私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

人生も博打?3

2013-07-15 | 6悩む
人生も博打なのかもしれないと思いつつ、この夏決断しようと思っていた案件がある。

自身の長生きリスクに備えて、余りにお寒い年金額をいくらか補強しようと、近頃盛んに宣伝されている「国民年金基金」に加入しようかどうか思案していたのだ。

来年からの増税を前に、この「国民年金基金」の掛け金が全額所得控除になるという点は確かに魅力。

しかし、この金融商品(金融商品と言っていいと思う)、魅力はこの一点だけで、後は不確定要素の山なのだ。

財務諸表上は随分な赤字とみえる。
物価スライド制はとられていない。
基金が破たんしても、国は補償してくれるわけではなく、そんな時は給付の減額がありうると明記してある。

超低金利の現在が環境のベースであるので、運用利息は固定で低利。
強烈なインフレがやってくると、ひとたまりもなく時代にのまれてしまう。

緩やかなインフレが実現され、世の中の金利が低利のまま維持されて初めてお得感の感じられる商品なのだ。
しかも、減額はできても解約は原則不可。
全額所得控除の飴をにらみつつ、不確定要素が多すぎることに躊躇せずにはいられない。

ほぼ最終コーナーにある私は、夏までにはと思いながら、結局未だ決断できないのである。
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人生も博打?2

2013-07-08 | 6悩む
天変地異。
世界情勢。
健康。
個人の財政。
経済動向。

あらがえぬ大きな要因によって人は翻弄される。

私の小さな脳が講じた対策で、私のいつまで続くかわからない人生を安泰なものに出来るなどと思ってはいないが、それでも自分の始末は自分の美学の下によりよくつけたいと願って「あーでもない、こーでもない」と様々に未来予測をこねくり回しながら、よりよい環境を整えたいと思うのだ。

予測不能な時間軸。
「自分の命があと何年」というベースが最も不確定であるのだから、何とも悩ましい。

…てなことを考えていると、堅く生きているつもりでも、人生そのものがそもそも博打であるような気がしてくる。

絶対なんて存在しない。

安心や安全をうたうあらゆる商品やサービスに疑いを抱き、安寧を欠く。
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人生も博打?1

2013-07-07 | 6悩む
年長者の介護に追われている頃は考えていた。
「後何年」とゴールの見える子育てに比べ、介護は「いつまで」と終わりが設定できないから大変だと。

そもそも介護のゴールは、哀しむべき出来事とリンクするものであるからして、望むべきものでもない。

それ故、そこに生じる苦しみは、底なしを呈する。

しかし、今、守るべきものも育まなくてはならないものもない、お気楽な身の上になってみても、やはり人生は先の見えぬものだと思い知る。

あと何年自分の人生があるか、人は通常知ることなく生きなくてはならないのだから。

計画経済なんて概念が崩壊して久しいが、人生計画なんてのも、壊れ、綻ぶことを大前提に語られるべきものなのだ。

それは明日、突然ピリオドが打たれるものかもしれないし、「長生きリスク」なんて怖ろしい言葉を背負って、歩いたことのない道を進み続けなければならないかもしれないのだから。
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