知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『戦国激動の日本と世界が解る 4「オランダ商人の日誌と手紙」』 『「オランダのジャパン・シルバーを獲得せよ」戦略の凄さ』

2022-10-08 07:56:00 | 歴史・日本・中世

『戦国激動の日本と世界が解る 4「オランダ商人の日誌と手紙」』

『「オランダのジャパン・シルバーを獲得せよ」戦略の凄さ』

 

島国日本の中世戦国時代に西欧列強の覇権争いに、これほど巻き込まれていたことに驚きました。 今後の調査のために、表題の放送の抜粋・引用を備忘録にしました。 

先ずは、銀算出大国であった日本のこと;

 

日本銀

日本からの輸出品として中国にもたらされ、16世紀末~17世紀に世界の銀の3分の1~4分の1を占めた。 日本は中世以来、銀の産出国であった。 15世紀ごろから中国の銀の産出量が減少したため、中国に輸出されるようになった。 それを可能にしたのは、16世紀には朝鮮から伝えられた灰吹き法という製錬技術であった。 特に石見銀山(島根県)は最も早く開発が進み、また生産量も多かった。 次いで生野銀山(但馬)、院内銀山(秋田)など、銀山が開発されていった。 17世紀初頭の最盛期には、日本産の銀は世界の生産量のおよそ3分の1~4分の1を占めていたと考えられている。 しかし16世紀後半にはじまるスペインによる新大陸のポトシ銀山の開発から、現在のボリビアやメキシコ産のメキシコ銀が増大し、中国にもたらされてスペイン銀貨にといわれるようになり、日本銀はそれに押されて次第に衰退した。石見銀山は豊臣秀吉、徳川家康によって直轄銀山として採掘されていたが、江戸時代にはいると鉱脈が絶え、現在は廃鉱になっている。

 

徳川家康の時代、世界ではスペインとオランダの覇権争いが続いていて、オランダが日本の銀を狙って家康に近づき、家康もオランダから武器を求め、家康の天下取りにオランダが深く関わっていたということです。

戦国最後の合戦、大阪の陣では、スペインが豊臣側に付き、この徳川と豊臣の戦いは、その背後で支えたオランダとスペインの覇権争いでもあったそうで、当時の世界の縮図のような合戦でした。

また、オランダに日本のある意外なものが貸し出され、それによって、世界の歴史が大きく変わっていくことになったそうで、戦国日本が想像以上に世界に影響を与えていたことを知りました。

 

オランダ船が漂着

オランダの貿易船が難破し、最新の大砲や銃弾を家康が手にした。 オランダは、商人たちがつくった、小さな国でしたが、しかし 瞬く間に 世界の覇権を握りました。 戦国日本で繰り広げられていた、徳川家と豊臣家の戦いが、深く関わっていました。 オランダで戦国時代の日本に、新たな光を当てる史料が見つかりました。 日本に滞在したオランダ商人が、書き残した 日誌や手紙、500件に及ぶ 膨大な記録です。 

 

徳川家と、豊臣家の間に戦争が起こるという確かな情報を入手した。 必ずや家康様に、大砲と鉛を売り込んでみせると、戦国時代の日本にビジネスチャンスを見いだしていた。
偶然、嵐に襲われ難破したオランダの貿易船が、日本にたどりつきました。 
船には 最新式の鉄砲や弾薬が、大量に積まれていました。

家康は、生き残った船員たちを尋問、この時のやり取りが、記録に残されています。 

『日本にきた狙いは?』
『貿易です。 我々の武器を使えばより強くなるはずです。』
豊臣家に対抗するため、軍事力を強化していた家康、船に積まれていた大量の武器・弾薬は、家康の手に収まることになりました。

 

オランダの武器を手にした家康 関ヶ原で圧勝。 大国スペインの支配下にあった、オランダは独立戦争を始めますが、スペインは強大でした。 スペインは、世界中の植民地から、ばく大な富を吸い上げ、無敵艦隊をはじめとする、世界有数の軍事力を擁していました。


オランダが打ち出した、貿易による富国強兵策
海外で商品を売って資金を稼ぎ、スペインに対抗できる軍事力を、持とうとしたのです。
オランダ船 漂着の半年後に起きた、関ヶ原の戦い。 
当時の宣教師の記録に、その様子が記されています。 徳川軍が撃つ、嵐のような弾丸。 瞬く間に三成たちの軍は総崩れとなった。 オランダの武器を手にした徳川軍は圧勝でした。

天下取りに大きく近づいた
 徳川家康。 しかし 最大の障壁が残っていました。 父 秀吉からばく大な遺産を受け継いだ、豊臣秀頼です。 秀頼のもとには、豊臣家に忠誠を誓う武将たちが、結集していました。

 

グローバル経済の先駆者 オランダ東インド会社誕生

同じ頃、ヨーロッパでも、オランダとスペインの戦いが、新たな局面を迎えていました。
世界初の株式会社 オランダ東インド会社の誕生です。 その最重要資料の撮影が、特別に許可されました。 本来、国が持つ さまざまな特権が、一つの会社に託されていました。 
外国の領主と独自に条約を結ぶ権利。 兵士を雇い 要塞を築く権利。 更に貨幣を造る権利まで

スペインの海外での収益を奪うことは、経済戦争に勝利すること考え、最前線に立つ商人に、強力な権限を与えることで、迅速な海外進出を目指し、宿敵スペインに、打ち勝とうとしたのです。 この世界初の株式会社は、戦国日本に正式な使節を送り込みます。

 

利益追求のオランダと、キリシタンで征服を狙うスペイン

この時代 ヨーロッパに、君臨していたのは 各国の国王と、キリスト教の指導者である、ローマ教皇で、領土を広げ 信者を増やすことを目指していました。 オランダの目的は、純粋に利益を追求しました。

大航海時代、世界最大の帝国を築いたスペイン。 その力の源の銀が大西洋で発見されました。 水深1, 100mに沈んだ貿易船の調査し、ばく大な数の財宝が、引き上げられました。 そこには、59万枚 17トンに及ぶ銀がありました。 当時スペインは新大陸の植民地で、巨大な銀山を開発、世界の生産量の8割を占めます。 銀の力によって 世界経済で優位を築き、強大な軍事力を支えていました。

一方 新興の商業国家 オランダ、銀の独自の入手先が必要でした。 16世紀にヨーロッパで出版された「日本地図」。そこには
 銀山王国と記されています。 戦国時代の日本は、銀の産出国として知られていたのです。 日本の銀を手に入れるため、オランダ東インド会社は、有能なビジネスマン ジャック・スペックスを送り込みます。

 

佐渡の銀山

ウエブ情報から引用

今回見つかった史料から、スペックスが日本の銀について、内密に調査を進めていたことが、分かりました。 新潟県佐渡島。 戦国時代、ここに 日本最大級の銀山がありました。 この銀山の開発を進めたのが、徳川家康です。

佐渡には 一体どれほどの銀があったのか。今 調査が進んでいます。 戦国時代末期、家康5万人の労働者を送り込み、昼夜交代で休みなく採掘を進めました。 
佐渡全体での埋蔵量は、2, 300トンを超え、世界トップレベルの銀山でした。

家康は 佐渡をはじめ、全国各地で次々と鉱山開発を進めました。 日本の銀の生産量は急速に拡大し、年間100トンを超えます。 世界の生産量の、およそ3分の1を占めました。

日本の銀を狙う オランダのスペックス
調査の結果 佐渡の銀は、スペインの銀以上に、純度が高いことが判明します。 私たちの商品と引き換えに、日本の銀を頂きたいのです。 家康様への献上品として、美しい毛織物、色とりどりのガラス、最高級の鏡などを用意しました。 家康がより強く求めたのは、兵器でした。

スペインも、負けじと 家康のもとに、ロドリゴ・デ・ビベロを送り込みます。 最先端の技術を持つ、スペインの鉱山技師がいれば、日本の銀の生産量を更に伸ばすことが可能でした。 新たに採掘したものの、半分はスペインのものとすること、オランダ人を国外追放すること。 キリスト教の教会を建て、宣教師を置くこと。

貿易とともに、強く布教を求めたスペイン。そ こには 隠された狙いがありました。 ビベロが、ひそかに国王に送っていた文書です。 日本には数多くの銀の鉱脈がありますが、軍事力に秀でた、日本を征服するのは、容易ではない。 キリスト教の布教を広めるべきです。 キリシタンの数が増えれば、家康の死後、陛下を新たな王と仰ぐことでしょう

スペインの野心を察知したオランダは、家康に訴えます。 フィリピンもメキシコも、この方法で支配下に置き、植民地にしてきたのです。 交渉を打ち切り、更に キリスト教の全面的な禁止に、踏み切りました。

各地で 厳しい弾圧の嵐が吹き荒れました。 布教の道を絶たれたスペインは、家康と敵対する豊臣秀頼に、接近したのです。 初の国際通貨の銀貨・大坂の陣、家康は大砲で勝利、代金は銀貨で支払い日本の銀を巡って しのぎを削った、オランダとスペイン。

銀を求めたのは、グローバル経済の誕生です。 銀貨によって ヨーロッパの商人たちは、東南アジアの香辛料や、中国の陶磁器など 世界各地の商品を、購入できるようになり、国際貿易が活性化。

戦国最後の合戦、大坂の陣
天下取りに王手をかけた徳川家康。 その最後の障壁となった豊臣秀頼。 スペインを後ろ盾とする、宣教師たち、勢力挽回のため 豊臣家に肩入れします。 秀頼様は、自由な布教と教会の建設を約束してくださった。 宣教師たちは 豊臣方につくよう、キリシタンの武将に働きかけます。 豊臣軍は 総勢10万の大軍に、膨れ上がっていました。

更に、キリシタン勢力は、武器の調達においても活躍しました。 決戦の舞台となった、大坂城。 今、大規模な発掘調査が、続いています。 地下から現れた豊臣軍の軍事基地の跡。 作りかけの鉄砲玉が、発見されました。 大坂城下では、戦のさなか、銃弾の製造が行われていました。 それを可能にしたのが、キリシタン商人は、弾の原料となる鉛を集め、大坂城に運び込んでいたのです。

大軍で 四方から攻め寄せる徳川軍。 豊臣軍から一斉射撃を浴びせられ、大坂城に近づくことも困難でした。 追い詰められた家康。起死回生の策を打ち出します。 大砲による、大坂城への直接攻撃です。 しかし 徳川軍の陣地からは、最短でも 500m。 従来の大砲の有効射程を超えていました。 家康が頼みの綱としたのが、オランダでした。

家康様が大砲と砲弾をすべて購入することを報告する。 家康の待ち望んだ、オランダの大砲。 当時、最新式のカノン砲。 2頭の獅子のマークは、オランダの大砲工場でつくられた証しです。 オランダ東インド会社は、海外の戦場で売れる商品として、大砲を多額の開発資金を投入し、イノベーションを加速させていました。

オランダの大砲の威力を検証するため、実弾の発射実験が行われました。 ターゲットは 大坂城の天守を想定し、厚さ10cmの堅ろうな木材で、作られました。 砲弾の速度は 秒速340m。音速に達していました。ターゲットの中心に 正確に命中。 分厚い木材を難なく破壊しました。有効射程は 500m以上。 オランダの大砲は 大坂の陣のさなか、家康のもとに届けられます。 砲弾は 天守と御殿を直撃し、多数の死傷者を出し、総大将 秀頼は 戦意を喪失。 豊臣家は 滅亡します。

大坂の陣は オランダとスペインの、覇権争いにおいても転機となりました。 オランダ東インド会社が、待望の銀を手にしました。 家康様に大砲と砲弾を納品。 代金は、銀貨1万2千枚にのぼる。 家康の信頼を勝ち得たオランダ。年々 取引高を伸ばし、最盛期には 年間94トンもの銀が日本から運び出されます。

小さな商業国だったオランダが、ついに大国スペインに対抗しうる力を手にしたのです。オランダとスペインの植民地争奪戦・日本から武器と共に傭兵、勢いづいたオランダは、スペインとの更なる戦いは、植民地争奪戦。 舞台となったのは 東南アジア。 香辛料の特産地モルッカ諸島や、海上交通の要 マラッカなど、重要な貿易拠点の多くはスペインが支配していました。

オランダは このスペインの植民地を、奪い取る計画を立てます。 カギとなったのは、戦国日本から輸出された、驚くべき商品でした。 オランダ国立公文書館に、日本を出発したオランダ船の、積み荷リストが残されていました。 火縄銃や槍、日本刀。 更に 武器と共に、数多く記されていたのが、日本人の名前です。

一人一人に、細かく 給料が、定められています。 彼らの正体は 金で雇われ、海外の戦場で戦う傭兵。 日本の戦国時代が、幕を閉じ、多くのサムライが失業、新たな戦いの場を求めていたのです。 サムライを植民地争奪戦に用いたのが、オランダです。 スペインとの戦争に投入するため、勇敢な日本人を可能な限り送ってくれ。 スペックスは 日本のサムライを、一挙に数百人規模で雇い上げようと画策。 その実現のため、家康との直接交渉に乗り出しました。 オランダから武器を入手し、利益を得ていた家康は、スペックスの申し出を特別に許可します。

日本人傭兵を手にしたオランダ。 スペインが支配する、モルッカ諸島に狙いを定めます。
特産品の香辛料は 一粒が、同じ重さの銀に匹敵するといわれ、ばく大な利益を生み出す商品でした。 この時 突破口を切り開くために、送り込まれたのが、日本人傭兵だったのです。 その記録が残されていました。 先陣を切ったのは サムライたち。槍や日本刀による接近戦で、敵を切り崩しました。

この後、世界の海を行くヨーロッパの船の、実に
 4分の3に、オランダの旗が翻ることになります。 オランダは 戦国日本と結び付くことで、世界の覇権を手にしたのです。

オランダ・アムステルダム国立美術館
今また、戦国日本が世界に影響を与えた証しが、見つかりました。 オランダ東インド会社が製造した大砲。 X線を当て金属の成分を解析します。 世界各地の銅のデータと比較したところ、驚くべき結果が明らかになりました。 日本の銅を使った大砲でした。 この大砲は、ヨーロッパの大戦争に投入されます。 30年の長きにわたるこの戦いで、オランダ側が勝利。 敗北したスペインの没落は、決定的なものとなりました。

宗教の時代から経済の時代
国境を越えて 人やモノが行き交う中で、世界史の大転換が起こったのです。 日本とヨーロッパがつながったことで、ある現象が起きました。 新たに出現した、グローバル経済を最も、効率的に利用したものが勝利を手にした。 戦国時代の日本は。まさに世界史の最前線だったのです。 新たな時代の扉を開いた戦国日本。 私たちは今も、一つにつながった激動の世界に、生きています。

 

教科書で学ぶ歴史では知らなかったことを今回知りました。 傘寿まで生きた買いがあったというものです。 『オランダの貿易船が難破し、最新の大砲や銃弾を家康が手にし、関ヶ原で圧勝。 グローバル経済の先駆者 オランダ東インド会社誕生。 利益追求のオランダと、キリシタンで征服を狙うスペイン。
初の国際通貨の銀貨・大坂の陣、家康は大砲で勝利、代金は銀貨で支払い。
オランダ 植民地争奪戦に勝利したのは、日本からの武器と傭兵のおかげ。』

日本の戦国時代と、銀、オランダと関連していくことに驚きました。
キリシタンが家康に迫害されたのも、こんな訳があったのですか。

(記事投稿日2021/10/08、#582)

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