私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

生姜紅茶で温まる

2009-10-31 | 1食べる
にわかジンジャラーである。

朝のにんじん生ジュースとともに、美味しい生姜紅茶にトライしてみるが、これだ!という生姜紅茶の味に未だたどりつかない。

スーパーなどで売っているしょうが湯の粉末に、紅茶を注いでみると結構イケるという結果を得たぐらい。
ただこれ、とっても甘いので、油断すると思いがけないカロリーを摂取したことになってしまう。
それでも、体が温まる効果のほどは確かなのだけれど。

そんな折も折、名古屋の有機栽培にこだわるお茶屋さんが「生姜紅茶」を新発売したという情報を得る。

商品購入する際には、一週間以上寝かせて!?吟味するのだが、あまりにタイミングがよく、即座に注文をかけてしまった。

生姜をおろす必要も、紅茶を鍋で煮出す必要もない。

ティーバックにケニア産紅茶の葉と、高知産乾燥生姜粒がブレンドされている。
ほのかな生姜の香りと、どちらかというとシャープな紅茶の風味を味わうが、一杯飲むやたちまち背中のあたりからポカポカしてくる。

間違いなく生姜紅茶。

より美味しく飲む方法は研究の余地がありそうだが、手軽に生姜紅茶を楽しむことが出来るという点において、間違いはなかった。

背中がゾクゾクするようなとき、直ぐに生姜紅茶をいただこう。
体に入りかけた風邪(ふうじゃ)を、一撃できるような気がする。
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昔よく見た夢

2009-10-30 | 15雑観
最近はとんと夢を見なくなったが、若いころは夢を見るのが得意だった。

繰り返し見る夢が幾つかあって、いくつかの光景は今も鮮やかに記憶している。

血気盛んなころ、御多分にもれず飛ぶ夢をみた。

舞台がいささか個性的。

石垣の上に築かれた山城を眼下に、平泳ぎスタイルで空を飛ぶのだ。
彼方で、ほら貝の音が聞こえている。

どうやら戦国乱世の世。
私は空飛ぶ忍者か何からしい。
捕えられることもなく軽快に飛び回る私の陣営は、優勢であったのか劣勢であったのか。
断片的な夢ではあった。

人生で初めての挫折を知って、自らを責める気持ちの強かったころよく見たのは、断頭台に横たわる夢。

こちらの夢は日本ではなく、どうやら中世の西洋が舞台のようだった。

私は明らかに女であって、魔女として捕えられたのか、はたまたマリーアントワネットのように、時代を上手く渡り切れなかった貴族か何かであったのか…これも定かではないのだが、ギャラリーの視線を周囲から感じつつ、人生に幕が下りる時を静かに待つ心境がリアルだった。

生を終える瞬間を見るのではなく、夢に見るのは待つ場面だけ。

そんな、恐ろしく過激な夢を見ることもなくなったが、時々そんな夢を見ていたことを、何の脈絡もなくふいに思い出すことがある。
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信仰はないのだが…

2009-10-28 | 6悩む
大いなるストレスはやり過ごしたつもりだったのだが、ここのところ遊走性の刺痛に悩まされている。

場所が定まらない、刺すような痛みである。

こいつに深夜、不意に襲われると、いよいよ癌かはたまた切った貼ったを要する異変が起きているか…とまぁ追い詰められ、眠れなくなってしまうので、余り深く考えないようにしている。

東洋医学の原理によれば、瘀血(おけつ)に原因するもので、気や血の滞りによる症状といったことになるのだろう。

カメラで覗いても、写真をとっても、明解な異常には辿り着かないので、従来通りで変化がないならば、いわゆる瘀血の症状なのだろうと考えている。

昨夜も不意にこの刺痛に襲われ、浅い眠りを破られた私は、あろうことか経文を胸の奥で唱え始めた。
私個人に信仰はなく、いわゆる代々その宗旨で法事をとり行ってきたというだけに過ぎないのだが、記憶の拠り所は、何故かしら縁の深かった祖母が、まだ元気な頃、朝な夕なに仏壇に向かって唱えていた経文のリズムである。

おぼろげに記憶されているくだりを口中で呟いてみると、不思議と痛みが治まった。

知識の体系の頂には、宗教や哲学があると学んだ記憶がある。

幾年にも渡って培われた歴史のなせる業か、個人の記憶が導くのか、判然としないのだが、不思議な力が経文などの言葉には宿るのかもしれない…。

依然として信仰心などが私の胸に芽生える気配はないのだが、歴史を経て語り継がれてきた言葉をなぞってみたい気分になっている。
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形の残るもの

2009-10-27 | 15雑観
昔から、形の残るものが好きだ。

そのくせ、古い写真などはバッサリ廃棄する機会をうかがっているので、おかしなものだが。

ニュースは新聞で読むよりもテレビやインターネットに頼ることの方が増えたが、あとあと証拠が残るという意味で、新聞のデータが信頼できそうな気がするのは変わらない。

ゼネコンなどといった、後世に永く残るものを、目に見える形でつくりあげてゆく企業が好きで、どうしてもそんな会社に肩入れしたくなる。

テレビで心にとまった番組があると、DVDや関連書籍を購入したくなる。
手にすると、それで安心して、意外と見直すことはなかったりするのだが。

最近では、NHKのトラッドジャパンがそのパターンにぴったりはまった。

日本の文化が、美しい映像とともに簡潔に(簡潔過ぎたりもするが)語られる。
英語は正統派英国式らしい。

バックナンバーを取り寄せて、それだけで結構満足している。

伝統あるものについて考察し、自分も生き残りたい…と案外思っているのかもしれない。
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これは老いなのか?

2009-10-23 | 3老いる
十何年来、私にとって爆弾のような存在だった父が、特養という終の棲家に落ち着いたところで、私の意識の中に変化が起こりつつある。

次々に不測の事態が発生する父を、特養は一次対応してくれる、経験ある組織として受けとめてくれた。
最終的責任はもちろん身元引受人として負わねばならないのだが、生命活動を終えるその時までを見すえて、対応を考えてくださっている特養という組織は、まるで頼りにならない親族などとは比較にならないくらい頼もしい。

しかし、長い時を過ごし過ぎたのかもしれない。

いつ爆発するかわからない父の存在を考慮せず人生設計するためのエネルギーが、今や私には足りなくなってしまっているようだ。

恐ろしく保守的で、面倒を避けたい意識ばかりが先に立つ。

新たな人間関係については、殊更に警戒心を抱かずにはいられない。

不意に、昔々の光景が頭に思い浮かび
「あの時のあの状況は、Aさんが作り出した暴挙のように思えていたが、Bさんが不十分な情報をAさんにもたらした結果だったのではないか」
などと昔々の騒動を分析していたり。

今現在のリアルな悩みが薄まった分、過去の余り思い出したくもない記憶が、鮮明にせまってきたりするのだ。
…これは、既に老人的思考回路ではないか。

ほぼ確信をもって自己分析する、ちょっと危険な状況である。
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ズレている

2009-10-19 | 15雑観
もともとその予感はあったのだが、期待の方が大きかった。

でも、やっぱり大幅にズレているらしいという事実が顕わになるに従って、失望感に包まれる。

その数字は何なのだ?
無い袖が振れないのは常識。
それでも振るの?ノースリーブで。
グルグル肩関節まわして、関節包のなかで潤いを失った関節がギコギコいっているよ。
そのうちに20~30°の角度での移動も無理になるかもしれない。

それが妥当な論理ならば、飴が岩塩に変わったって文句を言う我々ではないはずなのだ。
それを、飴のあとに待っているのは瞬間冷凍…フリーズ状態だったりして。
フリーズドライのドライフードになって、お隣の大国に食われちまうかな。

あぁ、駄目なのかなぁ…やっぱり。
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牡蠣のオーブン焼き

2009-10-18 | 1食べる
もう何年も、十月になると毎年必ず訪れる店がある。

明治から続くフランス料理のお店。
小高い山の上の木立に、埋もれるようにひっそりとある。

名物はオイスターバリエと呼ばれる牡蠣のオーブン焼き。
牡蠣殻の上にひとつずつおかれた五つの牡蠣が、それぞれに異なる五種類のソースで味付けしてある。

歴史ある店なのだが、散歩の途中にふらりと立ち寄ったという様子でも迎えてくれる、気の置けない温かさに満ちている。

オードブルとして供されるこの料理。
今年は例年に比べ、妙にさっぱりとしている印象だった。

シーズンが始まったばかりで、牡蠣自体が小ぶりだから…ということもあったが、五種類のソースもいやにあっさりとしている。

動じない、穏やかな笑顔できりもりされていたマネージャーが、若い女性に代わり、恐らく厨房のシェフも代わられたのではないだろうか。

フレッシュな、若々しい雰囲気は感じられる。
ただ、磯の香り、ミルクのようなコク、牡蠣に特有な風味がほとんど感じられなかった。

明治から続くその店を、実質的に続けていらしたのは、多分オーナーの一族だけではなく、外からの人材であるのだろうが、平成21年の今日までにどれだけの人が歴史を引き継いで来られたのだろうか…と想いを馳せる。

若いセンスで厨房に飛び込んでも、守られてきた伝統がある故に、個人の主張は控えめであらねばならないだろう。

その伝統を懐かしんで、毎年訪れる顧客もいることだろうから。
しかし、全く同じでは継続は実現されないと言った話もよく聞く。

帰り際、若いマネージャーにオイスターバリエの感想を聞かれ、言葉を選んで
「あっさりしていました」
と答えた私に、
マネージャーは
「仕入れも変えたのですが、今はまだ早生の牡蠣ですから、シーズンを迎えて牡蠣が大きく育ったころ、是非またお越しください」
と重ねた。

変化を期待して、寒さが身に沁みるようになったころまた訪れてみよう。
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親の介護が必要になったら

2009-10-17 | 3老いる
NHKのスペシャルで
「もしも明日…親の介護が必要になったら」という番組を見た。

テレビに正対してきちんと見たわけではないのだが、部屋を移動しながらも見ないではいられないタイトルだった。

介護の学校で教鞭をとる方の実体験がベースになっていたが、例によってきれいにまとめられ過ぎていた気がする。

もっとドロドロとした葛藤が、どの親子の間にも生まれるはずなのだ。

そのドロドロを殊更に描く意味はないのかもしれないが。

ひとつ「そうだなぁ…」と共感したのは、親の介護の必要によって、自分の人生をひっかきまわされながら、最後に拠り所になるのは、それぞれの親が、子である自分にどんなふうに関わってくれていたかという記憶だということ。

自分が守ってもらわなくては生きていけなかった時期、どんなふうに親が自分を守り、責任を全うしてくれていたか。
親が人生を犠牲にして子供を守ってくれた記憶があれば、その子供は自分の人生を棒にふったって、親の介護を優先せざるを得ないはずなのだ。

その辺の認識がどの程度あるかは、また個人差のあるところだろうが。


ある年配の方と、介護を優先する為に生じるさまざまな不具合についてやりとりしていた時のこと。

その方が
「自分も子供を保育園に預けていた時、子供が熱を出して引き取りを要求する保育園に、仕事で都合がつかないから、門のところに立たせておいてくださいと言ったものだ」
なんてことを何の疑問もなくおっしゃった。
いわゆる、明らかなモンスターペアレントさんだ。

介護の必要な御老人の場合は、結局その人の生き方が、周囲の人間の対応に影響してくるのだろうが、子供の場合は、親は全面的に守ってやらねばならない立場であって、仕事の都合がつかないしわ寄せを非力な子供に負わせるなんて…。

分別ある大人の方だと思っていたのが、すっかり興ざめしてしまい、以来その方の人間性に信頼をおけず、距離をとらせていただいた。

その方の老後は、いかなる事態になることやら。

近頃惨聞する、虐待癖のある親の場合は、これ如何に。
想像するだに恐ろしい。

更に、近年増加の子のないおひとりさまの老後は、より恐ろしいものになるだろうか。
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感覚が鋭敏だということ

2009-10-10 | 15雑観
最近、妙に鼻がきくようになった。

もともと、臭いには敏感で「犬のような奴だ」といわれたこともあるのだが、車に乗ってエアコンのスイッチを入れると、少し前まで何ともなかったのに、しばらく異様な臭いを感じて顔をゆがめることになる。
同乗者は、決まって何も感じていない。

バルコニーに出ると、お隣さんの小型犬の小物を消毒するクレゾールの臭いに出くわすことはあったのだが、おそらく階下のバルコニーからたちのぼる猫のトイレ臭に出くわすようになった。

そういえば、最近、子猫の鳴き声が聞こえているような。

子供たちのピアノのレッスンの音も、赤ん坊の泣き声もほとんど気にならないのだが、猫のトイレ臭にはげんなりする。

私自身も猫好きで、猫を飼った経験もあるのだが、姿を見たこともない猫のトイレ臭は許容し難い。
さわやかな秋風にのってやってくるその臭いに出くわすと、消臭スプレーを無闇やたらと噴射せずにはいられない自分がいる。

感覚というものは、それで身を立てる時以外には、下手に鋭いと苦しいことばかりのような気がする。

視力は良すぎると頭痛の誘因となるし、絶対音感のある人にとって街に溢れる騒音は公害以外の何物でもないだろう。

倫理観に長けていると、社会道徳の低下に憤りを覚えることになり、頭脳明晰であれば、周囲に散在するくだらない事象が許しがたいだろう。

鋭いことが尊ばれる局面はごくわずかで、苦しきことのみ多かりき…といったところか。

老いてゆくと、あらゆる感覚が鈍くなり、そうした苦しみから少しずつ遠ざかることが出来るような気もする。

それがある意味、救いかもしれない。
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特別養護老人ホームというところ(3)

2009-10-09 | 3老いる
特養入所の翌日
「皮膚科を受診してもらおうと思いますがよろしいでしょうか」
と、連絡が入る。

有難い。
是非とも、とお願いする。

老健では、医師が常駐し、その管理下で施設運営されているという形態から、病院を受診することが容易ではなかった。

定期的に病院受診の必要だった父の場合、受診の都度退所手続きをとり、一泊入院する形でチェックと処置を受けていた。

もちろん移動も病院への付き添いも、老健の持ち場ではなく、すべて家族が負うこととなる。
「○○日に病院に行って欲しい」と、老健から連絡があると、その日と翌日は父の為に時間を空けなくてはならなかった。
仕事も何もあったものではない。
自分以外に対応してくれる人物はいないのだから。

老健の現場を束ねる看護師さんにとっては、急な受診を必要とするその都度、家族に対応してもらうよう依頼する事がひと仕事だったろうと思う。
体調の変化し易い御老人にあっては、夕方様子がおかしいので、翌日病院へ行ってもらいたい…なんてことは頻繁に起こる訳だから。

「こちらの都合も考えてほしい」といったことをはっきりと言う家族も少なくないだろう。
急に、待ったなしでスケジュールを押さえられてしまう家族の辛さは容易に想像できるから。

必要な薬ひとつとっても、老健では入所費用の中からコミコミで都合することが要求されていて、医療費を別建てで請求することが許されていない。
医師の判断があっても、高い薬は使えないとか、多くの薬を処方し得ないとか、老健の施設対応の難しさは察して余りあった。

かくして、時に優れた介護職のスタッフによって父の痒みの訴えが伝わっても、ベッドサイドにオイラックス(痒みどめ軟膏)が一定期間置いてあるだけだった。

特養では、医療費は別建て請求が可能だ。
そこは中間施設の老健と違って、堂々たる生活の場であるから。

病院への受診も、家族の出番を待たず、特養のスタッフが付き添って下さる。
余程重篤な状況に陥らない限り、夕方の電話一本で、翌日から二日間連続の休暇を取らなくてはならなくなるといった状況も減るのだ。

その事実が、私を想像以上に安堵させてくれた。

父のベッドサイドには、皮膚科医から処方された4種類の薬と処方一覧がそっとおいてあった。
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