私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

ふるさと納税

2010-05-28 | 5考える
宮崎県にふるさと納税をした。

ネット上で納税したい旨の申請書フォームを打ち出し、ファックスして納付書を送ってもらい、銀行へ出向いて納税するという、実にまどろっこしい手順をあえてとった。

それでも、ファックス申請から納税を終えるまでに一週間かからなかった。

お役所とやり取りして、案件が完了するまでに長い期間がかかるのに慣れっこになっているこの頃なので、そのスピーディさに呆気なささえ覚えた。

お役所にしてみれば、納税する気持ちの変わらないうちにってことだろうか。

遠方から嫁がれた友人に聞いた話だが、相続で引き継いだ故郷の不動産を、自治体に寄付するという決断をなさった折、○○百キロ離れた故郷の自治体から、手続きの為に担当職員の方が出張してみえたという。

お役所に納税するということは、そういうことなのだなぁと思った。

まぁ私のふるさと納税など、ほんのわずかな額だから比較にはならないのだが。

和牛ステーキをこよなく愛する私のささやかな気持に応えるべく、ふるさと納税には「○○に使ってください」と使途を明記する欄が設けてある。

「口蹄疫対策にあてて下さい」と指定することができるのだ。

ふるさと納税だけでなく、一般の税金においても納税時一筆書くことが許されると良い。
その統計をきちんととれば、納税者の意思が明確になるではないか。

税の使い方こそが政治だと思うから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島国

2010-05-22 | 10住む・暮らす
今年も新型インフルエンザの集団感染が確認されたそうだ。

口蹄疫の拡大を許した今のニッポンでは、新型インフルエンザにも太刀打ちできないだろう。

地中海の島国ギリシャの破綻の波が、大波となって極東のニッポンに襲いかかる。

恐ろしい時代に生きている。

そんなこんなをとらえては、江戸時代の300年間、ニッポンは鎖国していたのだという歴史を思い出す。

閉じた状態で、政治も文化一様に保たれていた時代があったという事実。
島国はやはり豊かだったのだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和牛ステーキ

2010-05-19 | 1食べる
昨夜の我が家の晩ご飯は和牛ステーキだった。

近所のスーパーには、時折霜降りのいい感じの和牛ステーキ肉が手ごろな値段で並ぶのだが、昨夕もそうだった。

家のフライパンで、ごくごく普通に焼いて食べる。
柔らかい肉質の美味しいステーキだった。
多分、口蹄疫の影響で、食肉の流通にも影響が出始めているのだろうと思いつつ、美味しくいただいた。

頂いたのち、漸くちらほらと報じられ始めた口蹄疫のニュースをテレビやネットでチェックする。

酷い。

いくらパッとしなくても、国は国民の利益を守る為に動いてくれるものだと思っていたのだが、結局、何も期待してはいけないのだ。

政治主導とかで、偏差値の高いソツない対応を知る御役人たちは動きを封じられている。

御奉行が御留守で指示が無いと動けないという訳だ。

指揮官が鈍感だと、いくらソツなく危機対応してきた部隊もただの集団。
陣営を組んでも、もう勝敗は決している。

危機対応は崩壊。
間違いなく「時の盗人」がはびこっている状況だ。
信じがたい対応ばかり目にする、耳にする。

モーレツに腹が立ってきた。

「まつりごと」はつまるところ金の使い方だと思うのだが、納税した国民の為にではなく、大借金を抱えながら友だ愛だと外国の方々に献上なさったり、鳩に餌をやるように無闇にばらまいていたのでは、霧は深くなるばかり。

何故?
どうしてこんなことに成ったのか。
私の納めた税金は、私の意に反することなく使って頂きたいという願いは、およそ聞き届けられず、理解しがたい感覚の持ち主達によって深い闇に吸い込まれてゆく。

何年か前に創設された「ふるさと納税」。
「こうして使って下さい」と言って寄付すれば、まずその通りに使っていただける。

宮崎県に「ふるさと納税」をさせていただこう。

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/furusato/

血税が、きちんと危機に使われないのであれば「口蹄疫の危機に対応して」とはっきり明記して、直接危機ある地に納税しよう。

こんな政治状況の片棒を担いでしまった、私の哀しい一票の罪滅ぼしだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三年寝太郎

2010-05-18 | 5考える
今朝の日経コラムに「三年寝太郎」の話が引き合いに出されていた。

「寝太郎」を引きながら、やって欲しくも無いことばかりつつきまわし、挙句やるべきことをほったらかしの政権を「時の盗人」と強く批判している。

「そうだわね、確かにね」と思うのだが、引き合いに出された「三年寝太郎」は昔から私が愛してやまない昔話の主人公である。

ぐうたらで、怠け者の「寝太郎」が、何の努力もなく夢をきっかけに出世するというお話で、勤勉・誠実・正直を語り継ぎたい昔話の中にあって、異色のストーリーだ。

決して文部科学省推奨のお話とはならず、日経の記者さんも「何がいいたいのか」と好意的ではない。

日経の記事が引いた民話では「寝太郎」はただの怠け者であるばかりか、インチキと騙しの悪人でさえあるという内容らしい。
善人から巻き上げる悪人はちょっとぉ…とは思うのだが。

山口の民話だったと思う。
山口の道の駅などで「寝太郎」という地酒を見つけると、いつも買おうかどうしようかしばしば悩む(酒に弱いので結局買わないのだが)。
萩のある山陰側ではなく、山陽側が民話の舞台だからだろうか、維新の原動力となったかの地が「寝太郎」を語り継いだのも不思議な気がする。

「寝太郎」のようなヒーローは、時代が豊かであってこそ許される存在だろう。
少しずつ世の中が窮屈でゆとりを失ってゆくと、かの「寝太郎」タイプの存在は許容されない。

地中海の恵みに育まれたギリシャでは、5人に1人が公務員だとか。
今時「パソコン操作手当」なんてものが支給され、年金は現役時代の9割が保障されていたという。
国家が破綻状態で、それが7割になるといって大規模なデモにつながっている。

リストラ効果あって黒字続出決算のニッポン企業では、リストラの為に給与の3割カットなんて話はもう十数年来あちこちで耳にしてきた。

エリートを集めた形の国家公務員の給与が、地方公務員のそれよりずっと低く抑えられているのはもう二十年も前からの話だと記憶している。

粉飾決算?でEU入りしたギリシャのつけを、堅実財政のドイツなどが肩代わりしたくないと言っているのは良く分かる。

生き方は、お金の使い方にあるという表現は誤っていないと思う。

理想は、大胆かつ繊細・緻密に。

日本の国の中にギリシャ型とドイツ型があって、そのどちらが多数派となりうるか。
ギリシャ型であっても未来はないので、早急にドイツ型の勢力を固めるべきだろうけれど、そうなってくると「寝太郎」は禁書となるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食欲急上昇中

2010-05-15 | 1食べる
なぜだろう、最近とかく食欲旺盛で困りものだ。
炭水化物大好き人間なので、ご飯、パン、麺類と形態を問わずいくらでも食べられる。

経絡経穴の中脘という位置にポツンと大きな湿疹まで出来た。
中脘は、胃の代表経穴である。

なぜだろう…ではない。
ストレスという実はスルーしたい分野をスルー出来ないときに発生する心理的負担がドッカンと存在感を増している所為だ。

ここは心の要求するまま際限なく食べるべきか、体の健全性を保つためグッとこらえるべきか。

常に右か左か迷いつつ、野菜高騰の折だというのに食前サラダの量が意図的に増えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信じられないよ

2010-05-14 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
近頃は、テレビを見ていても腹立たしいニュースばかりで、きちんとテレビを見ることが無くなっているのだが、子守歌代わりの深夜の再放送枠で、久々に興味深いエピソードを仕入れた。

NHKの生きている日本語を考察する、雑学系教養番組だったが、日本人の学者で米国の大学で研究されている?ドクターの研究内容。

日本の歴代総理大臣の演説の語尾で、総理たる政治家の国民に対する立ち位置の変化が見て取れるというものだった。

簡単にピックアップしてみると


吉 ◎  茂氏 → 「○○である!」とかなり高い位置からのご発言

田中 ◎栄氏 → 「○○であります!」といくらか腰を低くなさった様子

小◎純一郎氏 → 「○○です」と対等な位置に下りられたか

◎山由△夫氏 → 「○○させていただきます」と国民より低位置から謙譲調

といった具合のデータであったと記憶する。


言葉の調子だけはどんどん高飛車なところから丁寧に頭をたれる姿勢に変化していっていると思うのだが、本当のところはどうだろう。

本当に国民目線に立って、国を守る責任と誇りから国政にあたっておられるか。

うわべだけ取り繕っても、そこに全く別の事実が透けて見えて、決して真摯な心はないと知れた時、語れば語るほど言葉は上滑りし空回りする車輪のようだと思う。

大番頭さんが
「国民には信じていただける」とか何とかおっしゃっていたが、いやぁ、到底信じられない。
だって、すっかり化粧が落ちているもの。
見えてくる素顔は、一体貴方様はどこのどなたなの?といった風。

場の空気を読めない人のことを賢くない人と言うのだと思うが、権力を握った方々が世の中の空気を読めないと、行く先は国もろとも破滅以外にないから恐ろしい。

一昔前までは、大番頭さんのことを世渡り下手な心のある御方…と思っていた私からしてこうなのだから。
裸の王様とはまさしく貴方様のことですわな。

信じられないよ、もう幻滅してしまったから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老いるということ

2010-05-12 | 3老いる
いよいよ逃れ得なくなって、先延ばしにしていた鬼門の整理に手をつけた。

早朝、ラッシュに逆行して郊外へ出向き、埃とアレルゲンにまみれた古屋のなかでひたすら作業する。

1~2時間が限度なので、お昼は外でおうどん定食…なんてお手軽でメタボ志向の食事が続いているのだが、今日はそのおうどん屋さんでちょっとした事件に遭遇した。

商売上手なそのおうどん屋さんの駐車場は、お昼になると常にかなりの混雑となる。

車を誘導してくれる熟練のおじさんがいつも2~3人いて、その指示に従えば間違えはないのだが、私の前に駐車場に入った軽ワゴンの爺様が、頭から駐車場隅の物置スペースにつっこみ「ガシャン、ギギギッ」と強烈な音を立てた。

普通であれば運転席から飛び出して、状況を確認するのだと思うのだが、「ギィギィ」音を響かせつつ後退して、そのまま駐車枠に入れ込もうとしている。

停止位置も怪しく、整理員のおじさんがとんでくる。

物置の扉と柱、それに爺様のワゴン車もしたたか傷ついているが、爺様は耳が遠いのかまるで慌てた風がない。

泰然と下車して、辺りの騒然とした様子に動じることなく漸く事態を確認する。

頭の具合から70代の爺様と思われるが、痩せた長身にジーンズジャケットを羽織り、大きなトートバックを肩にかけていて、昔のモダンボーイ風。

特異だったのは、その顔が無表情であること。
爺様は終始無言で、チラリともその顔に感情が現れることは無い。

「何だか変だよね」と思いつつ、私はその場をやり過ごして先に店舗に入ったのだが、程なく件の爺様が無表情のまま私の斜め前の席につき、平然とうどん定食を注文し、坦々と食べ始めた。

とにかく、無表情なのだ。
動揺も、戸惑いも全くうかがえない。

ちらちらと爺様の様子をうかがったが、とうとうその顔に感情らしきものを読み取ることは出来なかった。

老いるとはこういうことか。
私の父だったらもっとうろたえたろうな…と思いつつ、とてもとても太刀打ちできないタイプを久々に見つけたと感じたのだった。

…それにしても、破損の手当てはどうつけることになったのだろう。
老舗うどん屋の対応が少なからず気になる。

そして何よりも、高齢者ドライバー恐ろし…としみじみ感じたのだった。
大きな事故をあの爺様引き起こさなければよいのだが。
無表情なドライバーの安全意識は、きっと低いはずだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島にかかる橋を行く②

2010-05-08 | 14楽しむ
そもそも島というところは、豊かな環境に置かれているのかもしれぬ。
特に瀬戸内の島々は、豊かな恵みをもたらす穏やかな海と、降り注ぐ太陽の光によって大いなる自然の恵みを得ることが容易だ。

闘ったり競ったりする必要も少なく、のんびり過ごすことが出来る環境下で、人々の表情は穏やか。自由な行動も島のルールを守っていれば容認される。

何代にも渡って素生のわかった人たちの、しっかりとした繋がりがあって、円滑に物事が運んでいる間は非常に住みやすい環境であるだろう。

そこに巨費が投入され、道路が整備され、橋がかかる。
橋を架ける場合、その下を航行する船のことを考えて、始点も終点も山腹である必要があるのだそうだ。
かくして、橋を架けるには山を削り、立派な山道やトンネルを整備する必要が生じる。

素生のしれない人々が流れ込み、そこここを車で走り抜け、多くのゴミを残してゆく。
多少の金銭も残してはゆくだろうが、プラスマイナスしてみて得るものはどれ程だろうか。

懐の豊かな時代でなければ、費用対効果の考え方からプラスの想定し難い架橋計画は成り立ち得なかったろう。

個人的には、ものをつくる仕事に憧れがあり、青い海にかかる橋を造るというプロジェクトは大好きなのだけれども、懐に冷たい風が吹き込むようになっては、想定することさえできない事業である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島にかかる橋を行く①

2010-05-07 | 14楽しむ
GW、この春乗り換えたT社のコンパクトカーで、走り初めとなる長距離ドライブを何度か楽しんだ。

いわゆる1,000円高速の恩恵は全く受けず、選んだコースもマイナーなものばかりだったようで、渋滞にかかることも無く、その幸運を喜びながら、多数派になれない自分を再認識した。

安芸灘の四つの島と本州を結ぶ四つの橋。
青い海と、瑞々しい新緑を背景に、海にかかる橋は、どれもみな美しかった。

島を、其々みな海岸線に沿って一周してみる。
漁港に停泊する船や釣り糸と垂れる人たち。きらきらと眩しい海に面した段々畑。
のんびりとした島の生活がうかがえる。

穏やかな午後、漁港には20名余りのお年寄りが海岸に面したベンチに腰掛け、やわらかな面持ちで各々海を眺めておられた。
沢山の御老人が会する情景は、老人施設などの催事で目にするが、そこには何の行事も無く、ただ自由に御自分達の意思で集まっておられる様子の御老人達だった。
背景がコンクリートの施設などではなく、海であり山であり、おそらく御老人方が生まれ育たれた故郷の自然だ。

まだ架橋計画は未完成。
連絡橋を得た島の人々の生活は豊かになったのだろうか。
プラスとマイナスのどちらが多いと感じておられるだろうか。

橋が一つ増える度、観光客は増えているだろうが、計画上未完成の現在、終点は四つ目の島であって、まだ通過点となる状態にはない。
其々の島を巡ってみると、設営されたどの集客施設も、観光客をもう一つ上手くさばけていない様子がみえた。

観光客の数が一定しない為もあるだろうが、そもそも島で働く人が少ない。
一年の内何日かある観光ピーク日の終盤、施設で業務にあたる人々の顔には疲労の色が濃くうかがえた。

人手が十分ではなく、競争もない訳で、サービスの質も自ずと低くなる。
浴場の溝を素手で掃除していた女性が、10分後には同じシャツでソフトクリームをつくっていたりする。
愕然とするが、とにかく人がいないのは明らかなので文句のつけようもない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする