知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『日本の塔のこと(梅原猛氏は、西洋の塔は「生」だという)さらに』 『日本の塔は、唯一実用性のない建築物で、精神的目標の表れと』

2023-01-03 22:34:04 | 塔・タワー

『日本の塔のこと(梅原猛氏は西洋の塔は「生」だという)さらに

『日本の塔は唯一実用性のない建築物で、精神的目標の表れと』

塔について、驚きと同時に興味を持ったのは、哲学者・梅原猛氏の著書、『塔』でした。

❶1972年・隠された十字架(法隆寺論),

❷1973年・水底の歌(柿本人麻呂論)

に至る過程の思索が、このタイトル『塔』で1970(S.45)から2年間、「芸術新潮」に連載の梅原日本学黎明期のエッセイ集と紹介されていたことを随分後に知りました。

 昔、有楽町にありました、A新聞社記者の友人に、最初に紹介されて読んだ、同氏の本が『隠された十字架(法隆寺論)』、次に勧められたのが『水底の歌(柿本人麻呂論)』でした。 この二冊とも、夢中になって読んだ2-3年後ですが、分厚い本『塔』は出版されました。 もともと日本の『塔(五重塔・三重塔など)』には興味がありましたので楽しみながら読みました。 

 

梅原猛氏の『塔』にはこんな表現があります。 ウエブ情報抜粋・引です 

『塔』、特に層塔、に興味を持ったのは、偶数階はなく、皆奇数階であること。

また、当然ですが、高層ビルが地震で一番大きく揺れる階は、最上階であることですがそれなら、奇数階も偶数階もあっても良いではないかと。 『塔』はインドのサンスクリット語の『stupa 卒塔婆(そとば)』又は、プラークリット語の『thuva 塔婆(とうば)』の略称と言われています。

 

なぜ、三重塔・五重塔・七重塔・九重塔・十一重塔・十三重塔なのか。  層塔で、日本で一番多いのは、三重塔、次いで五重塔、百済大寺には七重塔(現存せず),

   三重塔  93棟(内国宝13棟)

   五重塔  46棟(内国宝11棟)

京都決勝時には九重塔(現存せず)、バリ島のPura Taman Ayunの茅葺十一重塔、十三重塔は、奈良談山神社に現存します

 

奈良県『談山神社』世界で唯一の木造の十三重塔

ウキペデイアより引用

中国の陰陽思想では、奇数を陽、偶数を陰とします。 陽は能動的、陰は受動的働きを表すが、どちらが良い悪いでなく、あくまで陰陽の和合によって宇宙のバランスが保たれると。

 

標題『古代日本 塔の来歴(継承と改革 息づく匠の精神 1)』に戻ります。 

天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気回復を祈り創建した奈良市の薬師寺・ 東塔は730年の完成から、幾度も修理を繰り返したが、全解体は2006年に始まった今回が初めてとなる。 約1300年も持ったことになる。 

 

奈良薬師寺東塔

 ウキペデイアより引用

建物の寿命ですが。現在の戸建て木造住宅の平均耐用年数ですが、日本では約30-40年、米国約40-50年、英国約50-70年と、RC造マンションで、80-120年と言われます。

 出雲大社の遷宮は60年ごととなっています。 遷宮とは、どの神社も一定期間を置いて行われる「建て替え」のことで、本来ならば、神様をお祀りしている社をすべて建て替えて、「原点回帰」をして、御魂に力を取り戻していただくことを指すそうです。

 

 今後『塔』を調べていくために、備忘録に、ウエブ情報を抜粋・引しました。

まず、奈良の薬師寺の東塔の紹介だ。 解体修理が終わったとのことだ。 不同沈下を起こしていた基礎をコンクリートで置き換えたようだ。 そのため1m程かさ上げされた。 JR山崎駅の前に離宮八幡宮があって、そこの柱を受けた岩の名残が置かれていたのを見たが、似たような大きな石だったのだろうか。
奈良時代の塔は国宝で、6層かと思っていたら実は3層で、各層の下に
裳階という庇のような小ぶりな層があるので6層に見えるのだという。ここで先ず感心した。奈良には余り足を向けていない故に知らなかったというわけではない。

宇治の平等院鳳凰堂にもこの裳階が設えてある。 そう言われて、写真を確認すると確かにある。 ここには良く出掛けて見てはいるし、自分もスケッチしていたのだが、余り詳しくは見ていないと云う事を知った。 これも又山崎駅の近くの宝積寺(通称宝寺)にも3重の塔があるが、記憶ではこれも同型のような気がする。奈良盆地には法隆寺と法起寺にも塔があり、3つの塔はともに現存最古の木造の塔だ。』

法隆寺の五重塔は正真正銘の5層だが、最上層は最下層の大きさの約半分だという。それ故に安定して見えるのだろう。高さは薬師寺東塔で34m、法隆寺の方は31.5mで特に巨大というわけでもなく、大官大寺(九重)や東大寺の東西両塔はともに90mと70~100mと高い。 塔の上にある環をストゥーパ(相輪)と呼ぶのだそうだが、実は塔自体よりももっと重要な意味があるという説明だ。 塔は土台の意味しか無いと言うから一寸びっくりだ。

又、日本の塔は2層から上には上ることを想定していない造り(吹き抜け)だという。 知らなかった。 裳階辺りに見える回廊のようなものは、単なる飾りなのだ。 塔を観たときに上りたいと思うことがあったが、上るものでは無く、下から見るものなのだ。

塔の心柱は天から神が降臨してくるときに天と地を結ぶ橋の役目をしているのだという。 なるほどそういうことなのか、かぐや姫は多分この逆を辿ったのかも知れない。 然し、出雲の天孫降臨は、どの塔の柱を使ったのだろうかと、馬鹿げたことを思ってしまう。 更に知らなかった塔として、瓦や石で作った仏塔もあるという。 土塔と呼ばれるこれらの塔の存在すら私は知らなかった。 堺市にある土塔は1辺53m、高さ9m、頂部まで13の階段が設けられた13層だ

行基が建てたと言われているが、この人の名はあちこちで聞くし、東大寺の大仏を初め、多くの寺を建てたことや池、橋なども手がける希有壮大な人のようだ。僧だが実は土木・建築技師という面を持っていたようだ。 恐らく伝承だけのものもあろうが、現在の1級建築士が名義貸しをするような(それの大型版)ものかも知れない 行基らは「福田思想」を行動規範としていた。 福田とは「善行の種を蒔いて功徳の収穫を得る田地」と言ったことだ。 これは利他行に通じる。 今はもう見失った言葉のようだ。

また奈良市にも似たような仏塔はある。 こちらは頭塔と呼ばれているようだ。 何が違うのかと読むと、土塔がなまって頭塔となったようだ。 これは、玄昉の首塚と思われたことからそのように転じたと云う事で、なかなか面白い。(玄昉は聖武天皇の信任が熱かった高僧) この玄昉が政敵だった藤原広嗣の霊にたたられて、5体バラバラにされ、頭がこの地に降ってきてそれを弔ったという言い伝えによるのだという。 なんだか猟奇的で面白いし、後が続いているが、ともあれ先に進む。

同じような塔が岡山県の赤磐市にある。熊山遺跡の山頂にある。が、このような遺跡があることを初めて知った。 割石を3段に積んだ、1辺は8m、高さ3.4mの「龕」(仏像を納める区画)を持つ構造だ。 この塔の源流はどこかと云う事は分からないらしいが、インドネシアのボロブドール遺跡の名前も類似としてあげられていた。

又正規の塔に戻って、大津市石山寺の国宝である多宝塔が挙げられている。堂々とした建築美だが、この塔も実物は見たことがない。 下層は方形、上層は円形の二層構造だ。』 

目新しいついでに、白河上皇が発願したという京都法勝寺の八角九重の塔だ。落雷で焼失したと言うから今は復元図で想像するしかない。 調べてみると京都の動物園の対面にあったようだ。 他を威圧する、高さ81mの塔で、今京都の街に現存していたらどんな風景になっていただろうかと想像しても面白い。

王権の正当性(皇位の象徴)を強調する目的で、高御座の形状を模しているという。塔の初層には密教の最高位の仏、大日如来が安置されていたと言うから権威というものはそういったことかと知る。 最後の浄瑠璃寺の三重塔は木津川市にある。 東大寺に近いようで、ここも訪れたことはない。 この三重塔は高さ約16m薬師如来像を祀っているとのことだ。 極楽浄土をイメージした庭園を有しているとのことだ。 浄土信仰に基づいて、極楽往生を遂げるために現在を願う信仰に基づいている。

 西洋の『塔』、中国の『塔』、日本の『塔』と興味は尽きず、奥の深い課題です。

(記事投稿日:2023.01/03、#616)

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