知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『旭市飯岡は東日本大地震の震源に面していない、しかし襲った大津波は、多要因が重なったケースで、今後も万全の備えが肝要!』

2024-07-18 14:24:30 | 地球・火山・地震・津波
『旭市飯岡は東日本大地震の震源に面していない、しかし襲った大津波は、多要因が重なったケースで、今後も万全の備えが肝要!』

千葉県の銚子市犬吠埼・旭市飯岡刑部岬・いすみ市大東岬位置関係
犬吠岬は千葉県の最東端刑部岬は九十九里海岸(ほぼ中央右)の東北端大東岬は九十九里海岸(ほぼ中央右)の南西端です。

 ウエブ情報から引用

この地図を頭において、京都大学の間肇瀬教授(沿岸災害)による『旭市飯岡の大津波が生まれたメカニズム』と『大津波はなぜ起きた、三つの岬の波紋状の波が反射し、ぶつかり巨大化』が納得できます。

旭市飯岡は、銚子市の犬吠崎の南側に位置し、震源に面していない。 しかし住民の証言や堤防の高さから推定すると、より震源に近い茨城県大洗町(4.9ⅿ)や銚子(2.4ⅿ)より飯岡(7.6ⅿ)(犬吠岬を回った第3波の回析波と、大東岬で反射した第1波が飯岡の沖でぶつかり合成波になった)ほうが高かった。

京大防災研究所の間瀬教授によると、津波は水深が浅くなるにつれて大きくなるため、大洗町のような漁港よりも、砂浜が遠浅の九十九里浜の方が波が大きくなりやすい。 今回はさらに『岬を中心に「回析波」が発生した可能性がある』(間瀬教授)。

震源付近から伝わった波の力は銚子の手前で弱まったとみられるが、岬にぶつかると、岬を中心に円状の波が新たに発生するという。 この回析波が海岸沿いに進む『エッジウエーブ』となり九十九里浜の南端にある大東岬付近で反射。 九十九里の弓状の海を波が行ったり来たりする間にぶつかり、時間をかけて大きくなったのではないか』と間瀬教授は見る。

当初は、シンプルに(犬吠岬を回った第3波の回析波と、大東岬で反射した第1波が飯岡の沖でぶつかり合成波になった)と理解し、稀有のことと早合点していましたが、もっと複雑な要因があったようでした。

さて、足元の関東での地震の心配ですがウエブ情報によれば、
10万人を超える死者が出た関東大震災から9月1日で100年。 関東の南岸で繰り返し起きる海溝型地震の一つ。 当時は近代的な観測網がなく『震源域』『発生頻度』『活動期の有無』の3つ謎が今も残る。 解明が進めば、防災対策の練り直しを迫られる可能性がある。

❶震源域は東に長い?
野島崎海岸隆起の歴史から解かる『繰り返す海溝型地震』;
海溝型地震には、海のプレートと陸のプレートとの間のずれによって生じる地震(プレート間地震)と、海のプレート内部の破壊によって発生する地震(スラブ内地震)があります。

古くは房総半島と離れた島であり野島と呼ばれたが、1703年(元禄16年)の元禄大地震で隆起し、地続きとなったという説がある。 しかし、元禄大地震の7ヶ月後に書かれた法界寺(白浜海洋美術館付近にかつてあった寺院)届書に「野島崎は津波の後に地形が変わった」と記されているため、地震以前から野島崎は存在しており、すでに一部が陸続きであったという説(陸繋島)もある。

❷最短60年で再発も?
研究チームが房総半島の海岸段丘を調べたところ、元禄型の関東地震の発生間隔は数百~数千年とばらつきがあり、従来の定説より短い場合もあった。 大正関東大地震と同規模の地震については、地震調査委員会が2014年の公表の報告で『相模トラフのM8級の発生間隔は180年~590年』とした。 平均と言いながら約400年の幅がある。 

古文書によれば、M8級の地震、寺社に大きな被害の出た1293年の『永仁関東地震』、1495年鎌倉大津波の『明応鎌倉地震』、1703年の『元禄関東地震』は、相模トラフの地震は、ほぼ200年間隔で規則的に起きたことになる 

このように、何を根拠にするかで発生間隔は『ばらつきが大きく絞り込むのは難しい』のが実情のようだ。(首都直下型地震、元禄型関東地震の発生間隔のバラツキ大きいが、横浜市民としては、相模トラフの地震のほぼ200年間隔は不気味です。)

❸地震活動期はある?
関東地震が近づくと、内陸直下地震が増えて『活動期』になり、直後は静寂になるという関係も不明。 1853年の『嘉永小田原地震』では小田原城大破。 その2年後には、江戸で7000人の死者を出す『安政江戸地震』が続いた。 さらに1894年の『明治東京地震』M7級が続き、クライマックスが大正関東地震が発生した。

『元禄関東から大正関東地震までの220年間のうち前半は静穏期、後半は活動期だった』との見方がある。 プレート境界で関東地震が起きると、広域で地殻に加わる力が変化する。 活断層の位置や向きによっては蓄えたひずみを開放して自信を起こしやすくなり、活動期と静穏期が生じるという。

次の大地震の発生確率は『今後30年でほぼ、0~5%」と低いものの、津波や土砂災害などを含めた複合災害になる公算が大きい。 地震学の見地からも『関東大震災と同タイプ地震はまだ先』とは言い切れない。 再点検する時だ。

昔から『地震・雷・火事・親父』と言いますが、やはり、地震(津波)が一番怖いのですが、今、最も恐ろしいのは、地球をどんどん住み難くしている人間と、それに無関心な『俺・僕・私関係ネー』の世情ではないでしょうか。
(記事投稿日:2024/07/18、#760)
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