私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

大根役者はいい役者だって!?

2012-11-29 | 2見る・読む・聴く
「大根役者」は、ズバリ!「下手な役者」のことであって、「大根役者」がいい役者だなんてそんな話は聞いたことが無い。


しかし、先日の「ほんまでっかTV」で明石家さんま氏が力説しておられた。
「大根役者」はどんな風にも味付けされるよい役者!?だと。

「ほんまでっかTV」は、実によく出来た教養番組だと思っていたのだが、かの「大根役者はよい役者?」について訂正テロップさえ流れなかった。

弁舌さわやかな偉い先生方が幾人もおられたのに、どの先生もさんま氏の誤りを指摘なさらない。

放送まで十分時間があっただろうに、フジテレビサイドの編集・カットもない。

誰かに誤りを吹き込まれ、さんま氏はそれをずっと信じて来られているのだろうが、教養番組ではあり得ない誤釈をそのまま流しっぱなし…っていうのは。

知識人の先生方がエンターテーメントの流れにのまれて、誤りを見逃す対応力不足にもガッカリする。

嗚呼、またしても好ましいと思えるTV番組を失った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

領事団用ナンバープレート

2012-11-23 | 10住む・暮らす
当地は地方都市であるが、比較的外国人の多い地域である。


先日、地場の商店や雑居ビル、マンションの建てこんだ小路を歩いていると、流れにのらない妙に浮いた運転リズムの車を見かけた。

唐突に大きな車体が視界に飛び込んできて、瞬間「危ないなぁ…」と思ったのだった。

ナンバープレートを見ると「領-○○○○○○」と初めて見るナンバープレートがついている。

外務省が発行するプレートで、外国領事団体用のナンバープレートであるらしい。

関わりにならないのが賢明であることに違いない。


しかし、実に危ない運転だった。

そんな車両と事故ったって、日本国の法律にのっとって正当な事故処理がされるとは思われない。


アーミーの犯罪は少なくない。
自衛官の犯罪も年に何度も摘発されるが、日本の自衛官の犯罪は、日本の国内法に沿って正当に裁かれる。
しかし、米国人アーミーの犯罪は、その裁きが日本の法にのっとってなされることは無いとか。

沖縄の状況も、こうした背景に派生しているのに違いない。

郷に入れば郷に従え。
自国で起きた不正には、国内法で厳正に対処がなされるべき…と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔法が解けるとき

2012-11-20 | 7追憶する
カボチャが馬車ではなくカボチャだと気づいてしまう。

気づくのが早かったのか、遅かったのか。

気づいたその時、どうするかが問題だと思うのだが、気づいてしまった…と感慨に耽るだけでは道は開けないのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続けるって大事

2012-11-19 | 10住む・暮らす
先の午前三時の歌声おじさん。

好不調の波はあったが、その歌声を気にとめること十日余り。

時に長く、時に短く。
それでも歌らしいものが聞こえてはいたのだが、何日かの雨をはさみ、気がついてみれば、歌声はある日単なる叫びに変わっていた。

午前三時に「あぁあぁぁ~!」と叫ぶ。

危機感は無く、ターザンのそれのような叫びであって、相変わらず右手のビニール傘と薄手のウィンドウブレーカーを身に付けた背中で歩きつつ、恐ろしくボリューム大の発声だという点だけ変わらない。

しかも、午前三時前後の時間帯が、朝六時だったり、昼下がりだったり。

規則性も一貫性もとうとう完全になくなってしまった。

妙に気になっていただけで、決して楽しみにしていた訳ではなく、迷惑な歌声に違いはなかったのだが、一貫性を失った単なる大声は、もうただただ壊れていることの証でしかない。

そんなところから
「継続って、とてもとても大きな意味をもつものなのだ」
と思い至る私の感覚は、やはり一般的な感覚からは大きく隔たっているのに違いない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

午前三時の歌声

2012-11-11 | 10住む・暮らす
11月になって(多分)、毎夜、前面道路を歌いながら歩くオジサンが出現した。

人通りのほぼない道を、思いっきり大声で歌いながら歩く。


最初の日は「知床の岬に~♪」だった。
ほぼ完璧な歌詞で通してお歌いになるのを聞き、目が覚めた。

呆気にとられながら、妙な酔っ払いがいたものだ…と思っていた。


ところが、それから毎夜毎夜、午前三時から四時にかけて、大声の歌が聞こえるようになってしまった。

「知床旅情」はそこそこ聞けたのだが、それから夜毎歌われる歌は異なり、どれもいささか中途半端な歌いっぷり。

「長崎は今日も雨だった」やら「襟裳岬」やら…どうやら演歌系がお好みの様子。
時には永ちゃんが聞こえたり、「長い夜」だったり。

昭和20~30年代の生まれなのだろう。

こっそり窓からその様子を確認する。


自転車ではなく、歩きだったことに驚く。

片手にビニール袋。

片手に透明なビニール傘。

歩行のリズムは少し乱れている。


住まいが定まらない人なのかもしれない…と思った。


山側に向かって交差点を越え、延々と道路沿いに聞こえていたオジサンの歌声。


昨夜からわずかに100mほどの区間となった。


誰か、心ある方が注意なさったか?と思っていたのだが、今宵も短い区間響いて静かになる。


今夜は雨。

紅葉も盛りで、外は「寒い」という言葉が自然な季節。

近くに寝床を見つけているのか。


メイワクな歌声が、いささか気がかりな霜月の夜である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする