私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

年代物の暖房機

2022-10-30 | 10住む・暮らす
光熱費は1.5倍になっている。
電気もガスも、ガソリンも灯油も、皆勢揃いで高騰中だ。

昨年より使用量は圧縮出来ているのに、請求額が増加している現実にがっかり。
戦争による世情不安と、20年ぶり以上での円安と、条件が揃えば致し方ない。

もの持ちがよいというか、機器は大事に使う主義というか…我が家には10年以上経た機器がゴロゴロしている。
電気代高騰と昨今の異常気象を考え、今年、20年以上経ったエアコンを買い替えた。
故障の不安におびえる事無く、電気代が少しは節約できるだろうか。

押入れの中には、昨年も一昨年も全く使わなかった石油ファンヒータと石油ストーブが大事に仕舞われている。
灯油は使い切ってあるが、新たに給油して正常に暖房機器として使用できるかどうか、不安になった。

製造年を確かめてみると、石油ファンヒーターは2009年製。
石油ストーブにいたっては2000年製であった。

流石に危険で使う気にはならず、廃棄する事とした。

時に大きな鹿が脇道から飛び出してくる危うい山道を行き、大型ごみ処理センターに石油ファンヒーターと石油ストーブを持ち込んだ。
姿はきれいなのであるが、安全性を考えるとそれらを使い続ける訳にはゆかない。

それでも、停電した時にはどうするのか…と、電力を必要としない石油ストーブには未練を覚えたが、火災の原因になってしまっては後悔先に立たずで諦める。
何といっても、石油ストーブは22年前の代物であるのだから仕方がない。
それでも、炎の赤い色を目にしながら、即暖のとれる暖房機に惹かれる。

そこで、小さな小さなカセットボンベで稼働するガスストーブを用意した。
赤い火は心も温めてくれる。
コストパフォーマンスは悪いが、炎には捨てがたい魅力がある。
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トイレの異臭

2022-08-21 | 10住む・暮らす
ある日突然、トイレで異臭を感じるようになった。
そして、他住居からの排水音がトイレ内に響き渡る。

何がどうしてこのような不快な変化が生じているのか。

そういえば、異常を感じるようになった少し前、トイレの区画で妙な音が連続して聞こえていた。
どこかの住居でリフォームでもしていたのか、それとも詰まりでも起きてそのための対処がなされていたのか。

あれこれ想像してみるが、明快な答えにはたどり着かない。
あちこち聞きまわり、トラブルの種を撒くのは嫌だ。

勇気を振り絞り、管理員のおじさんを捕まえて聞いてみるが「トイレは所有者の区分であるので、設備メーカーに問い合わせ自身で対応せよ」と取り付く島もない。

設備メーカーに問い合わせの電話をかけ、漸くつながった修理受付の女性と話しながらカバー類を外し、設備の型番を調べている最中、下水管につながる蛇腹の排水管を固定するウレタン資材が浮き、外れているのを発見する。
それにより生じた隙間から、下水の異臭が漏れ、排水音も響き渡っていたのだ。

修理のプロによれば、この暑さと経年劣化による素材の変化が原因ではなかろうかという事であった。
ウレタンを詰め直し、蛇腹の排水管を再び固定すれば、以前の快適なトイレが復活した。

時を経ると、思いがけない不具合が生じるものであるらしい。
人間にも、住居設備にも。
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災害

2014-08-26 | 10住む・暮らす
昨年とはうって変わって雨がちな夏。
来る日も来る日も降り続く雨に、不安を覚え始めていたが、とうとう大規模土砂崩れによる災害が発生してしまった。

ごく普通の人々が、穏やかに暮らす住宅密集地。

日本が戦後復興の勢い盛んな時代、故田中角栄首相の「日本列島改造論」という本が飛ぶように売れ、前向きでポジティブなムードに溢れていた頃。
持ち家政策に後押しされて、父母達の世代は、近郊の山を削り造成された宅地に競うように家を建てた。

まだ車を持つ家は数少なく、開発の計画に防災の観点は薄かった。
狭い路地と、急峻な道のりがスタンダードだった時代。
今では考えられない規格の宅地でも、市街地から程遠くない山沿いの地は、夢のマイホームを実現する現場だった。

昭和39年、先の東京オリンピックの頃、盛んに開発された郊外の住宅団地は、どれも被災地と同様の地勢にある。
当時のスタンダードだった。

宅地開発で山を切り開き、山の保水能力が削がれ、川に流入する水量が増えることで河川の氾濫を危惧する声はあっても、山自体の崩壊を心配する声が出始めたのは最近になってからのことと認識している。
そうして、どの山肌にも、沢山の住宅があり、人々の生活が息づいている。

自然を批判することは出来ぬという観点で、行政や宅地開発の計画を批判的に評論する姿勢に苛立ちを覚える。
当時のスタンダードだったのだから。

地勢を云々するが、50年60年、沢山の家族がそこで何事もなく子供を育くみ、生き、歴史を刻んできたのだ。

誰の批判も評論も要らない。

異常気象に対応する対策は必要だろうけれど、ただ粛々と、救済と、新たな生活の構築が進められることを。
ただただ、願い、祈る。
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詫びていただく

2013-08-22 | 10住む・暮らす
先週末、私を疲労させた駐車場トラブル。

休日を終え、週明けて漸く、契約区画を間違えておられた方から詫びの一言をいただいた。
トラブルを認識しないまま出かけられ、週明け仕事を終えて帰宅されて事態に気づき、インターホンを押してくださったらしい。

申し訳なかったと詫びの一言があっただけだが、胸のつかえはおりた。
たった一言で良いのだ。
世の中も心の動きも不思議なものだと思う。

「迷惑をかけたらちゃんと詫びる」
そんな普通の仁義がないがしろにされる住居なんて、長くは住めないぞとぼんやり思い始めていたりしていた。
でもたった一言で、そんな気分も改まる。
おかしなものだ。

「どういたしまして」
「ごめんください」
少しセピアがかった日本語をつかいながら、我が国のしきたりや文化がやっぱりすきだなぁと思う。
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トラブル

2013-08-17 | 10住む・暮らす
決してトラブルメーカーではないのだが、トラブルに遭遇する確率が高い。
何か起こりそうな嫌な感じを抱えていると、必ず何かしら特異な出来事に遭遇する。

誰かの落とし物、忘れ物を見つけることが多いし、そんな面倒なものを何故また発見してしまったのかという事態に遭遇し、始末の為に時間と労力を費やさねばならないということがしばしばある。

「デリカシーの無い奴」だと常々評する正反対の性格をもつ友人に言わせると、正義感が強く、放っておけない細かい性格で、苦労を買って出る輩ということであるらしい。

その友人は、私が出くわすようなトラブルに見舞われることはほとんどない。

ずぼらで大雑把なところも多く、決して神経質に環境をチェックして歩いている訳ではないのだが、デリカシーの無い友人に比べると、私につまらぬ面倒事が多いのは事実だ。

今日は、契約している駐車場に、お隣さんが間違って車を駐車。
「困った」に始まり、そのお隣さんを探している間に、駐車場の機械システムが誤作動を起こし故障状態になるなどという事態に。
何でまたこのタイミングで…と嘆きながら、業者さんに電話をする。
胃が、石を抱えたように重くなってシクシク痛む。

業者さん達は、淡々とそれぞれに自分達の仕事をこなし、連絡のつかなかったうっかりお隣さんも、気がつけばいつの間にか出庫していなくなっている。
「とっても迷惑だったのだけどなぁ」と思うが、当然詫びの一言もない。
皆、淡々と事態をやり過ごし、私にだけ、重い胃痛と疲労感が残る。
つくづく損な性分だと思う。
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領事団用ナンバープレート

2012-11-23 | 10住む・暮らす
当地は地方都市であるが、比較的外国人の多い地域である。


先日、地場の商店や雑居ビル、マンションの建てこんだ小路を歩いていると、流れにのらない妙に浮いた運転リズムの車を見かけた。

唐突に大きな車体が視界に飛び込んできて、瞬間「危ないなぁ…」と思ったのだった。

ナンバープレートを見ると「領-○○○○○○」と初めて見るナンバープレートがついている。

外務省が発行するプレートで、外国領事団体用のナンバープレートであるらしい。

関わりにならないのが賢明であることに違いない。


しかし、実に危ない運転だった。

そんな車両と事故ったって、日本国の法律にのっとって正当な事故処理がされるとは思われない。


アーミーの犯罪は少なくない。
自衛官の犯罪も年に何度も摘発されるが、日本の自衛官の犯罪は、日本の国内法に沿って正当に裁かれる。
しかし、米国人アーミーの犯罪は、その裁きが日本の法にのっとってなされることは無いとか。

沖縄の状況も、こうした背景に派生しているのに違いない。

郷に入れば郷に従え。
自国で起きた不正には、国内法で厳正に対処がなされるべき…と思う。
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続けるって大事

2012-11-19 | 10住む・暮らす
先の午前三時の歌声おじさん。

好不調の波はあったが、その歌声を気にとめること十日余り。

時に長く、時に短く。
それでも歌らしいものが聞こえてはいたのだが、何日かの雨をはさみ、気がついてみれば、歌声はある日単なる叫びに変わっていた。

午前三時に「あぁあぁぁ~!」と叫ぶ。

危機感は無く、ターザンのそれのような叫びであって、相変わらず右手のビニール傘と薄手のウィンドウブレーカーを身に付けた背中で歩きつつ、恐ろしくボリューム大の発声だという点だけ変わらない。

しかも、午前三時前後の時間帯が、朝六時だったり、昼下がりだったり。

規則性も一貫性もとうとう完全になくなってしまった。

妙に気になっていただけで、決して楽しみにしていた訳ではなく、迷惑な歌声に違いはなかったのだが、一貫性を失った単なる大声は、もうただただ壊れていることの証でしかない。

そんなところから
「継続って、とてもとても大きな意味をもつものなのだ」
と思い至る私の感覚は、やはり一般的な感覚からは大きく隔たっているのに違いない。
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午前三時の歌声

2012-11-11 | 10住む・暮らす
11月になって(多分)、毎夜、前面道路を歌いながら歩くオジサンが出現した。

人通りのほぼない道を、思いっきり大声で歌いながら歩く。


最初の日は「知床の岬に~♪」だった。
ほぼ完璧な歌詞で通してお歌いになるのを聞き、目が覚めた。

呆気にとられながら、妙な酔っ払いがいたものだ…と思っていた。


ところが、それから毎夜毎夜、午前三時から四時にかけて、大声の歌が聞こえるようになってしまった。

「知床旅情」はそこそこ聞けたのだが、それから夜毎歌われる歌は異なり、どれもいささか中途半端な歌いっぷり。

「長崎は今日も雨だった」やら「襟裳岬」やら…どうやら演歌系がお好みの様子。
時には永ちゃんが聞こえたり、「長い夜」だったり。

昭和20~30年代の生まれなのだろう。

こっそり窓からその様子を確認する。


自転車ではなく、歩きだったことに驚く。

片手にビニール袋。

片手に透明なビニール傘。

歩行のリズムは少し乱れている。


住まいが定まらない人なのかもしれない…と思った。


山側に向かって交差点を越え、延々と道路沿いに聞こえていたオジサンの歌声。


昨夜からわずかに100mほどの区間となった。


誰か、心ある方が注意なさったか?と思っていたのだが、今宵も短い区間響いて静かになる。


今夜は雨。

紅葉も盛りで、外は「寒い」という言葉が自然な季節。

近くに寝床を見つけているのか。


メイワクな歌声が、いささか気がかりな霜月の夜である。
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境界明示

2010-10-17 | 10住む・暮らす
境界明示は、土地の売却を行う場合、売主が所有する土地の境界を接するすべての地権者との間で、境界線をはっきりさせる行為であるらしい。

売主自らが折衝にあたるのではなく、土地家屋調査士なる国家資格の保持者に依頼し、確認書類を作成してもらうことで成立する。

これを、造成から50年近く経った、古い団地の土地を手放すに際して行った。

住宅団地であるから、隣家との境界には塀や石垣、道路などが存在する訳だが、その塀の手前なのか向こうなのか、はたまた真ん中なのか、石垣のどの水平線部分を境界としてとるのかなどなど、意見の相違を見る争点は存在するようだ。

それがどちらに転がろうと、土地自体の平米数や、地価自体に大きな変動はないと思われるのだが、その境界の位置によって、塀などが壊れた時に誰の負担で修繕するのかといった権利責任問題が生じる訳で、ご近所づきあいの中で日頃の不平・不満が潜在する時には、境界確認作業を契機にそうしたマイナスの意識が爆発することも少なくないという。

今回のケースでは、四方の隣家とのお付き合いが皆無で、軋轢もない状態であったが、ちょっとした意識の違いは表面化した。

持ち主も代わり、造成当時の情報は、幼い私の記憶にあるばかり。
現場の状況を照会しつつ、坦々と記憶にある事実を語り、最も妥当なラインに辿り着く。

ぶれることなく、ゆるぎなく、熱くならず、粘り強く坦々と事実を提示し、積み重ねる。
そうして、四方の持ち主の納得を得、境界の確認がなされた。

国家の境界も、そうした積み重ねでしか解決されない。
日頃の潜在的な不平・不満は渦巻いていたろうが、わが国の選出した土地家屋調査士は、救いようのないヘタクソだったと思わざるを得ない。


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資産としての不動産

2010-10-12 | 10住む・暮らす
資産としての不動産というのは、非効率的なものだ。

実際にそこに暮らすというのであればまだしも、資産を不動産の形で所持するということは、多くのロスを覚悟すべきなのだ。

まず、所有することで、固定資産税が課される。
固定資産評価額の1.3%ぐらいだろうか。

土地だけであれば、荒地とならないよう草刈りなどの手入れが必要。
その上に家屋があれば、屋根や塀の補修、防災・防犯の為の出費が必要とされてくる。

賃貸に出せば、月々の賃貸収入に気をもまねばならない。
賃借人一家の暮らしが荒れるようだと、ご近所さんから苦情を受ける役割を負うことになり、家屋の傷みに拍車がかかる心配も生じる。

しかも、このデフレ下にあっては、資産価値が大幅に下落していく危険を抱えることになる。

低利であっても、銀行に預けている分には目下のところ資産税は課されず、目減りする心配もまずない。

それどころか、手放すに際しても、不動産には結納金のごとき多額の費用が発生することになる。

家屋ごと手放すのであれば、リフォーム費用がまずかかる。
土地だけの形にするのであっても、家屋の解体費用、庭木・庭石の撤去費用、境界をはっきりさせる為に土地家屋調査士に支払う費用、不動産を仲介してもらうことで発生する仲介手数料(物件の額×3.15%+63,000円)。
そこに登記変更があって、その登記を司法書士に依頼するのであれば、税金に加えてその費用も必要となる。

更に、それが何十年前に入手した不動産であり、物価上昇の結果、入手額より売却額の方が高額となっている場合には、不動産譲渡所得が発生したとみなされ、またまた課税対象となるのだ。

土地の価額は、オイルショック以前からの物価上昇率にはとても追いついていない。
その間に生じた、税金や家屋の補修や敷地手入れの為に費やされた膨大な費用が、減額要素として勘案されることはない。

資産としての不動産は、大変分の悪いものなのだ。
暦年の資料を整理しつつ、それをつくづく思い知る秋である。
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