私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

微妙に侘しい

2010-04-01 | 15雑観
長年背負っていた、軽んずることの出来ない存在を見送った。

少しずつ、色々なことを片づけ、身辺がスッキリしてくるに従って、何だか風通しが良くなって、「侘しい」とでもいった感覚にさいなまれるようになっている。

孤独とか、淋しいとかいう言葉ではピッタリ来ないこの感覚。
何と表現すればよいのだろうか。

本格的おひとりさま人生を肯定的に生きてゆく覚悟が、もうひとつ固まっていないのかもしれない。
実績を積み重ねてゆくしかないのだが、土台を固めるのもなかなか大仕事である。
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今は昔

2010-03-12 | 15雑観
「経済一流、政治三流」なぁんて言っていたのは今は昔のことか。

経済も怪しくなってきて、政治の有り様は口にするのも寒い状況だから、四流も五流もあったものじゃあない。

穏やかで大人しく、争うことをあまりしない国民が、時流を上手く流されて、経済大国だのという名をいただいていたのは、もう過去のことだ。

ぬるい湯に漫然とただ浸かってきたから、危険から身を守る術を皆知らない。

学校の先生も教えてくれなかったし、そんなこと教えないよう、もちろん疑うことさえないようにプログラムされていたのだろう。

財布に余裕のある間に、哲学をもって優秀な政治家を育むべきだった。
知識も、戦略も、行動力もある有能な政治家を。
政治三流と経済の好調に胡坐をかいて、皮肉っぽく嗤っている場合ではなかったのだ。

日本が、日本文化の息づくニッポン人の国だったという事実は、幻になり始めているのかもしれない。

悪代官や、懐を肥やすことばかり考えている悪徳商人は、歴史に名を残すだろうか。
忌み嫌われる悪名を、外国人に読みづらいというひらがなで語りつぐことぐらいはできるだろうか。
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生死はあざなえる縄のごとし

2010-01-21 | 15雑観
父を送ってから、どうも気が落ちている。

実際に「気が落ちる」という状況をまざまざと実感するのは、初めてのことのような気がするのだが、ぼんやりとして冴えがまるで無くなっているのだ。

今日は車を運転中、進行方向の渋滞を避けたくて、右折レーンから直進レーンに進路変更したところ、十分に安全な状況ではあったのだが、対向車線からやってきたパトカーに見とがめられ、進路変更違反ということで1点の減点、6,000円の反則金の支払いを命じられてしまった。

道路交通法違反なんて、十何年振りだろうか。

「あぁ…」とため息しか出ず、更に気が落ちてしまった。

要注意の警告だったのだろうなぁ。

友人の家では、父が亡くなったのと同じ病院で、新たな命の誕生があったという。
人の生と死はあざなえる縄のごとし。

鴨長明の方丈記だったか「かつ消えかつ結びて」と浮かんでくるあたり、私も古い日本人になったもんだ…と思うことである。
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補おうとしている私

2010-01-04 | 15雑観
数年前、自分より少しだけ年齢が上の女性ドクターの話を、継続して聞くことが出来る機会に恵まれていた。

淡々とした語りの中で、時折ぽろりと、とっても個人的な感覚で語られるとりとめのない事柄。
色白で個性的なドクターの飾らないつぶやきを、私は妙に印象的に感じ、心にとどめていたりしたのだが、そのドクターのあるつぶやきを最近ふいに思い出していた。

それは、たしか唐突に語られたのだが
「いつの間にか年を重ね、自分のエネルギーが落ちているなと感じることがあって、そんな時、思いがけずヒョウ柄のシャツを選んでいる自分に気がついたりする」といった内容の話だった。

要するに、減少していっているパワーを、明るい色、パワフルなデザインなどで補おうとしていらっしゃるということなのだが、大人しく話に聞き入ることなく、エネルギーが有り余っている様子の何名かの若者を見ていて感じられたことだったろうか。

最近、同じような感覚に、自分がとらわれていることに気づく。
私の場合は、ヒョウ柄のシャツではなく指輪あたりなのだが。

昨年の後半頃から、まったりメイクやブランド、ジャラジャラ貴金属が苦手な自分が、ゴールドやプラチナの指輪を物色していた。

何でそんな気分になったのか、自分でも不思議だったのだが、どうやら自身の気力・体力の衰えを誤魔化しようもなく、切実に感じ始めたからなのだ。

その衰えを、ツボが集中し、それぞれに古来から意味があるものとして伝えられてきた指に、貴金属を添わせることで補おうとしていた訳だ。
無意識にだったのだけれども。

そうした私を年明け三日間ではっきりと自覚した、寅年の始まりである。
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敵意の源

2009-12-13 | 15雑観
敵意の源は、対象となる人間の、あるいは人間集団について理解できないという感覚にあると思う。

たとえ、互いを敵と認識して戦いを挑むことになっても、相手を知る努力を怠った側は、敗北する道理なのではないだろうか。

昔々、米国が敵国だったころ、我が国は片仮名の言葉を禁じ、そのあらゆる文化をシャットアウトしていた。
しかし、同じころ、米国では或る人類学者が、図書館の書籍だけを頼りに、訪れたこともない極東の島国について、一読に値する文化論を書き上げていた。

ベネディクト女史の「菊と刀」という著書を読んだ時、ニッポンが負けなくてはならなかった理由に辿り着いたような気がしたものだ。

しかし、ニッポン人の私、或る人物や事象を嫌いで仕様がなくなった折には、やはりその対象に関係の深いエリアに立ち入ることを避け、関連のものを排除して、一切をシャットアウトしようとする。

それでは相手に打ち勝てないよなぁ…とは思うのである。

世情もしかり。

不愉快なことであっても、じっと事実を見据えて置くこと。
ひとつひとつの些細な事象もしっかり記憶にとどめ、整理しておき、より正しい判断ができる自分でいたい。

ひどい現実を見据えながら、いつかきっと小さな判断を集結する機会に恵まれるはずなのだから。
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水道水の残留塩素濃度は0.1mg/l以上に保つ

2009-12-04 | 15雑観
「水道水の残留塩素濃度は0.1mg/ℓ以上に保たなくてはならない」と水道法で義務付けられているという。

何故、以下ではなく以上なのか。
その義務付けを知ったころの私は、ひどくおぞましいことのようにその事実を覚えていたのだが、最近「0.1mg/ℓ以上に残留塩素が保たれているはずだ」という事実が、私に安心を与えていてくれることに気がついた。

土中に埋められた何十年も前の水道管の中を、何キロも流れ流れて個々の家庭の蛇口から出てくる水道水。
塩素濃度を保ち、殺菌できる状態を保っておかなくては、それこそ安心して口に出来るものにはならないのだ。

至極当然の理屈だったのであるが、この事実を受け止める私の感覚に、明らかな変化が生じたからこそその基準を頼もしいものとして感じ始めた訳だ。

今や私は、手入れを怠っている浄水器の水の方を、何倍も恐ろしいものと思っている。

変化は、そんな風にある日突然、それとは気づかぬうちに起こっているもののような気がする。

さまざまな人々の心のうちに起こる変化を、誰もとどめることは出来ない。

今は無駄を排除することに躍起になっているご時世だが、それがいつひっくり返るかなんて誰にもわからないのだ。
「あの人の話には無駄がない」という一見ほめ言葉が、いつの間にか「あの人には人間としての厚みがないから話を聞いていても面白くない」ということになったりするのは良くあることだ。

お金がありすぎて脱税もどきの行為をさんざん重ねる人もいれば、本当に食うものに困って法を犯さざるを得ない人もいる。

どちらが多数派だろうか。
自分はどちらに転ぶ可能性が高いか。

とりとめもないことを考えながら、このままでいい筈はないのだ…という意識だけはずっと心の底に流れているような気がする。
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2012年

2009-11-24 | 15雑観
マヤの暦が一巡する2012年で世界が終るとすれば、あと3年の人生設計だ。

あと3年ぐらいの未来であれば、予定を組むこともできそうだが、想定外の未来がその先にしっかり待っている可能性の方がずっと高い。

1999年だったか、ノストラダムスの予言で世界が終るなんて話を漠然と意識していた頃「人生って辛いものだぁ!」って嘆きながら、その予言解釈をお守りのように思い出していた時期があった。

結局、面倒な一つ一つの雑事を片づけて年を重ねるしかなかったけれど。

それと同じような気もするけれど、とかくそうした話に人々が飛びつきたくなるのも、終わりの見えない旅の、ちょっとしたお守りを求めているからなのかもしれないと思う。
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あるおひとりさまの最期

2009-11-21 | 15雑観
その方を、私は直接存じ上げない。

ただ、友人からその方が純正おひとりさまで、お母様を抱えてひとり懸命に生きていらっしゃる方だと聞かされていた。

お母様を故郷からご自身の生活圏に呼び寄せ、そのお世話は施設に委ねて暮らしていらっしゃると。

ところが、ある日突然、その方が亡くなったという報せが届いたのだという。
「ついこの間、元気な姿で話したばかりだったのに…」と、友人はいぶかった。

時間を都合して葬儀に出席してみると、御親族が斎場にいらしたものの、涙にくれる人が見られる訳でもなく、その設えも、まったく飾り気のないもので、淋しい葬儀であったという。

肺炎が死因。
症状が出て一週間もたって病院を受診された時には、既に重篤な状態だったという。
具体的記述を避けるが、現在、社会を騒がせている例の感染症の結果であった。

最期は、病院からの連絡で、しかるべき御親族に託されたのだろう。

しかし、病院という場を経由することがなければ、あるいは幾日も経って…ということもあったのかもしれない。

残されたお母様は、御親族によって、故郷に近い地域の施設に生活の場を移されるという。
その方の存在は、程なく人々の記憶からも消し去られてしまうのだろう。

しかし、私の中では、楔を打ち込まれたようにその方の死が胸に刻まれ、日を経るに従い、ますます鮮明な記憶となって、焦りのような、怒りのような、何とも不可解な感情の芽生えを誘っている。

人生の最期を、誰にも託せない。
唯一、覚悟して背負っている親には、先に逝くとしてもその意は伝えられない。

親族との関係など、敢えて霞のような状態にしてある。
私の最期をそんな関係の彼・彼女らに託さねばならないとしたら…いかにも歯がゆい。

形式だけで送られ、残ったものを分配され、いつの間にか忘れ去られる。
私の場合は多分そんなところだ。

「何としても生き残ってやる」と、余り美しくない想いを基に意を強くするしかなかった。
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切り替えは早く

2009-11-11 | 15雑観
指名手配の容疑者が漸く確保された。

連日のマスコミの報道の成果ではありましょうが、ここから先は、賢明な捜査当局の対応によるべきであって、確保された容疑者をこぞって追いかけて何の意味があるだろうか。

猟奇殺人の様相を呈しているバラバラ殺人も、中年女詐欺師の事件も、市民の耳目を集めることでどれだけの利益がニッポンの社会にあるだろうか。

その場、その場のプロたちによって、的確に処理がなされればそれで良いのだ。

以前のニッポンで、年に一度起こるか起こらないかの犯罪の詳細を知ることで、市民はどれだけの利益を得ているのか。
視聴率は高いのだろうが、市民社会にどれだけの利益があるのか。

確かにニッポンの社会は変化してしまったのだろう。

お行儀よく、従順で、生真面目な国民性も、いつの間にか変貌を遂げているのかもしれない。

ニッポンのドラマはどれもこれも殺人事件を追うストーリーで、それに飽きた諸氏は韓国ドラマにくぎ付けだったりする。

実際、時間帯によっては、いったい今いる国はどこなのか?と疑いたくなるくらいどのチャンネルもハングルで溢れている。

ニッポンはニッポン人の国だと思うのだが、永らく単一民族国家の体裁を保って、ツーといえばカーと答えが返ってきて当然だった社会に、戦国乱世に向かう可能性を開くことも無きしもあらず…といったほころびが、意図的につくられつつあるのかも知れない現実を、もっと注視する必要があるのではないか。

中庸的立場に立ち続け、思想信条からも自由な立場にあったはずの私の胸に兆す、ナショナリズム的な気分をどうすればよいのか。

旧与党の議員さん達にもっと奮起していただきたい。

そりゃあ、壊れるべくして壊れた旧与党だという気がするけれど、再生にかけるチャンスでもあるはずなのだ。
もっとも、比例で議席を確保した現議員さん達より、個人で戦って玉砕してしまった旧議員さん達にこそ可能性を感じるが。

「J党をぶっ壊す」といって本当にぶっ壊してしまった元首相は、現在のニッポンの状況に、何を感じているのだろうか。
今度は、政党ではなく、ニッポンがぶっ壊れる番かもしれないと思うのだが…。

新与党参謀のO議員やY議員は、新人議員さん達のノーマルな感覚を封じ込めて、どこへ連れて行こうとしているのだろう。

与党になってしまえば、旧態依然とした立場に立ち、国民の声など関係なくセンセーがたの想いで突っ走れと言うことなのか?

私の過敏なセンサーが、崩壊の気配を感じとる。
喪失の予感の中で、初めてアイデンティティは確立されるものなのかもしれない。
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昔よく見た夢

2009-10-30 | 15雑観
最近はとんと夢を見なくなったが、若いころは夢を見るのが得意だった。

繰り返し見る夢が幾つかあって、いくつかの光景は今も鮮やかに記憶している。

血気盛んなころ、御多分にもれず飛ぶ夢をみた。

舞台がいささか個性的。

石垣の上に築かれた山城を眼下に、平泳ぎスタイルで空を飛ぶのだ。
彼方で、ほら貝の音が聞こえている。

どうやら戦国乱世の世。
私は空飛ぶ忍者か何からしい。
捕えられることもなく軽快に飛び回る私の陣営は、優勢であったのか劣勢であったのか。
断片的な夢ではあった。

人生で初めての挫折を知って、自らを責める気持ちの強かったころよく見たのは、断頭台に横たわる夢。

こちらの夢は日本ではなく、どうやら中世の西洋が舞台のようだった。

私は明らかに女であって、魔女として捕えられたのか、はたまたマリーアントワネットのように、時代を上手く渡り切れなかった貴族か何かであったのか…これも定かではないのだが、ギャラリーの視線を周囲から感じつつ、人生に幕が下りる時を静かに待つ心境がリアルだった。

生を終える瞬間を見るのではなく、夢に見るのは待つ場面だけ。

そんな、恐ろしく過激な夢を見ることもなくなったが、時々そんな夢を見ていたことを、何の脈絡もなくふいに思い出すことがある。
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