私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

編集する?編集しない?

2019-04-18 | 5考える
マツコデラックスさんがMCを務める番組を時々見る。
最近増えすぎているような気もするが、切り口が独特で、基本的には常識があってお行儀良い点に安心感を覚える。

先日、録画で見た番組では、お茶碗に思い入れの深い方が出演されていた。
良い印象をもって見始めたのだが、「スベラカ」とおっしゃる。
どうやら「滑らか(なめらか)」を「スベラカ」とおっしゃっているのだ。
嫌だなと感じたが、繰り返し繰り返し「スベラカ」という言葉が発せられる。
誰も訂正しない。編集もない。そして、それは幾度も繰り返される。
もう、先を見続ける気にならなかった。

昔、ある講座で講師の先生が「キジャク」という言葉を好んで説明に使用された。
違和感を覚えたが、お気に入りフレーズのようで「キジャク」と繰り返される。
どうやら「脆弱(ぜいじゃく)」という言葉を、誤って認識しておられたようだ。
相手は講師のお立場で、誰も指摘することはできない。
しかし、講座は一度では終わらず、その誤りを繰り返し聞かされる事になった。
すっかり熱意を失い、冷めた思いで講座に出席することになった。

素早く、お相手のプライドを傷つけず、うまく編集して差し上げることは出来ないものか。

我がお気に入りの時代劇ドラマ。
華やかで、リズムがあり、しっかり作られているドラマがある。
そもそも昔の時代劇には、色香が過剰で今では不快に感じるものも多いのだが、このお気に入りの時代劇の最近の再放送で編集が行われている。

気のいい役者の男が、性的被害にあってしまう場面。
LGBTについての認識が、ほんの少し前の時代までわが国では大変緩かった。
戦国時代に男色はある種の文化としてあったし、やはり男社会の認識が時代劇には強いのだが、その苦笑いを誘う場面はもう今の時代には受け入れられなくなったという事だ。
「あれは冷たいし酷いな」と感じながら、非常に印象的な場面であった箇所がカットされ、受け入れられやすい場面を加えた編集が施されていた。
時代の流れを感じながら、問題化する事を避けるため編集せざるを得ないケース。

娯楽文化の表現は、善悪やモラルに縛られると幅がなくなり面白味を欠くだろうに、致し方ないのだろうか。

編集の可否を考えるこの頃である。
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孤食

2019-04-10 | 1食べる
最近、訃報に接する事が度重なる。
淋しい死が多い。

ひっそりとだったり、あれこれと死に至る経過を刻々と報せておられたり、様々な在り様だが。
沢山の人に囲まれていても、心の内の孤独が容易に推し量られて切ない。

かくいう私も、周りに家族がいた時の方が、孤独感は深かった。

孤独を殊更に感じるのは、一人自宅で食事を摂る時だ。
バランスを考えたメニューを設定し、きちんと食卓を整えても、一人箸を運ぶ時、つくづく「一人ぼっちだな」と感じる。

連れ合いさんを送られ、今は残されて、一人で夕飯を食べておられるある方の姿を想像すると、心が震えてくる。

一人で食事する淋しさを、何人かで集まって解消すれば良いではないか…という話だが、時間、相性、費用と様々な側面からスムーズな調和を考えた時、これが案外難しい。
小さな単位で声かけあってみても、双方ともにそれを望んでいるかどうかは判別し難い。

本当の心情を、日本人はなかなかオープンに表現しないから。
やりとりしながら、窮屈になったり、却ってストレスを背負い込む事になってしまったり。

懐具合はみんな異なる訳で、付き合い加減が思いのほか負担になることもある。
孤食の解消は難しく、孤独感から抜け出すのは容易でない。
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