私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

井之頭氏か伊澤氏か

2022-11-20 | 2見る・読む・聴く
テレ東さんは、食に関するドラマを制作するのがお上手だ。
さきがけは「孤独のグルメ」だろうか。

何年か前、年末の夜にBS特番で一気見して、孤独な私のお気に入りドラマとなった。
気が付けは長寿ドラマとなっている。

今年「晩酌の流儀」というドラマを発見する。
主人公は「孤独のグルメ」と対照的。
性別、酒を許容するか否か、扱うのはインポート雑貨か不動産か、出張営業か店舗営業か、家メシか外食か。
合わせ鏡の様で対照的な設定となっている。

出先でお食事処を探す井之頭氏よりも、家で晩酌の為の料理を手作りする美幸氏の方に親近感を覚える。
街の飲食店紹介よりも、主人公の生活に重きを置いているから。

料理指導は行きつけのスーパー「ツルマート」の店員役を演じているロバート馬場さんがしておられるようだ。

コロナ禍で生活スタイルの一変した世の中には「晩酌の流儀」がよりフィットするかもしれない。

私は晩酌しないが、家で晩飯づくりに注ぎ込むエネルギーと一途さには、圧倒的に好感が持てる。
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大人を気遣う子供

2022-10-08 | 2見る・読む・聴く
今朝、NHKの朝ドラ「舞いあがれ」をBSで一気見した。
連続テレビ小説を見るのは久しぶりの事であったが、すぐに発熱する舞ちゃんの様子に1週間分を見続けた。

舞ちゃんは大人を気遣う子供だ。
愛ある父と母の下に暮らしながら、大人に忖度して暮らしている。
その気遣いが彼女を知らず知らず縛り、ストレスとなっている様子だ。

私も周囲の大人に遠慮して育った子供であった。
私の周囲の大人には大いに問題があったのであるが、子供の私は周りの大人の問題には気付くことなく、ひたすら自分を追い込み、家に帰ると蕁麻疹が日常的に出ていた訳だ。

親戚の伯母さんや従弟たちと外食する機会があって「何を食べる?」と聞かれても、忖度する子供の私は自分が何が食べたいかではなく、何を食べるのが正解なのかを探っていた。外食の機会は少なく、正解は思いつかない。
それで「何でもいいよ」と返事すると、伯母は「そんな返事はよくない。自分が何を食べたいのかはっきり言う事ができないといけないよ。」と諭した。
結局何を頼んだのか覚えていないのだけれど、そんな事を言われたのは初めての経験で、あまり親密ではなかった伯母との唯一心に響いたやり取りであった。

そんな記憶を呼び覚ます「舞いあがれ」であったが、折も折、すっかりおばさんになった今の私も、原因不明の発熱に悩まされている。
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「消滅集落の家族」を見ながら

2022-09-04 | 2見る・読む・聴く
NHKのETV特集で「消滅集落の家族」というドキュメンタリーを見た。
自給自足を試み移住した消滅集落で、家族ができ、生活を築き生きる過程において、支えとなり喜びを与えてくれる家族の為に、自給自足だけでなく社会と関わる事が必要となる。
家族と生活を守り育むため、お父さんは夢と現実との狭間で、思い悩む事が増えるのだが、頑張ってほしいとしみじみ思わずにはいられないドキュメンタリーだった。

素敵に育っている小学生のお嬢ちゃんが、鴨居から居室を見守っている釜神様のお面をみて「悪いことをしている時には釜神様の顔が怖い顔に見え、そうでない時には笑って見える」と言う。

私も、自身の行いが自然でない時には息苦しく、精一杯やった結果だと自認する時には、堂々としている事が出来る。

見送った家族について、もっと優しい態度と言葉で接する事が出来たかもしれない…と思う事が時にあるけれども、結局、彼、彼女らとの人間関係においては、私のとりうる精一杯の対応をしてきたと思っている。
精一杯の態度で臨んだ。悔やむ事はない。
私の釜神様は、静かに微笑んでくれている気がする。
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今日は誰とも話していない

2022-08-13 | 2見る・読む・聴く
コロナ禍、おひとり様は一人家に閉じこもる。
外での仕事を辞めてからは、いよいよ没交渉となり、誰とも会話せぬまま一日を終える事も珍しくない。

「あぁ、今日は一日誰とも話していない」と思い、気まぐれにググってみると、出てきたのが「1日誰とも話さなくても大丈夫」というご本。
取り寄せてさらりと読み終え、精神科医が書いておられる本であるのに、優しいタッチのすこぶる共感性が高い内容であった。

発見や忘れないでおこうと思った箇所が複数ある。
ピックアップしたいが、ネタバレになってしまうのでやめておく。
上から目線でなく、我々と同じ高さの目線から語りかけてくださる、とてもとても優しい一冊であった。
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世代を感じるとき

2022-08-11 | 2見る・読む・聴く
最近、テレビを見ていて、自分が古びた事を切実に感じることが多い。

好きな俳優さんが出ているドラマであっても、切り口が斬新過ぎてついてゆけない。
第1回目を見て、第2回目以降は録画しておくのだが、何週間も放置し、一向に次週のストーリーを確認しないのだ。

再生しないまま録画はHDにたまり、そのドラマ録画が容量をとっているばかりで、ディスクに移行する事もないので、結局、ある時意を決して未再生のまま消去する。
気が進まない。表現を変えて言うならば、今どきのコンセプトについていけてないのだと思う。

古いドラマであっても、お気に入りのドラマについては、再放送であっても、ストーリーを熟知していても、何度でも視聴するのだから。
つまり、私はもう現役世代でなくなっているのだろう。
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社会の変化

2019-09-01 | 2見る・読む・聴く
ホームドラマが減った。

楽しい家族の話がテーマだったり、家族間の衝突がテーマだったり、昔の社会のベースはやはり家族だったのだと思うが、最近のドラマは、個の葛藤や成長をテーマにしたものが多い。
家族は、個にとってトラウマだったり、重い足かせや縛りだったりする。

ドラマ「凪のお暇」などは、今の私にとって大変面白いものだと感じられる。
私は、家族ドラマの世代だけれども、「凪のお暇」の方がずっと切実に感じられ、共感できるテーマだったりする。

家族社会に疲弊したのだな、日本人は…と思う。
そうして世の中には孤独な人が恐ろしく増えている。

家族を持たなかったり、家族が壊れていたり、家族をブロックしていたり。

私は孤独だけれども、家族と一緒にいるときの方がよほど強い孤独感に苛まれていた。
ポツンと一人になってみると、それは一人ぼっちなのだから淋しくあるけれども、追い込まれ責めさいなまれるような孤独感からは逃れることが出来ている。

人間は複雑な生き物だ。
数式のように、きれいな論理の枠に整理されることはない。

命終わるその瞬間まで、煩悩に苦しむものであるそうだ。
小さな小さな命であるのだから、ささやかな痛みとともにピリオドを打ちたいものだが、そういう訳にもいかないらしい。
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恐ろしいIT時代

2019-05-20 | 2見る・読む・聴く
IT時代だ。
知りたくないことを知り、知られたくないことがいつの間にか知れ渡る。

息苦しい村社会では有り得無い、出会いや人間関係の展開もあるだろうけれど。

SNSデータで、もう交流はないけれど、ずっとデータ共有されていた方との接続が消し去られ、年齢的なものあるし、不自由なお体になられたか、あるいは亡くなられたかと想像する。
それを、突き詰めて確認する事はない。
緩く薄く、しかし、広く長く接続される社会だ。

先日、ふとある方の消息を確認したくて、インターネット上でその方のお名前で検索をかけた。
大変珍しいお名前で、その方しか検索にかかることはない。
しかし、結果が表示された画面で、思いがけないニュースに、その方の名前があるのを目にする事となった。

超がつくほど真面目で、素朴で、一直線なその方は、違法行為とは対極で生きていた人だった。
しかし、幾つもピックアップされ、事件を報じたインターネットニュースの記事に、その名前は間違いなくあった。
年齢も、居住地も、その方と特定される情報と違わない。

「冗談でしょう」とその記事を幾つも読み重ねるが、その方の行為について書かれているに相違ない。
もう、10年ばかり経過しているのに、相変わらずネット上でその過去がさらされている。

そして、超真面目なその人を知るだけの私にも、「魔が差した」としか思えないその方の行為を知らしめてしまう社会がある。

「忘れられる権利」というのは、正にこうした事を想定して必要とされるものなのだ。

ここ数年で遭遇した、最もショックな出来事だった。

朴訥なその方が、その人となりを知る人達と、変わらず安定した生活を営んでおられる事を祈る。

そして、窮屈な村社会とはまた違う、恐ろしい社会が出来上がっていることを実感した。
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思考を触発する映画とドラマ(2)

2019-02-02 | 2見る・読む・聴く
「家売る女の逆襲」は「家売る女」の第二シーズンだが、待ちにまった番組だ。
ある種ロボットのような孤独な女が、シャープな頭脳で、家を売ることを通じ、人生で迷子になりそうな人達にポジティブに生きる道案内をする。

第二シーズンのテーマは、経済成長期を終えた日本の超高齢社会で生きる孤独な人達。
私も、自分の人生を三軒家女史に分析してもらい、より良き人生設計をしてみてほしいものだとさえ思う。

「モンローが死んだ日」は、小池真理子原作のドラマ。
予想した通りの展開があり、私にとってはいささか甘過ぎるエンディングが用意されてあったが、原作は果たしてどういう結末だろうか。

鈴木京香が用意した食事をトレーに配膳し、一人静かに食べる姿は身につまされる。
孤独な人生は、個食に象徴される。

生きる事は、淋しく厳しい。
けれども誰の生命も、最後のその時まで丁寧に生きられるべきだ。
中学生の時も高校生の時も、苦しい息で持久走を走りながら、それでも走り続ければ必ずゴールに辿りつけると思って走り通した。
生きる事は、持久走ににていると最近は感じる。

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思考を触発する映画とドラマ(1)

2019-01-27 | 2見る・読む・聴く
限られた安心な人たちとだけの淡白な交流では、安全を確保されるが、新たな視点を得るチャンスはない。

近頃、思考の端緒となるのは、ドラマや映画であることが多い。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」
TBSドラマ「家売る女の逆襲」
NHK-BSプレミアムドラマ「モンローが死んだ日」

私の日常にはないドラマのストーリーに発見がある。

先日漸く観てきた「ボヘミアン・ラプソディ」は、見終えた人たちが、皆高揚した感じで映画館を出てくるのが印象的だった。
先に観てきたというドライな友人も、最後は泣けて仕方なかったと言う。

若いころロックに縁はなかった私。
友人もそうだったはずだ。
何故泣けるのか?
興味半分、おっかなびっくり映画館に足を運んだ。

ロングラン上映。
観客層は安定している。
いくらか不安になりながら見続けるうちに高揚感を覚え、いつしか涙がほろほろ溢れ出す。

涙をぬぐいながら、何故泣けるのかを考える。
共通項は見当たらない。
私はLGBTに該当しないし、華やかなロックンローラーとの接点もない。

しかし、涙が溢れ出すのは、やはり共感できる何かしらがあるからなのだ。
何故なんだろう…と思考を重ね、あーでもない、こーでもないとこねくりかえす。

そうしてたどり着いた結論は、ありのままの自分をそのまま自然に表現し、それを受け止めてくれる良き人たちと生きる喜びが描かれていたからという事。
そこに至る過程で多くの犠牲を伴ったけれども、主人公にとって幸せな生活にたどり着いたことが涙を誘うのだと。
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旅猫リポート

2018-11-14 | 2見る・読む・聴く
ずっと気になりながら、ようやく今日見てきた。

私以上に猫好きな友人は、観に行くことを嫌がった。
猫の悲しいストーリーが想像されて、センチメンタルになるのを避けたかったからだそうだ。

しかし、登場する猫は、大変よくできた賢い子であって、本当に哀しかったのは主人公の青年の方だった。
純粋な少年のままの心を持つ主人公の好青年。
その人生を、飼い猫のナナがリポートするストーリー。

随所で、涙があふれる。
泣くことになると、予想はしていたのだけれど。
優しい人たちに出会いながらも、哀しい青年の人生だった。

悲しくて哀しくて、泣きはらした目で運転しながら帰宅した。

眠りについて途中で目覚め、暗闇で目を凝らし、やっぱり哀しい。
首に、妙な痛みさえある。
いつものように、再び眠りにつくことは出来ず、パソコンを立ち上げてこれを書き始めた。

哀しい不幸な青年の人生は、しかし、温かい人たちと猫との出会いに恵まれて幸せでもあったと、大いに矛盾したことしか書けないのだけれど。

人生とは、矛盾にあふれたものなのかもしれない。
いや、矛盾に満ちたものこそ、人生だろうか。
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