困難でした。 追い詰められた家康。起死回生の策を打ち出します。 大砲による、大坂城への直接攻撃です。 しかし 徳川軍の陣地からは、最短でも 500m。 従来の大砲の有効射程を超えていました。 家康が頼みの綱としたのが、オランダでした。

家康様が大砲と砲弾をすべて購入することを報告する。 家康の待ち望んだ、オランダの大砲。 当時、最新式のカノン砲。 2頭の獅子のマークは、オランダの大砲工場でつくられた証しです。 オランダ東インド会社は、海外の戦場で売れる商品として、大砲を多額の開発資金を投入し、イノベーションを加速させていました。

オランダの大砲の威力を検証するため、実弾の発射実験が行われました。 ターゲットは 大坂城の天守を想定し、厚さ10cmの堅ろうな木材で、作られました。 砲弾の速度は 秒速340m。音速に達していました。ターゲットの中心に 正確に命中。 分厚い木材を難なく破壊しました。有効射程は 500m以上。 オランダの大砲は 大坂の陣のさなか、家康のもとに届けられます。 砲弾は 天守と御殿を直撃し、多数の死傷者を出し、総大将 秀頼は 戦意を喪失。 豊臣家は 滅亡します。

大坂の陣は オランダとスペインの、覇権争いにおいても転機となりました。 オランダ東インド会社が、待望の銀を手にしました。 家康様に大砲と砲弾を納品。 代金は、銀貨1万2千枚にのぼる。 家康の信頼を勝ち得たオランダ。年々 取引高を伸ばし、最盛期には 年間94トンもの銀が日本から運び出されます。

小さな商業国だったオランダが、ついに大国スペインに対抗しうる力を手にしたのです。オランダとスペインの植民地争奪戦・日本から武器と共に傭兵、勢いづいたオランダは、スペインとの更なる戦いは、植民地争奪戦。 舞台となったのは 東南アジア。 香辛料の特産地モルッカ諸島や、海上交通の要 マラッカなど、重要な貿易拠点の多くはスペインが支配していました。

オランダは このスペインの植民地を、奪い取る計画を立てます。 カギとなったのは、戦国日本から輸出された、驚くべき商品でした。 オランダ国立公文書館に、日本を出発したオランダ船の、積み荷リストが残されていました。 火縄銃や槍、日本刀。 更に 武器と共に、数多く記されていたのが、日本人の名前です。

一人一人に、細かく 給料が、定められています。 彼らの正体は 金で雇われ、海外の戦場で戦う傭兵。 日本の戦国時代が、幕を閉じ、多くのサムライが失業、新たな戦いの場を求めていたのです。 サムライを植民地争奪戦に用いたのが、オランダです。 スペインとの戦争に投入するため、勇敢な日本人を可能な限り送ってくれ。 スペックスは 日本のサムライを、一挙に数百人規模で雇い上げようと画策。 その実現のため、家康との直接交渉に乗り出しました。 オランダから武器を入手し、利益を得ていた家康は、スペックスの申し出を特別に許可します。

日本人傭兵を手にしたオランダ。 スペインが支配する、モルッカ諸島に狙いを定めます。
特産品の香辛料は 一粒が、同じ重さの銀に匹敵するといわれ、ばく大な利益を生み出す商品でした。 この時 突破口を切り開くために、送り込まれたのが、日本人傭兵だったのです。 その記録が残されていました。 先陣を切ったのは サムライたち。槍や日本刀による接近戦で、敵を切り崩しました。

この後、世界の海を行くヨーロッパの船の、実に
 4分の3に、オランダの旗が翻ることになります。 オランダは 戦国日本と結び付くことで、世界の覇権を手にしたのです。

オランダ・アムステルダム国立美術館
今また、戦国日本が世界に影響を与えた証しが、見つかりました。 オランダ東インド会社が製造した大砲。 X線を当て金属の成分を解析します。 世界各地の銅のデータと比較したところ、驚くべき結果が明らかになりました。 日本の銅を使った大砲でした。 この大砲は、ヨーロッパの大戦争に投入されます。 30年の長きにわたるこの戦いで、オランダ側が勝利。 敗北したスペインの没落は、決定的なものとなりました。

宗教の時代から経済の時代
国境を越えて 人やモノが行き交う中で、世界史の大転換が起こったのです。 日本とヨーロッパがつながったことで、ある現象が起きました。 新たに出現した、グローバル経済を最も、効率的に利用したものが勝利を手にした。 戦国時代の日本は。まさに世界史の最前線だったのです。 新たな時代の扉を開いた戦国日本。 私たちは今も、一つにつながった激動の世界に、生きています。

 

教科書で学ぶ歴史では知らなかったことを今回知りました。 傘寿まで生きた買いがあったというものです。 『オランダの貿易船が難破し、最新の大砲や銃弾を家康が手にし、関ヶ原で圧勝。 グローバル経済の先駆者 オランダ東インド会社誕生。 利益追求のオランダと、キリシタンで征服を狙うスペイン。
初の国際通貨の銀貨・大坂の陣、家康は大砲で勝利、代金は銀貨で支払い。
オランダ 植民地争奪戦に勝利したのは、日本からの武器と傭兵のおかげ。』

日本の戦国時代と、銀、オランダと関連していくことに驚きました。
キリシタンが家康に迫害されたのも、こんな訳があったのですか。

(記事投稿日2021/10/08、#582)

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『海外の古文書が日本史の謎を解く(手紙・日記等)から解る 3』『信長の先取性・先見性に、刺激受けた秀吉の無理難題の半島・大陸進攻へ』

2022-10-07 16:33:29 | 歴史・日本・中世

『海外の古文書が日本史の謎を解く(宣教師たちの手紙・日記等)から解る 3』

『信長の先取性・先見性に、刺激受けた秀吉の無理難題の半島・大陸進攻へ』

『洋の東西を問わず、異なる宗教間、宗派間の戦争、今は政治対宗教の戦争も』


織田信長の長期政権に期待した宣教師たちは;

戦略の立て直しが必要になり、長崎港一帯を、キリシタン大名から譲りうけ、支配下に置き、更に最新兵器、大砲を九州に持ち込み、軍事力の強化を、図ろうとしていたようです。

 

宣教師たちが蓄え始めた軍事力は、信長にとって大きな脅威になっていく中で、自分こそ支配者と宣言した織田信長でしたが、このころは、関白はもとより、征夷大将軍にもなる様子がない時期に、京都に滞在中に明智光秀の謀反『本能寺の変』を、信長は察知できていなかった。 なぎなたで戦った後、銃弾を受けたあと、自害しました。

 

宣教師たちは、日本の軍事力を利用した中国征服計画を:

信長の後継者を決める山崎の戦いでは宣教師たちが睨んだのは、秀吉でした。

宣教師たちは高山右近らキリシタン大名に対し、秀吉側に加わるように働きかけていました。

 

朝鮮出兵・中国征服計画の基地・名護屋城 城下町模型

ウエブ情報から引用

今後の継続調査のために、ウエブ情報の抜粋・引用です。

リスボン大学 ペドロ・コレイアは;
右近たちが勝利すれば、キリスト教の勢力拡大に、有利に働く。 宣教師たちは、情勢の変化に期待していた。 宣教師たちの狙いは的中。  政権中枢には、多くのキリシタン大名、名を連ねたのです。 秀吉の時代、日本のキリシタンは 30万人を突破。

最大の目標である中国。 
高価な陶磁器や絹織物、金や銀などの貴金属にあふれ、世界一豊かな国でした。 日本の軍事力を利用した中国征服計画、実現のため 宣教師は、秀吉に働きかけます。 われらの軍船をお貸ししましょうか。 キリシタンも意のままに動きましょう。 1592年、中国征服の足掛かりにしようと、始まったのは朝鮮出兵。 キリシタン大名を先陣とする大部隊が、海を渡りました。

戦いは激化し、推定で74万人が動員される、大戦争になりました。 最前線で戦う、キリシタン大名の犠牲が急増。 拡大を続けるキリシタン勢力を脅威と捉え、その力を削減しようとしていた秀吉。 日本では、バテレン追放令が出され、キリスト教の布教も禁じられていました。 宣教師の思惑とは、かけ離れた形で進んでいく戦国日本。

宣教師たちにとって、想定外の事態が;
秀吉の野心がスペインの植民地フィリピンにも、向けられたことを知ったのです。 秀吉が狙ったのは スペインの富。 征服王フェリペ2世の、植民地を奪うことで、朝鮮出兵の戦費を賄おうとしていました。 

しかし 1598年、スペインのフェリペ2世が急死。 その5日後 日本で秀吉が死去。 日本軍は 朝鮮半島から撤退を決定します。 宣教師が抱いた中国征服計画は、幕を閉じたのです。

フェリペ2世の死後、超大国スペインは、世界各地で行っていた征服戦争が、裏目に出て 国力が衰退。
ランダやイギリスなど新興国が台頭します。 新たに勃発した世界の覇権を巡る争い。 その最前線に、戦国日本のサムライがいたことが、最新研究から明らかになってきました。 あまたの日本人傭兵が、ヨーロッパ諸国の植民地争奪戦に参加。

家康と手を結んだオランダ。 豊臣家とつながるスペイン 決戦の舞台は、戦国最大にして最後の合戦 大坂の陣。 日本とヨーロッパの覇権争いが、深く結び付いていきます。

なかなか面白い観点の内容です。 

当時のヨーロッパは布教と征服が一体となっており、実はイエズス会はヨーロッパによる世界征服の尖兵であった。 こうして見ていると、想像以上にキリスト教勢力は邪悪な連中である。 信長と宣教師たちのお互いに利用しようとする虚々実々の駆け引きも興味深いところです。 しかしこうなってくると、本能寺の変の黒幕にイエズス会がいたという説もそう突飛なものには思えなくなってくるから不思議である。

なお日本を利用することを考えていた宣教師フランシスコ・カブラルは根っからの差別主義者で、日本人を内心でかなり見下していたという話もある。 だからこその『我々には日本を征服する権利がある』などと。 当時のヨーロッパ人では極めて普通だったというのも事実。

ヨーロッパ側の意図から戦国の歴史を読み解くという視点は、今まであまりメジャーではなかったようです。 しかし今回こういう新たな視点を入れることで、この時代の歴史がさらに立体的に見えてきました。 当時のヨーロッパが極めて侵略的であったのは疑いのない事実ではあります。

『洋の東西を問わず、異なる宗教間、宗派間の戦争、今は政治対宗教の戦争も!』

(記事投稿日:2022/10/07、#581)

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『宇宙船地球号・奇跡の星・水の惑星が「人新世」時代へ 14(南極に恐竜が)』『大陸分裂・移動にも生き抜き、世界中で棲息した凄い歴史が!』

2022-10-02 23:03:41 | 地球・火山・地震・津波

『宇宙船地球号・奇跡の星・水の惑星が「人新世」時代へ 14(南極に恐竜が)』

『大陸分裂・移動にも生き抜き、世界中で棲息した凄い歴史が!』

『1.5億年も生息した恐竜の絶滅理由は、やはり隕石衝突が真実』

 

ウエブ情報から引用

先日(2022/09/27)NHKBSプレミアムで『南極恐竜・知られざる命の物語(南極には、かつて恐竜たちが闊歩していた。 数億年にわたって繰り広げられてきた命の物語を描く。そして、氷に閉ざされていった南極を生き抜いた植物や動物について、最先端研究を紹介)』

昔、テレビ番組としても取り上げられた本ですが、すっかり忘れていた『グラハムハンコック著「神々の指紋」の第一章、1513年に描かれたという奇妙な地図、そこには1818年にはじめて発見された南極大陸の姿が詳細に描かれていた。』を、もう一度読んでみようと思いました。

 

先ずは、地球史を大雑把に括ると、

地球誕生は45億年前、生命誕生が40億年前、植物誕生が34億年前、昆虫誕生は4.8億年前、恐竜誕生は2.3億年前、人類誕生は、旧人類が登場したのが、大体50万~30万年前、新人類が登場したのが、20万年前くらいです。 その新参者が地球を、大変な事態に追い込んでいます。

 

その間の大事件『5大絶滅』を時系列に、

地球生命史の中で、生存していた種の7割以上が滅んでしまった現象を大量絶滅と呼び、少なくとも5回の絶滅が知られている。 それらの絶滅時期と推定される種絶滅率はそれぞれが;

 

オルドビス紀/シルル紀境界の約4億4370万年前(85%)

『昆虫の起源4億8000万年前

デボン紀後期の約3億6700万年前(82%)、

ペルム/三畳紀境界(古生代/中生代の境界)の2億5100万年前(96%)、史上最大規模の絶滅事件)

『恐竜の起源2億3300万年前』

『超大陸「パンゲア」は約2億年前に分裂を開始』

『恐竜の化石が世界中に分布⇒地球史上最大規模の地殻変動にも耐えた』

三畳紀/ジュラ紀境界の1億9960万年前(76%)、

❺白亜紀/古第三紀境界(中生代/新生代の境界)の6550万年前(70%)

『約6600万年前、恐竜は彼らの仲間である鳥類を残して絶滅』

『昆虫は4億年以上棲息、恐竜も1億5000万年以上棲息、隕石の衝突がなければ今でも 人類と共棲!』

 

さらに、恐竜が生きていた時代・中生代を3つの時代に大別;

第一の時代 – 2億5100万~1億9900万年前の三畳紀の始まり

第二の時代 – 1億9900万~1億4500万年前のジュラ紀

③第三の時代 – 1億4500万~6500万年前の白亜紀

 

地球の大地殻変動(大陸移動)の間、『恐竜は1億5000万年以上棲息していた。隕石の衝突がなければ今でも人類と共棲!

ウエブ情報から引用

白亜紀/古生代三紀境界から高いイリジウム、衝撃による高圧編成鉱物、マイクロテク泰斗などが発見され、恐竜を始めアンモナイトやプランクトンなどの絶滅が、隕石の衝突によるものと明らかにされた。 他の4つの絶滅境界でも弱いイリジウム異常、衝撃による変成石英などが発見され、隕石の衝突が絶滅の原因とみられる。 しかし、古生代末の最大絶滅は、激しい火山活動による太陽光の遮断、光合成の抑制、大気や海洋の酸素量の極端な減少、が原因といわれる。

 

大陸移動が分かれば恐竜の進化が分かる! 恐竜の進化は大陸の分裂・移動が影響?(ウエブ情報の抜粋・引用これ今後の課題

恐竜は、三畳紀後期の超大陸パンゲアの時代に初めて姿を現して、ゴンドワナ大陸の時代をへて、ほぼ現在と同じ大陸に分裂した白亜紀末に絶滅しました。

恐竜は陸上に生息していたので、その進化は大陸の分裂と移動の影響を強く受けてきたことは間違いありません。

 

恐竜の起源は、現在の南アメリカと考えられていますが、それからジュラ紀中期までは超大陸パンゲアの時代なので、世界中どこでも比較的よく似た恐竜が生息していたと考えられています。

 

南北の恐竜の違いの始まり、

やがて、ローラシア大陸とゴンドワナ大陸が分裂したのがジュラ紀後期なので、恐竜の南北での相違は、この頃から始まったに違いないのです。 ゴンドワナ大陸は、その後も分裂と移動を続け、現在の南半球にある各大陸が一通り分離したのは、白亜紀中期でとなります。

 

このシナリオが正しいと仮定すると、南アメリカのギガノトサウルスとアフリカのカルカロドントサウルスは、白亜紀中期で両大陸が分離する前後の時代のため、似ていますが、その後はゴンドワナ地域の中での恐竜の違いが次第に明確になってくるのです。

 

しかし、最近、特にゴンドワナ地域を中心に多くの発見が行われています。 そのうちのいくつかは、前に述べた大陸の分裂と移動による恐竜の違いというシンプルなシナリオと矛盾するのでありました。 その時代がいずれも各地域が分裂した後の白亜紀末なので、あまり似ていないはずなのに、実は互いによく似ているということもあります。

 

このように従来のシンプルなシナリオに収まらない新しい化石も多く発見されてきましたが、それは従来のシナリオが少ない化石記録から考えられているということも言えます。 しかし、従来のシンプルなシナリオ通りに北のローラシアに特有で南のゴンドワナにはいない恐竜も健在でありました。

 

その代表的なグループが角竜類、つまりトリケラトプスの仲間であります。 最古の角竜類はアジア起源であり、その後プロトケラトプスの段階まで進化してから、白亜紀後期の後半に北アメリカに渡って、トリケラトプスを代表とする大型角竜類に進化して、大繁栄しました。

白亜紀末に一時南北が陸続きに、

大陸移動図によると、ジュラ紀後期にローラシアとゴンドワナが分裂した後、南北アメリカは分離したままになっていますが、実は白亜紀末に短期間だけ陸続きになったことが判明しています。 この時に、少数ながら恐竜の南北交流があったとも考えられています。 恐竜ではないですが、氷河時代にマンモスゾウは、アジアから北アメリカに渡りましたが、同じ時代同じ環境に住んでいたケサイというサイのなかまは渡らなかったことが分かっています。 恐竜の場合は、どうであったのでしょう。 このなぞは、非常に興味深いです。

 

人類(旧人類・新人類)の歴史は数十万年です。 こんな短期間で、人類は地球を、非常に厳しい事態にしてしまいました。 『掛け替えのない宇宙船地球号・奇跡の星・水の惑星が「人新世」時代へ』入りました。 一人一人ができること『節電・節水・節食・あらゆることを個人最適から大勢最適に』を地道にやることしかありません。

(記事投稿日:2022/10/02、#579)

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